【ネタバレだらけ注意】
今日は二期会によるモーツァルト作曲『コジ・ファン・トゥッテ』を聴きに新国立劇場へ行ってきましたー。
なんと、前回ブログを書いたのが4月だそうです。それから書いてないらしいんだけど、観賞には出かけてるんです。多分ずっと忙しかったんだなと思う。お疲れ俺。そんなことを思いつつ、今日は高速バスで帰るので3時間も書く時間があるので書いちゃうぜということで放屁録を。まてまてまてーい。誰がおならの記録をつけてんねん。忘備録や!!
ということで、本日早くも満塁ホームランが出たところで本編のお話へ。
今回の演出はロラン・ペリーが演出するということで、教師びんびん…ではなく興味津々(トシちゃん世代でもねぇだろ)。ペリーと言えばフローレスの地位を確立した公演と言っても過言はないだろう、ドニゼッティ作曲『連隊の娘』を演出したことで有名。2021年に二期会ではヴェルディ作曲『ファルスタッフ』の演出で招聘したのも記憶に新しい。彼の演出は一見奇抜そうな感じがするけど、よく見てみると全くそんなことはなくて、音楽と動きが緻密に計算されていて、静と動が見ていて気持ちいい。とにもかくにも音楽を活かし切る演出という印象があります。そういう意味では、私の尊敬するジャン・ピエール=ポネルに通じる様な感じもしています。そんな彼が『コジ・ファン・トゥッテ』を演出する。そりゃ楽しみになっちゃいますよね。どんな舞台になるんだろうとワクワクしながら観賞しました。もちろん今回もパンフレットは買いましたが、これを書き上げてから読みます。自分の感覚だけの記録をしておきたいので。
幕が開くと、フィオルディリージとドラベッラがレコーディング室の外から部屋中の様子を覗いている。真っ暗な中、部屋に入ってくると、電気が点く。そこから序曲の演奏が始まる。見たところ今からレコーディングをする様だ。フィオルディリージとドラベッラは舞台後方の長ソファーに座り多分ベーレンの楽譜らしきものを読んで歌うところの確認。部屋の中にはソリストとスタッフ達。フェランド(下手)は口の体操をしたり体の体操をしたり。途中で後方にいるドラベッラにお前もやれよばりに体操をやってみせる。それに応えるドラベッラ。グリエルモ(上手)は途中でトイレに出かけて、出番ギリギリに戻って来る。アルフォンゾは最初は下手側の奥のソファーで新聞を読んでいたけど、センターのマイクにスタンバイ。そこから『コジ・ファン・トゥッテ』のレコーディングが始まる。そんな始まり。
ちなみに、フェランドとドラベッラは緑色、グリエルモとフィオルディリージは薄い青っぽい色?服の色を着ているので、関係性がパッと見で分かりやすい。
お客さんは私も含め最初の頃は見方が分からないのとマイクに向かって録音を続ける風景が続くので何となく退屈。ただし、これがどこかのタイミングでペリーの魔法がかかるんだよななんて思って観てたのでワクワク。冒頭の男3人のレコーディングは無事終わり、後ろにスタンバイをしていた女性2人の出番。舞台下手側にハの字の1画目のようになるようにフィオルディリージとドラベッラがマイクと楽譜と一緒に並ぶ。逆にアルフォンゾは上手隅の手前で同様にスタンバイ。
2重唱が終るとアルフォンゾが仕掛けてくるわけですが、そこから急に照明が絞られて、上手にいたスタッフも居なくなり、舞台には3人だけに。アルフォンゾが現実の話のように、彼氏が旅立たなければならないということを2人に伝えます。そして、男2人が肩を落として彼女の前にやってくる。5重唱が終ると、合唱がレコーディングとして(だと思うんだけど)集合して歌う。そこからはレコーディング中の演技ではなくてガチの話として物語が進んでいくようでした。恐らくアルフォンゾによって心理的に不安にさせられたフィオルディリージとドラベッラがレコーディングを進めていく中で、自分の本音の気持ちの部分が登場人物に寄ってしまったということではないのかなと思いました。そしてそれが派生していき、登場人物が本来の自分を見失い、キャラクターと同化していったということです。だだし、1幕の終わりや2幕の終盤で楽譜をめくったりマイクが降りてきたりしていたのでそこが本来の自分とキャラクターとの境を分かりやすく表現してくれていたように感じます。という完全に私見ですので違ってたら笑ってね(笑)
あ、あと、デスピーナをスタッフに設定したのは良かったですね。とても自然に観れました。ホットココア的なものを淹れてくる辺りそれっぽいもんね。
演者もみんな適材適所で素晴らしかったです。
特に素晴らしかったのは、フェランドの糸賀修平さんと、フィオルディリージの種谷典子さん、ドラベッラの藤井麻美さん。
糸賀さんは、ツヤッツヤよ。お声がね、ツヤッツヤ。ツヤッツヤのピカッピカ。甘くて光り輝いていて遊び心満載という感じのすんばらすぃ声。どうもーイタリアでーす。ってずっと言ってるのよ声が。もう嬉しくなっちゃったよね。糸賀さんは生では端役みたいのでしか聴いたことなかったけど、今回聴いてみてマジで拍手。冒頭のあと5重唱から歌はもちろん演技も冴えまくりで所作もオペラっぽいし、最高でした。納得いかないのは1幕の「愛の息吹は」はあの5倍くらいの拍手の量があって良かった。ほんとに。クッソ良かった。マジで。Bravoとか言いたかったけど恥ずかしくなっちゃって言えなかった私の不甲斐なさというとこは申し訳ないけど、マジでめちゃめちゃ良かったもん。拍手は惜しみなくしました。フィオルディリージを口説こうとするけど、ヒドラが!バジリスクが!とか言って避けられる辺りのシリアスな所からの、グリエルモの「女たちよ」からの「裏切られ」のアリア、このあたりの一連が超絶良かった。「裏切られ」のアリアとかそれまでと全然表現変えてきてて、本気のフェランド120%って感じでマッジで良かった。鳥肌もんでしたよ。だからわたしゃBravo叫んだわよ。これをリベンジBravoという(うるせぇよ)。あと「あぁ、私にはわかる」のアリアのカットはもったいなかった。聴きたかったー!!世界レベルの素晴らしいフェランドでした。良いもの聴かせていただけました。ありがとうございます。
そして、種谷さんも良かったわー。フィオルディリージって自分のイメージだと声種ではなくて、声質的には少し重めなイメージだったんだけど、種谷さんの若々しい軽々とした声により、どこぞのオバサンの悶えというか、苦しみみたいな感じ聴こえずに、純粋に自分の心の中に芽生えてしまう愛に戸惑う若い女性という感じが新鮮でぴったりでした。「岩のように動かず」では他の相手を好きになるなんてことは微塵も見せない毅然とした女性を表現していました。演出的にもマイクが降りてきていたので、まだまだ抵抗出来るというか、純粋なフィオルディリージのままで歌いきってくれたという感じだったのかなと思います。その後の、「行ってしまうわ…」のロンドはさらにさらに絶品でした。フィオルディリージを録音しに来たソプラノ歌手とフィオルディリージが完全に一体化してましたね。種谷さん、おキャンな役からもうこんなにも苦しみを表現するような役をやれちゃうようになったんですね。成長が嬉しいわよ。愛に苦しむフィオ。その愛の重圧が視覚的にも分かりやすく、部屋の壁が迫ってきて自分の動ける範囲が気付いたらとても狭くなっていたというものが非常に良い効果を出していたと思います。もう動けないんですね。ただ、迫ってくる壁がギーギー音出てたのは微妙でしたが。あれ、まさかあれも計算?フィオルディリージの心の軋む音だったり?(笑)種谷さんのヴィオレッタ聴けなかったので今回聴けて本当に良かった!!次も期待して待とう。
藤井さんは、イタリア語がとても明瞭で声量があって、とてもはっきりとした声。ですから、イタリア物は何でも合うと思いますけど、ドラベッラはこれまた合ってましたね。ドラベッラはイタリア物なのかはさておき。この役って偏見で言いますが、ほんとに偏見ですが、どんなに上手い人が歌ってもそれなりってイメージなんですよね。でも藤井さんはそこを覆すべく、大胆な演技と歌で素晴らしいドラベッラを演じてくれました。最初のアリアで聴衆の空気感を変えましたよね。そこから拍手が出始めた。そういう空気感とかオーラを持ってる人はやっぱオペラ歌手には必要ですよね。声も良いけど演技派ですね。見とれました。
他にも宮下さんのベルカントで上も良く鳴るグリエルモや九嶋さんの舞台狭しと走り回りながら、声色変えながら歌いつつも、しっかり聴かせてくれるデスピーナとか、どれもかなり高水準だったと思います。素晴らしい『コジ』を体験できたんだなと改めて思います。良かったなー。
指揮者のクリスティアン・アルミンクは手堅いといった感じでしょうか。ややオールディーズな雰囲気。テンポてきにはなんだか遅いなーとまでは言わないにせよ、早くはないねというくらいで、ほんとにややゆったりめみたいな感じ(わかりにくっ)。
個人的にはオケがグイグイ推進力強めで盛り上げていくのが好きですが、今回の演出にはちょうどいいテンポだったかもしれません。
先輩のブログなんて1人しか読んでませんよという後輩に告ぐ。今回の二期会の『コジ・ファン・トゥッテ』めちゃめちゃ良かったです。やっぱり人間模様ですよね。演出の魅せ方や歌い手の表現力の凄さはもちろんですが、やっぱモーツァルトの音楽が素晴らしい。明日他の組でまだあるみたいなので、行ってみるのも良いと思います。てか、行け(笑)今日こんな素晴らしい公演だったのに集客がイマイチだったのは悔しい。ではでは。
新国の入口のとこ






















