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2018年8月2日に新刊が販売開始となりました。

 

『哲学カフェ傑作選 第2集』(ロゴスドン編集部編)

 

本体価格2600円、A5判、202頁、ISBN978-4-902462-22-7

 

(内容)50のテーマについて『ロゴスドン』Webで議論した「哲学カフェ」の中から、特に優れた明快な定義を厳選。思考の達人たちが導いた回答から世界の本質が見えてくる明快定義集。2009年に発行した第1集に続く待望の第2集。

 

(目次)あ行(悪、意識、意欲、占い、運命、老い、お金) か行(懐疑主義、価値、神、関係、感情、偶然、芸術、原理主義、構造主義、幸福、固執、言霊) さ行(時間、市場、実存主義、自由、宗教、進化、人格、人生、青春、世界観、説得力、相対主義) た行(大局、知恵、諦観、伝統、天命、道理、独創性) な行(納得、ニヒリズム、人気) は行(発想、比較、夫婦、煩悩) や行(唯物史観、友愛、優生思想、欲望) ら行(倫理)

 

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https://www.amazon.co.jp/dp/4902462222

 

『ロゴスドン』Webの連載「「裏日本」文化論」を更新しました。

 

第40回

〈女人禁制〉


 白山のみならず、日本には「女人禁制」を敷いていた聖山が非常に多い。前回(第39回〈山の女神〉)その理由について、山の女神は嫉妬深く、美しい女性が嫌いだからという事柄を中心に述べた。この民間伝承は、日本各地に古くから伝えられてきたものである。一方で、神道や仏教などにおいて、この「女人禁制」はどのように考えられていたのであろうか。
 神道では、流れる血液を極端なまでに嫌う傾向がある。流血は「穢れ」として最も忌み嫌われる事柄なのである。聖山のみならず、神道では、神聖とされてきた場所では大抵、生理中や産褥中の女性が入ることを固く禁じてきた。本来であれば、生傷を負い血を流している男性も、そこに入ることはできなかったのである。流血は、端的に「生命力」が弱体化した状態を表す。神道においては、生命力の源たる「気」が枯れた状態、つまり「ケガレ」は徹底して排除しなければならない。神道は「今ここに生きていること」を礼賛する、いわば「生」の宗教なのである。故に、この「気」をどんどん増やしていくことこそが望まれる。冬は生物の「気」は弱まるが、そんなときこそ生物は安全な場所に籠もり「気」を増やさなければならない。「気」が「増ゆ」季節、それが冬なのである。生理や出産による流血により「気」が枯れた状態に近くなると考えられていた女性は、このような「ケガレ」の観点から、聖なる山に入ることを禁じられてきたのである。
 日本における曹洞宗の開祖・道元(1200~1253年)は「日本国にひとつのわらひごとあり」と述べた。道元の言う「(日本を諸外国と比べたとき)笑われるような事柄」とは、仏教道場における「女人禁制」のことであった。平等を説くはずの仏教において、なぜこのような男女差別がまかり通るのか――道元はそこに大いなる疑問を感じたのであろう。

 

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『ロゴスドン』Webの連載「哲学カフェ」を更新しました。

 

「空間」とは捉えることができるものである

 前川幸士(京都府京都市)


 人間が、自己及び他者を認識する時、空間と時間は、その基盤となる存在として必要になる。空間は時間とともに、あらゆる事象の根本となる概念であり、それは常に無限の広がりを示すものである。それ故に、捉えようのないものでもある。
 しかし、人間は、空間を時間と区別することで、そのいずれを捕捉することにも成功した。すなわち時間を止めた時に、そこに存在する世界を空間としたのである。このような方法は、西欧的な思考を基盤とするものであることは、日本語の“間”(ま)が、空間と時間の両方を含んだ概念であることからも推測できる。
 そして、西欧社会は、時間とともに空間を正確に計測し、把握することによって、近代文明を構築させたのである。すなわち、振り子の原理を応用した機械式時計を発明することによって、河川のように流れるものとして認識されていた時間を、それをあたかも微分するかのように刻むことに成功した。そして、時間を刻んで停止させた後に、そこに広がる世界を、3次元のユークリッド空間として、3個の座標で1点を指定することで、計測、把握、表現することにも成功したのである。

 

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