The Nude Cask -3ページ目

オウム信徒倍増計画 サリン正当化 公安当局分析

  オウム真理教が、地下鉄サリン事件を正当化し、教祖の麻原彰晃被告(50)=本名・松本智津夫、死刑判決を受け控訴中=への依存を深め教団の危険性を増大させ、今年から組織拡大へ向け「信徒倍増計画」を推進していることが二日、公安当局の内部文書「オウム真理教の最近の動向」で分かった。

 

  「教団の危険性」として、麻原被告が説く殺人肯定の危険な教義を依然、信奉し、「麻原の影響力が拡大・深化している」と分析。「最近では、麻原の息子が教団の継承者だとの指導も行われている」としている。

  オウムは「組織拡大に向けた諸活動」として、「信徒倍増計画」を推進し、教団名を秘匿したヨガ教室や星占いサークルを開設するなど、勧誘活動が活発化。資金獲得活動として(1)ゴールデンウイーク期間の四月二十九日から五月五日までに開いた集中セミナーに、在家信徒約二百七十人が参加し、三千万円以上を獲得(2)従来のパソコン販売、ソフト開発などの事業に加え、中古車販売、ネットオークション業への進出や海外輸出を計画(3)今年五月から埼玉県越谷市に信徒用食品を製造する新施設が稼働-などを挙げている。 (産経新聞)

 

 

  オウム真理教をみていると、日本社会に潜む狂気、あるいは、本来的に集団というものが内在させる狂気、が見え隠れする。

 運命を何かに仮託させると、それほどまでに安寧を得られるものなのだろうか?

 

  個人個人がばらばらでもダメだし、だからといって、成員すべてが同じ方向へと突っ走るのもよくないし・・難しい。

  

  

  靖国の結論もまだ出せていないので、組織あるいは集団と、個人の関係性を今後も追って考察していきたいと思います。 

シンガポール記者、スパイ容疑で逮捕、中国認める

程翔

              (BBCより)  


中国外務省の孔泉報道局長は、31日シンガポール紙記者がスパイ容疑で逮捕されたことを明らかにした。

 

 シンガポール英字紙「ストレイツ・タイムズ」・香港特派員・程翔(55)が外国諜報機関の依頼で巨額の報酬と引き換えに、スパイとして中国で違法な情報収集をしていたことを認めている、と同報道局長は説明した。

 

 程氏の妻・メアリーさんによると、捜査員が4月末、程氏の身柄確保のため同宅を訪れていたという。また、メアリーさんの話では、同氏は故趙紫陽・元中国共産党総書記とつながりの深かった秘密機関紙から情報を収集するため、中国を訪れていた。*故趙紫陽(1月に死去)は1989年の天安門事件で武力鎮圧に反対し、監禁されていた。

 

 ストレイツ・タイムズ紙は、現在、程氏が中国当局に逮捕されていることを確認している。同紙の広報担当者によると、シンガポールの中国大使館は当初「同氏が北京で国家安全機関の調査に協力している」と伝えてきたという。 

 

胡錦濤政権によって勾留された海外の報道関係者は今回の程氏で2人目になる。昨年10月にはニューヨークタイムズ紙調査員が機密情報の漏洩により中国当局に逮捕された。        

中国は6月4日、天安門事件16周年を控える。

  

綿井健陽監督・”Little Birds~イラク 戦火の家族たちー”

little birds

     Little Birds”HP より)

 

 

 小麦粉を練って焼いたパンの「ナン」や「チャパティ」は、インドや中近東の料理には欠かせない主食だ。

 焼き方や材料は少し異なるが、イラクでは「ホブス」と呼ばれる、円形で薄いパンを毎日食べていた。釜で焼いたばかりのあつあつのホブスは、おかずが何もなくても、それだけで2つ、3つと食べてしまう。

 イラク戦争の最中でも、途中から閉じていた店が少しずつ再開し、バグダット市内は「戦争の中の日常」を取り戻していった。パン屋さんに並ぶ人たちに話を聞いてみると、政府から支給された小麦粉や、買い込んでいたホブスは家にあるものの、それでも店までパンを買いに来たという。理由をたずねると、彼らは言った。「だって、焼き立てを食べたいじゃないか」

 

 確かにそうだ。たとえ戦争がずっと続いても、少しでもおいしいものを食べたいと願うのは、人間の自然な欲望だろう。

 

 イラクで取材した映像を、ドキュメンタリー映画”Little Birds~イラク 戦火の家族たちー”としてまとめた。その中で、空爆で3人の子供を1度に失ったアリ・サクバンさんは希望についてこう語る。「時代はどんどん悪くなっていく。それでも日々は続いていく。私たちは自分たちの生活を取り戻したい」

 銃声や爆音が響く街の中で、焼きたてのパンが食べられることを、「それでも明日があること」を、彼らは信じている。

(~綿井健陽の戦争取材の現場から~朝日新聞5.13引用)

 

 

 関西で、6月4日から記録フィルム”Little Birds~イラク 戦火の家族達ー”が上映される。

 

 

 この映画がどんな内容か、よく知らないけれど、こういう文章を書く人を、なぜか信用できる。

 

速報;仏国民・欧州憲法に"NON"

仏国民欧州憲法を拒否



欧州憲法の認否が問われる仏国民投票が29日に行われ、仏国民は圧倒的多数で欧州憲法の批准を拒否した。  (BBC より




  仏国民が何を争点として欧州憲法を拒否したのか、よくはわからないけれど、経済力も宗派も異なる25カ国を1つにまとめあげるのはむずかしいようだ。

 フランスは農業国だし、輸入関税が低くなると、国内農家がつぶれてしまうのかなぁ?個人的には、あのワインと農家と農夫、という原風景は守ってほしいようにも思う。

  

 欧州統合によるメリット、デメリットもいまひとつわからない。けれど、国家の重大案件を国民投票で問う、というのは、制度上いいかわるいか別として、お祭りみたいで楽しそう。


 一度は、やってみたい。

 


ジャン=ユンカーマン監督作品・フィルム「日本国憲法」

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ジャン=ユンカーマン監督作品・フィルム「日本国憲法」HPより)

画 / 奈良美智「Missing in Action -Girl meets Boy-」(広島市現代美術館所蔵)


 昨日(5月28日)、ジャン=ユンカーマン監督作品・フィルム「日本国憲法」の先行上映会にいってきた。

 フィルム「日本国憲法」は、「チョムスキー9・11」や「老人と海」を手掛け、数々のドキュメンタリー賞を受賞したジャン・ユンカーマン監督が日本の憲法、特に*憲法9条に対する世界の識者達の見識をインタビューした記録フィルムである。

 


 この記録フィルムが圧倒的に優れている点は、日本の憲法9条という国内問題に世界からの視点を提示したこと、さらに国家あるいは政府と、「民衆」を切り離したこと、この2点に集約されると思う。

 日高六郎氏が太平洋戦争直後の風景を回顧しながら、「憲法”改正”を国内問題にしちゃダメですよ。国際問題ですから」と、少し熱を帯びた言葉で語ったのが印象的であった。

 ノーム・チョムスキー氏は指摘する。「20世紀という野蛮な時代に2億人もの人々が人為的に殺された。その殺戮を行った主体は、マフィアではなく、海賊でもなく、あるいは、ヤクザでもない」「THAT'S  STATE(国家だ)」 この言葉が私の心のなかで、ぐりんぐりんと何度も反芻された。

 上演後の講演で、プロデューサーを務めた山上徹ニ郎氏は、きっぱりと言い切った。「改憲派か護憲派か、この2つの記号化された言葉のうち、あえて言うならば、どちらでもないと答える。ただし、品性と知性を欠く今の日本の政治家にこの憲法をいぢられたくない」と・・・

 


 私の立場も、その山上氏の意見に近い。恐らく、戦争には、「しなくてはならない戦争」もあると思う。南下するロシアに朝鮮半島を押さえられたら、日本が危ない、そのようなぎりぎりの状況というものは必ず存在する。だが、特定の誰かだけが利益を得る「しなくてもいい戦争」を、その誰かの利益を代弁する政治家にとって、容易にしてしまう改憲には反対だ。その意味で今の政府は信用できない。

 


 フィルムの中で、パレスチナの一般の人々がインタビューを受けていた。あるパレスチナ人が「日本人はかわいそうだ。米と日本政府のイラク戦争につきあわなくてはならない」と日本人を同情していた。

 戦争はいつも、政府や企業など一部の人間が利益を得て、被害を受けるのは一般に暮らす普通の生活者である。さらに、日本国憲法は日本政府の占有物などではなく、日本に暮らす皆の、アジアや世界の中で類稀な財産である、という視点を、このフィルムによって初めて提供された。

 

 今の日本に、戦争がふつうにあたりまえに存在しないこと、について考えたい。


シネ・ヌーヴォ で7/2(SAT)~ロードショー

音楽; ソウルフラワーユニオン

キャスト

ジョン・ダワ―

C・ダグラス・スミス

ベアテ・シロタゴードン

チャルマーズ・ジョンソン

ミシェール・キーロ

ジョゼーフ・サマーハ

班忠義[バン・チュンイ]

申蕙秀[シン・ヘス]

韓洪九[ハン・ホング]

姜萬吉[カン・マンギル]

ノーム・チョムスキー

企画・製作;山上徹ニ郎

監督・編集;ジャン・ユンカーマン

 

 と、ひとつ気になることがある。ジャン・ユンカーマン氏と山上氏の講演後、2人との質疑があったのだが、一番に手を上げ、発言するおばさんがいた。通りいっぺんの感想を述べたあと、「私はなんとかかんとかコミュニスト協会でなんとかを茨木でなんとかかんとかかんとか」と自らの政治活動を宣伝し始めた。

 ちょっと何とかしてほしい。

 途中、司会者が質疑を優先したいとの理由で彼女の宣伝を遮り、私は心のなかで密かに拍手を送った。彼女らの熱意も行動も止められないし、活動をするのも自由である。だが、少なくとも彼女らのその熱心な活動は彼女らの意図をよそに、逆に彼女らの運動を弱めている。恐らく、彼女らが熱心になればなるほど、人々は非左翼化し、さらには非政治化するのではないか。それは、ざっくり言うと、私も含めた一般の人々は、彼女らの行動に、げんなりする、あるいは萎えてしまうからだ。

 

 

 私の主張は、2点ある。政治とは本来、格好イイ、クールなものであるはずだというもの。もう1つは、「護憲派、改憲派」、「右翼、左翼」というように記号化されることによって、精細な議論が損なわれるというもの。日本が好きであることと、首相の靖国参拝を批判することは、本来、矛盾しないはずである。

 彼女らの活動は、政府に「また左翼が・・」と、記号化され、議論を横滑りさせることに利用されている。さらに、人々の政治に対する興味をげんなりさせる点で、効果的でない、きつい言い方では逆効果だと思う。いや、少し、言い過ぎだ。ごめんなさい。ただ、目的を達成させるためには、「もっとスマートにやろうよっ」てところだろう。