ぼわ~ん
どよ~ん

ムクっと起きて
回転のしない頭
ソファーでダラリと一服

マスコミ批判の多い私
でも TVっこ
当然ながらTVを付ける

ネットで見てた
NOVA社長室の報道
改めてTV映像で確認すると
すげぇ~

などとぼんやり...

そんな中
芸能ニュース

一人の言葉
ぼやけた頭に
スーっと入ってきた

『気付かずごめん』

その言葉を発したのは
佐藤アツヒロという
元光GENJIメンバーのBLOG

このひと言
とても良い言葉だ

最近は
『何故言ってくれないの?』
『言って欲しかった...』
という方が多い

しかし
本当に相手のことを想うなら
彼のような感情が相応しい
本当の仲間という意味を知っている

察してあげること
それが仲間というモノだ

単に言葉を求めるのは
相手に気を使っているのではなく
単に気になってるだけのこと

自分のモヤモヤなだけ
すべてを言葉で交わすなど
正直 上辺の仲間意識に過ぎない

だから 彼の言葉は
自然なカタチでスーっと
私の中に入ってきた

この感じ...
なんか久しぶりな感じ...

事自体は大変残念なことだけど...
今朝は この言葉で
いつに無い良い感じである
やっと終了
今日最後の一人を面接

後は
後日課題提出
その結果で最終決断

いかにリラックスさせ
相手の思考を捉えるか?
いい子ちゃん的答えなど興味が無い
実際 どう考えるのか?
そのことが重要

冗談を混ぜながら
微妙なラインで問いかける
どっちに答えを振るのか?

分からないフリして
問いかけをしてみる
きちんと把握しているのか?

履歴書の内容を確認しながら
何を求めて仕事をするのか?

金?
生き甲斐?
なんとなく?
次へのステップ?
別に...

まぁ~ 面接
要領の良い人は
そつなく答える

私の場合
はじめはちょっと素っ気なく
説明は事務的に
なか冗談っぽく雑談的に
相手の主張タイム
こっちの質問タイム
会社の要望

ここまでクリアすると
課題へ

相手の提案力も必要
課題には フリーな部分を入れる

単にこちらの要望のみをカタチにするのか?
要望+αがあるのか?
とても重要な課題である

課題を見せた時に
どれだけ自分の中で処理できるか?
確認をしたり
質問が相手から出ない場合問題

さぁ~
9割は決めている
どう課題を料理してくれるか
それが楽しみだ

今回募集は
完全サブの万事屋さん

しか~し
ただ言われたことだけをするのではなく
自分なりの提案力を持った人募集
加えて 社長に合う人...

そう そこ
そこが問題だ...

合う人ねぇ~
なかなか居ないと思うがねぇ~
面接だから当然合わせてくるし...
頑張ります的な答えしか返って来ないし...
...

ってことで
厳しい感じに説明したよ
求めてる能力の高さ
っが しかし業務はあくまでもサブ
....

言いながら...
そんな都合の良い人材なんて...

自分なりの提案力がある人材は
当然 複合的な考えや
コンセプトがしっかりある
そういうタイプには
社長のやり方は合わない

といって
言ったことをするだけでは
とても社長の求める人材ではない

ん~...
難しい問題だ...

ってことで
ある程度
仕事への姿勢の話をした

っで ある程度
社長の性格的な話もした

っで 疲れた...

さぁ...
今週末の見学会準備に加え
新人さんの仕事範囲のまとめ
指導の流れを社長と擦り合わせ...
などなど...
新人さんが戸惑い過ぎないように
組み立てしなくては....

まずは 誰を取るにしても
今の段階でその人にあるモノ
引きづり出すことが先決だからなぁ~

って言ったて
私のサブじゃないんだよね~...

ケケケッ
入ってから私のサブへと
改造しようかなぁ~

っと 私の中のショッカー共が
騒ぎ立つ 今日この頃なのでした
証人喚問お粗末...

今までもそうだが
証人喚問意味無い

単に
野党の姿勢を示すだけの
道具に過ぎない

証人喚問を
勘違いしているのでは?

証人喚問とは
裁判や警察の代行ではない
そのことを分かっているのだろうか?

今回 大きな隠し球も無く
単にメディアの情報を
本人に聞いているだけ

あれでは
全く意味を成さない

接待疑惑に関して
良いように使われた...

100と言われていた接待を
200として認めた
あっさりと...

このことは
単に開き直って
認めた訳では無い

数を増やして
認めることに意味があるのだ
『ぼやかし』という意味が

確信的な接待と
単に友達付き合いというモノ
そのふたつをひとつとしてしまうことで
本質をぼやかす狙いだろう

それ以外は
何も認めていないのだから
完全に証人喚問は失敗

裁判や警察の真似事でしかない
証人喚問は時間の無駄

では 証人喚問とは
いったい何を目的にすべきか

それは 構造解明だろう
何故 そういうことになったのか?
という経過を引き出すことである

そして
議員たちが
同じ過ちの無いよう
どう変えていくのかを
考える為のモノと成るべきだろう

特に 今回は
国防に関すること

過去の戦争で 日本国は
軍隊の暴走の怖さを知ったはず
そのことの反省に立ち
政治家主導の国防のはず

それが 報告もしない
しても間違ったモノ
というのでは 話に成らない

今回の問題は
接待という問題より
国防を司る部署の在り方の問題が
とても問題なのだ

あの給油量の数字
彼は辞めてから知ったとしている

知って嘘の報告
若しくは
訂正しないということは
問題である

しかし
彼はそこは知らなかったとしている

もし これが本当なら
あの地位で知らない
若しくは 正しい報告が成されない
というのも大きな問題である

いずれにしても
彼に責任が無いとはとても言えない

彼が 『天皇』とまで
言われたのは何故か?

その経緯を知る必要がある
絶対的権力と言える彼
どうして こうなったのか?

このことを
しっかりと知らずしては
また 同じような人間が
現れないとは言えない

何の発展も無く
接待を認めてしまった
しかも数を増やして...

これでは
つっこみようが無い
メディアも野党も...

細かく本質を整理すれば
問題点はいろいろあるが
その部分を指摘しても
おそらく 世論は盛り上がらない...

世論の盛り上がりは
税金の無駄遣いにある

国防の仕組みや構造的なことは
複雑であり 情報入手も困難...
面倒な話に国民は盛り上がらない...

本当に大切な話題は
なかなか国民に伝わり難いものだ...

だから メディアも
長い時間を割いてまでは
取り扱わない...

自ずとこの問題も
有耶無耶となるのだろう

そして...黒い影は...
同化する闇の中へと消える...

う~ん
『その男凶暴につき』の
ラストシーンを思い浮かべてしまう...
次から次へと
食品の偽装問題噴出

賞味期限表示なんだけど
あれ 辞めたらって想う

まぁ~
製造年月日は必要だけど
賞味期限って本当に必要なの?

本来
賞味期限というものは
味と品質の期限

味はともかく
品質は確かに目安が必要だろう

しかし
食品業界の現状に問題がある

バイヤーが
本来の賞味期限より短く
という要望がある

何故か

賞味期限が長い場合
売り場の回転率が悪い
そういうことを気にして
バイヤーは
賞味期限を短くと考えるのだ

何故回転率が悪いのか

それは
購入者の意識として
少しでも新鮮なモノを選択する

商品が並べてある
その賞味期限を見て
選び購入する人が多いのだ

よって 生産者は
必要以上に短い期限を表記する

このことで
返品の再利用ということに
罪の意識が薄いのだろう

だって
本来は食することに
問題無いのだから

昨今
『勿体ない』という言葉を
再認識しようという動きがあるが
賞味期限は勿体ないのではないだろうか

実際 偽装されたモノを
旨いと食べていたのだし
食あたりなどの報告も無いのだから
危なくないし 味も良いのだろう

だとしたら
賞味期限の意味と違う
表記となっていると言える

意味の無い表記に
消費者が振り回されていると言える

意味無い表記で
返品されたモノは
ルール上再利用ができず
廃棄処分ということになる
実に 勿体ないのでは?

確かに 食の
グローバリゼーションという意味では
賞味期限が 一般的な諸外国だから
揃えることも必要だろう

なら
国内と輸出と表記を
変えてはどうだろう

国内だけの販売の企業に
グローバリゼーションなど関係無い
その国に合ったモノであれば良い
そうは成らないのだろうか

昨日
回転寿しを食べた

私は
回転寿しに行くと
違和感が有る

流れる寿司を食べず
注文して食してる光景に
回転寿しなんだから
回転してるのを食すべき

などという
どうでもいい違和感を持ってしまう

ってことで
いくら待っても来ないモノ以外は
流れているモノを食する

うん 旨い旨い
ご満悦 ご満悦

甘エビを口にした瞬間
舌に伝わるシャリの違和感...
ヤベッ...しまった...

そう この甘エビ
何周もしていたのだろう...
シャリもネタも表面が乾いていた...
まずい...

すかさず
ティッシュに...

あれ?
これってどうなの?

この何周もまわっていた甘エビ
まずい甘エビ...
旨い→回る→風を受ける→表面が乾く→まずい
味が旨く無く成ったということ
味が変わったということ
まさに 賞味期限が過ぎたモノ

これは いいんだ
賞味期限記載義務が無いから...

回転寿しは 基本
皿を持ったら 戻すのは御法度

生産者が消費者に
味までも責任義務がある
とされる賞味期限記載義務を
課す同じ国でありながら
保証しなくても良いモノも存在する
そういうことになる

よく見れば分かること
乾いてる感が見える...

昨日は 手でなく
箸で食してしまった...
客人との食事だった為...

選別が甘かった...
あまりじっくり見るよりも
客人との会話を重視してしまった...
普通に鮨やにいくべきだったか...

本来の私なら
絶対に手を出さないモノを...

そう 本来人は自己判断能力がある
匂いやちょっと口に含んだ瞬間の違和感
そういう微妙な感覚で判断できるモノ

その感覚が
すべての情報提供により
麻痺してるのだはないか?
その能力が消えているのではないか?

ここまで親切にしなくても
人は判断できるだろう

あまりにも人を過保護にする
過保護な環境は
人間の能力を低下させているのではないか?

っで それの何処が問題?
能力が低下しようが
安心安全に暮らすことが出来れば
それで良いだろう

そう言われれば...
それはそうなのかも知れない...

っが しかし
なんとも違和感がある
考え過ぎ?

すべてが
機械的な暮らしでも
良いのだろうか?

よく分からないなぁ~
ん~...

まぁ~
お腹の弱い私は
こう言いながらも
賞味期限切れは食さないけどねっ

言っていることと違うじゃん!!
という声が聞こえてきそう...

だって
お腹痛くなっちゃうんだもの
う~う~ってうなっちゃうんだもの

こんなお腹の弱い私でも
別に そこまで過保護でなくてもって想う

というか お腹弱いから
賞味期限が記載されてれば
危険回避ということを
大丈夫なのだろうけど
気分的に避けてしまうんだなぁ~これが...

だから 尚のこと
賞味期限要らないと想う

消費者団体もあまりにって感じある
これもあれも表記表記
どこまで表記すれば良いの?
果たして 表記は絶対的なモノなの?
自己判断力の無さをすべて生産者の責任って...
どうも違和感がある
まぁ~ 良いんじゃない
って 感じだろうか

決して
良いとは言いがたい

そうそう
映画のジャイアン的効果というモノ

普段悪そうにしてる奴が
ちょっとまともなことするだけで
いい奴と想えるのと同じ
実際は 普通なだけなのに

普通というか
本来は 言葉遣いなど
通常では まだまだだった

っが しかし
敬語を知らないなりに
一生懸命話した
その事への理解が得られた

それで 十分だろう

後は
その言葉が嘘ではないという
言動を今後できるか?
というだけのこと

それ以外
とやかくと言って仕方ない

まっ 親父は...
ここは 息子の気持ちを汲んで
終了としたいものですね

しかし
マスコミ...
まったく持って良く無い

振れば よく振れる

彼らがチヤホヤされてた時
あそこまで強く言っていたか?
ヘタすりゃ 擁護もしていた
それが 鬼の首を取ったように
バッシングの嵐...

虐め問題と似たようなモノだ
一斉に 責めるような
強い者に向っていくなのではなく
弱い者へ向って行く
一人では向えず...
大勢となれば
恰も正義と言わんばかりに向ってゆく...

実に情けないというか
人のこと言えないんじゃない?
結局 マスコミだって視聴率でしょ
という感じだ...

あの女優の
『別に...』の後でもそうだ
一斉に批判の嵐...

その前まで
周りは 怖くて
ろくに言えなかったじゃないの?

一夜にしてこうも
変わるものなのだなっ

そのマスコミを使って名を売った訳だし
本人は 自分の言動でなった訳だから
文句を言ってはいけない

しかし だからといって
マスコミは そんなモノだ
というのもどうなのだろう?

マスコミも汚い
今まで散々私心を語ってきたにも関わらず
最近は 世論調査を数人にして
盛り上がりそうなコメントを流し
単に 事実を伝えたのみ
どうなんでしょう?
と問題提起風に構成を変えてきた

マスコミは
すぐコメントや謝罪を求める
その説明が不十分なら
しつこく アポなし取材までする

なのに
自分たちのことは
『そういう面もあるかも知れませんね~』
『考えて報道すべきなのかも知れません』
などと明確に謝罪する訳でも
具体策を述べる訳でもない

いつのまにか
表現のニュアンスを変えて
無難路線へと移行している...

当然 人のやること
ミスもあれば 間違いもある

しかし そんな時
きちんと襟を正せないのなら
マスコミの資格があるのだろうか?
まずは 今までのマスコミは
やり過ぎというとこを認め
だから こういう風にして行きたい
という説明が必要なのではないだろうか?

だって
マスコミは 今まで
散々 そう言ってきたのだから

まっ そこまで
本来は必要ないと想う
相手を察するということが
できた日本の心は
とても良いものだと想うから
『まぁ~まぁ~』があっても良いと想う

やり過ぎというモノは
流れが生むことがあるものだ

周りが 囃し立てる
そのことで麻痺してしまい
大事になって初めて気付く
そういうことは 往々にしてある

マスコミは
当然 真実を伝え
問題提起をする役目がある

その反面
社会影響が大きい
誘導してしまう危険がある
そのことを意識して
番組を構成していくべきだろう

その部分が
視聴率を気にするあまり
過激になり過ぎていたと想う

ようは
マスコミも彼らと
変わらないということ
結局 麻痺してしまっていたのだ

この『麻痺』
最近 やけに多く報道される
食の偽装問題にも繋がる

企業も個人も
そう私も陥りやすい『麻痺』

どんどん鈍感に
なってしまっていないだろうか?
いろんなことに...
仕方ないと諦めていないだろうか?
いろんなことを...
強いという意味
それは 芯というモノ

しかし
芯を勘違いしては
乱暴というモノだろう

芯とは違う
乱暴というモノだから
精神が弱い

結局 自分の為
そんなことだから
弱いのだろう

自分とは違う
何かがあるから
強いとなるのではないか

ガンガンうるさい奴は
大抵 打たれ弱い

自分の弱さを
隠すように吠える

あ~は成りたく無いモノだ

本当に自分が悪く無いのなら
頭下げることは無い

と言ったて
下げなきゃならないこともある

それなら
やはり 節度がある

節度なしに
自分を過剰に強く見せ
相手を見下すことは
なんの芯も無いということ

弱々しくなると
世論というモノは
同情に変わる

傍若無人を繰り返しても
同情を求める...
そんな自分勝手なことは無い

よく
過去を反省し出直せば良い
そんな言葉を聞く

周りは それでいい
しかし 当の本人は
決してそんなことを想うモノでは無い

一生過去は付いてくる
捨てることなどできないモノ

して来たことに
ただ 頭を下げて終わりなど
一時的な意味はあれど
意味は無いのだ

どうするか?
これからの自分
そのことに意味がある

消えない過去を
上から塗りつぶすなど出来ない

だから
新しいモノを描く
そのことで 過去を無くすのではなく
過去と共に見てもらうことだ

その結果
評価されるのか
自分自身に納得するのか
となるのだ

周りの情に
甘えるような生き方は
表面上変わったとしても
何も変わっていないに等しい

そのことが
本当の芯というものだろう

言った言葉
やったこと
責任を持つのは当然

それは
年齢ではない

したことは
全て 自分に戻る
必ず 戻る

上手く出来てるモノだ
世の中というモノは
労災認定判決
上司の暴言と自殺の関係

ん~...
何か違和感を感じる...

自殺した人
実際どんな状態だったのだろう?
仕事できない人だったのか?

暴言というモノは
確かに 良く無い行為
その人の品位が問われる

しかし
死に至らしめる暴言とは...

この判決は
企業に上司の暴言がある場合
処理する責任があるということになる

どうなんだろう?
実際にそんなことが出来るのか?

暴言と指導
どこからが暴言?
どこまでが指導?

例えば 朝青龍問題
鬱病?って想うが
診断は 鬱病...

この場合 殆どの人が
甘えと捉えただろう
単に 怒られたことに
我慢ができない いじけている状態
そう想っただろう

しかし 診断は鬱病...

これが 自分の職場と考えたら
それで 会社を辞めても仕方ない
本人が自ら打破する用件であり
特に フォローするに値しない
そう考えるのではないか?

でも 診断が 鬱病であれば
仮に 当事者に比があると想っても
一時休暇や職場改善が求められるのか?

事が起きてから
この人が悪いなどと
言ったところで意味が無く

あくまでも
事を起こさないようにするのが目的ならば
ボーダーラインというモノが必要

しかし
このことはストレスなのだろうから
個々に基準が違う

同じ状況でも
鬱病になる人 ならない人
様々ということに対して
企業は どれだけのフォローをすべきなのか?

ただでさえ
文句を言う人が徳をする風潮があり
黙って我慢すると問題無いとする
その世の中が 現在の物を言う
主張主義的社会を生み出した
そのことに拍車がかからないだろうか?

これでは 常に自分が自分が
そんな協調性の無い人間が増えてしまう

このことに企業は
平等克つ適切な判断ができるだろうか?

限界なのか?
余力があるのか?
我慢させるべきなのか?
無理させるべきなのか?
意見なのか?
我が侭なのか?
判断に迷うのではないか?

その時 何処で決めるのか?
それは 自分の価値観でしかない

仮に 相手のことを想い
企業のことも考え
今は 我慢させるべきと判断した場合
その判断を相手に伝えることができない場合
できないとは 意図が分かると意味の成さない場合
その状況を相手がどう判断するか?

最近のTVでは
愛情があるか?ないか?で
指導なのか?虐めなのか?分かれる
そんな言い方をする人がいるが
そんなこと人によって感じ方が違う

いくら 相手のことと想っても
相手に伝わらないことが多い

特に やらせないと成らない立場は
伝わらないと感じても
今 流れている時がある以上
進めなくては成らない

そんな時に
相手に説明をしたところで
分かるとは限らない
そのロス時間を埋めることが出来なければ
企業としての利益を損ねる...

こういう言い方をすると
情の無い人と想われるかも知れないが
実際 企業は人材育成ではなく
利益を生み 分配するところ
綺麗事ではなく 企業を語れば
あまりに個に執着するのは如何なモノか?
あくまでも利益追求と平行するもの
やれる範囲が限定されてしまうのが現状

ドラマを見ているように
すべての因果関係を知れば
どうなのか?判断付くだろうが
現実として 断片を見て
心を読むなどということができるだろうか?

この判決に異議があるという訳では無い
パワハラは 上司が想うよりも
当人には 深刻な問題ということも分かる

っが しかし
企業にも限界があり
断片のみの実社会で
心を読むという大変なことを
平等克つ適切に対処するには
限界があるのも事実

この現実を知って
個人が どう動くべきか?
個人が どう考えるべきか?
そのこと無くして
この問題は解決しない

周りの意識ということは
社会問題として重要であるが
そこに頼るのではなく
当事者もどう回避するかを
しっかりと身に付ける必要がある

嫌なことを上司に言うのは
気の退ける行為となるかも知れない

毅然とした態度が取れないと
仮に その場から逃げても
また同じことで苦しむ

虐めというのは
こいつは どこまで良いのか?
ということを見てやっている
それが 麻痺して
どんどん エスカレートしてゆく

だからといって
怒れば良いというものではない
怒ることを楽しむ輩もいる
自分のキャラにもよる

大変難しいと想うが
他力に頼るのは
最悪致し方ないとして
本来は 自分でその術を見つけるのが大切

虐めの無い世界
確かに 素晴らしく
そう有りたいと想う

しかし
私は 無くならないと想う
その事をただただ願うより
自分というモノをしっかり持つ
そのことを模索すべきだろう

おそらく 今回の職場
暴言の上司だけの問題ではない
周りの人間もどう動いたのか?
黙認していたに過ぎないのだろう

黙認していた人も罪というモノ
しかし その人を責められるだろうか
それほど上司に逆らうというのは
通常 できないものなのだろう
そのことを怖がるを批難できるだろうか?
だから パワハラということなのだから

企業も大変だ...
個人も大変だ...
なんか 大変だらけ...

こんな世の中だったけ?
ちっとも良く無いねぇ~この世の中...
でも その世の中を
構成してる一人なんだよねぇ~私は...

構成しているのに
一人では何も変わらない...
それもまた現実...
えっ!?

======================================
調べものの為に
ブラウザを開いて
目に入った
『黒川紀章氏死去』

えっ!?
何故に?

あまりにも突然の死...

私が彼を知ったのは
多くの人と同じと想うが
出馬の時

なんだ?この人
ヘンな人が出て来たものだ

それが 第一印象

その後
対して興味が無かったが
ある番組でいつものように
登場した黒川紀章氏

落選しても
注目はされたし
こうしてTVにも出てる
それはそれで
彼にとっては成功だったのだろう

そう想って見ていた

しかし
ある瞬間 本当の彼が

仕事に関する
世界で活躍した彼の気持ちを
口にした

その言葉は
単に破天荒な性格ということではなく
やはり 怖さがあるんだと
リスクを背負って仕事してるんだ
そういうモノだった

実に 普通の人だ
本当の彼は 普通の人だった

私は 彼のことに
とても興味が湧いた

彼の出馬の行動
これって 出馬が
目的じゃ無いんじゃないかと
出馬でも何でも
良かったんじゃないかと
彼は 楽しむことを
言いたかったんじゃないかと

それを言葉じゃなくて
行動で見せたかった
感じて欲しかった
そういう理念で動いていた
そう私は彼を解釈した

『馬鹿な親父』を
見せたかったんじゃないかと

まっ 単なる
私の深読みかも知れないが...

それ以降
彼は 何を見せるんだろう
そんな期待で見ていた

政治には 向かないが
実際に政治ではなく
暮らしに何か言いたい
そんな彼が
どう自分の人生を見せてくれるのか

次に『馬鹿な親父』は
何を楽しもうとするのか

だから この突然の報道に
ただただ 唖然とするばかり...

私もあんな『馬鹿な親父』に
なりたいものだ

でも それって
成功者だから良いのだろうなぁ~
今のままで 
私が『馬鹿な親父』になったら
ただの『馬鹿な親父』なだけかぁ...

まずい!
成功せねば!!

そう想わせてくれた彼に
改めて感謝する

そして
ご冥福を心から申しあげます
古来より人間が
追及し続けている幸福
憲法でも保証されている
幸福を追及する権利

理性に従い徳を高める幸福?
刹那的な快楽ではない生の条件である幸福?

創造価値?
体験価値?
態度価値?

生理的欲求?
安全の欲求?
所属と愛情の欲求?
自尊の欲求?
自己現実の欲求?

『幸福だけが価値ではない』
そう言った哲学者がいた

大体 幸福って何?
辞書を引きと
『不自由や不満もなく、
心が満ち足りていること』
と記している

だとすれば、
『幸福だけが価値ではない』
という言葉も真を得ている

不自由や不満があろうが
心満ちるということも有り得る

自己犠牲も
不自由で有りながらも
他のことで埋めていることも
このことを示している

ある哲学者は
『絶対的幸福は存在しない』
と言っている

絶対的幸福とは
人がここまで行けば幸福と想う
ボーダーライン

しかし
人とは 貪欲な生き物
現時点の欲求を満たせば
次の欲求が生まれる
その繰り返しであるということ

本来 生きることが目的
最低限の生命維持以外は
単に オプションに過ぎない

であれば
現代の暮らしは
必要以上に満たされている

それ自体が
生命とすれば上出来

しかし 人間は
何処までも欲求が限り無い

もしかすると
人は 無意味なモノに
囚われていないだろうか

無意味なモノを求めて
苦悩するのは
そもそも無意味ではないだろうか

幸福は存在しないのに...

となれば
人が求めているモノは
幸福ではない

それは
個の価値観の具現化である

となれば
人生を豊かにするのは
価値観の豊かさに他ならない

すべては
価値観の生むバーチャルであり
価値観の生む実社会である

その中に暮らす私たち
多様化する価値観とどう付合ってゆくのか?
そのことを意識する必要がある

な~んてね
尤もらしく書いてみた

人がこの世に誕生してから
今日まで解けない答えが
私ごときに解ける訳も無く

ようは こんなことを考えて
自分を納得させること
それが 哲学というモノだろう


ってことは
人が求めているのは
『納得』ということなのか?


『納得』って何だ?
もっともだと認めること


『認める』って何だ?
確かにそうだと受け入れること

ふ~ん
なるほどねっ


『なるほど』って何だ?
本当に或は確かにと納得する気持ちを表す語


『確かに』って何だ?


.......
切りが無い...
自ら命を経つこと
自殺

この『死にたい』という気持ち
この気持ちに
権利はあるのだろうか

当たり前のように
『自殺はいけない』と言う

本当に
自殺はいけないと
言っているのだろうか?

心の何処かに
『いけない』という論理が無い
でも 自殺を正当化するのは
何か不安が残る...
だから 『いけない』
漠然とした違和感
そのことで
『自殺はいけない』と
言ってるに過ぎないのではないか

実際に
自殺しようとした者を
自ら止めた後
その自殺しようとした者が
今まで以上に苦しみ
死んでいったら...

それは
罪というモノではないだろうか

自殺を止めなければ
新たな苦しみを背負うことはなかった

ただ 自殺した時点で
その人が終わる
それだけのことではないのか?

もし 自分の目の前に
自殺をしようとしてる人が居たら
何も考えず 助けるだろう

その後 悩むだろう
本当に良かったのか?と

助けたこの行為は
何を助けたということになるのか?
相手なのか?
自分の価値観なのか?

生きる権利はある
死ぬ権利は無い?
もしかしたら
生きる権利ではなく
生きる義務なのだろうか?

この先 良いことがあるか
もっと過酷があるか
私には知る由も無いのだから

だからと言って
私が 相手の人生に
責任を持てないだろう

そう
無責任ということだ

自殺願望というモノを
私自体には存在しない

当事者の気持ちなど
分かり得ないのだ

一般的に多少死にたいと
過るくらいはあるだろうが
実際に行動を起こす訳でなく
その内 勢いだったと気付く

その自殺したいとは
比べるに値しないモノなのだろう

死ぬくらいなら
駄目元で何でもできそうなもの
と想うだろう
私もそう想う

しかし
実際は違うのだ

そこまで追いつめられた人を
まだ 頑張れと言うのは
酷というモノなのかも知れない

正義感という漠然とした
一つの価値観に過ぎないモノ
それを 押し付けるのは
本当に正義と呼べるのだろうか?

残された人のことを考えれば
という人もいるだろう

では 天涯孤独な人は
それに当てはまらないのだから
その人には
死ぬ権利があるのだろうか?

自殺とは
心に出来た闇が
何処までも
侵蝕してゆく...
やがて 闇に心が食われる
そういう状態なのだろう

闇を照らすことができなかったら
その人は 闇の世界を歩き続ける...

自殺の報道の度に
そんな答えの無い問答が
頭の中で繰り広げられる...

私が もし
自殺しようとした人を助けたら
きっとこう言うだろう
『ゴメン』と

しかし
人間は可笑しなモノだ
死を目の前に生きてる人は
生きたいと想い
裕福な社会になると
自殺願望者が増える...

人は 一体
本当は何を求めているのだろう...