ヌース出版のブログ

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昨日、新刊『哲学カフェ傑作選 第3集』を発行いたしました。

 

 

【内容】

 50のテーマで世界が塗り変わる。あなたの常識を揺さぶる「明快定義集」の決定版!

 不透明な現代社会を生き抜くためには、借り物の言葉ではなく、自らの言葉で世界を再定義する力が必要です。本書『哲学カフェ傑作選 第3集』は、まさにその「定義する力」を養うための、最高水準のテキストと言えます。

 本書は、ロゴスドン編集部が「哲学カフェ」という対話の場から昇華させた50の重要テーマを収録しています。取り上げるテーマは、[あ行]の「医」から始まり、[ら行]の「霊界」に至るまで、極めて広範かつ深遠です。特筆すべきは、一つのテーマに対して複数の論者が異なるアプローチを試みている点にあります。

 例えば「代償」の章では、精神分析学的な防衛機制としての側面から、古典文学『源氏物語』における形代の役割、さらには神の贖いという宗教的次元までが語られます。また、「病」については、個人の人生観の反映としての不条理から、生命エネルギーの停滞というマクロな視点までが提示されています。読者は、これらの対立し、あるいは補完し合う定義を読み進める過程で、自らの固定観念が解体され、より豊かで厚みのある世界観へと導かれることでしょう。

 執筆陣には、前川幸士、山下公生、鈴木康央、平川己津子、なやな、浜田節子、島袋櫂の7名の独自の視点を持つ論客が名を連ねています。彼らの論考の中には、カントの純粋理性批判やユングの共時性といったアカデミックな知見を背景に持ちながらも、現代のパンデミックやIT社会の諸問題に即した極めて今日的な問いを投げかけてもいます。

 本書が提供するのは、安易な「答え」ではありません。むしろ、一つの事象が持つ多層的な意味を理解し、それを自分の言葉で表現するための「思考の型」です。論理と直感、科学と信仰、個人と社会。これらが複雑に絡み合う現代において、本書は迷える思考の霧を晴らす「明快定義集」として、あなたの知的生活を支える財産となるはずです。

 この重厚な思索の旅を終えたとき、あなたの語彙は、世界をより精緻に、そしてより深く把握するための強力な武器へと進化していることでしょう。

 

【目次】

[あ行]

〈医〉〈怒り〉〈因果律〉〈因縁 〉〈宇宙〉〈怨霊〉

[か行]

〈概念〉〈餓鬼〉〈 学力〉〈義〉〈行者〉〈菌〉〈空間〉〈慧眼〉〈啓示〉〈解脱〉〈顕教〉〈業〉

[さ行]

〈悟り〉〈懺悔〉〈自覚〉〈慈悲〉〈邪悪〉〈修行〉〈呪縛〉〈試練〉〈信〉〈仁〉〈神話〉〈聖霊〉〈禅〉〈洗脳〉

[た行]

〈代償〉〈智〉〈痴〉〈抽象〉〈伝承〉〈徳〉〈貪欲〉

[は行]

〈罰〉〈パラレルワールド〉〈必然〉〈病〉〈表象〉〈仏性〉

[ら行]

〈利他〉〈輪廻〉〈ルサンチマン〉〈礼〉〈霊界〉

 

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 本日、新刊『三つの祈り』を発行いたしました。

 本書は、歴史の狭間に埋もれた「祈り」の真実を掘り起こし、信仰の在り方を問い直す至高の歴史フィクションです。異なる時代と舞台で繰り広げられる独立した三篇の物語ですが、根底には他者のために生きるという「命の使い道」を問う壮大な叙事詩です。

 「布施」では、春の彼岸、霙(みぞれ)まじりの寒波の中で托鉢を行う僧侶と、死の間際にありながら自らの最後の一枚の布を捧げた女性との交流が描かれます。物質的な貧困の極みにあっても、精神的な充足の中で旅立つ女性の姿は、現代の私たちが忘れてしまった「豊かさ」の正体を突きつけます。

 「殉死」では、キリスト教が果たしてきた二千年の歴史を揺るがしかねない、驚愕の新解釈が提示されます。歴史上、最も卑劣な裏切り者とされるイスカリオテのユダの正体は、誰よりも師を愛し、その教えを完成させるために、あえて泥をかぶった最高の弟子だったのかもしれない。発見されたユダとその弟の手記は、全く異なる真実を告げていました。ユダはイエス(ラビ)の最も忠実な理解者であり、イエス自身の指示によってその役割を引き受けたのではないか。21世紀に生きる子孫の視点を交え、宗教史の深淵に迫るスリリングなドラマが展開します。それはあたかも、フィクションを装って真実を明らかにしたいというイエスの思念が著者に宿ったかのような「圧倒的なリアリティ」をもって迫ってきます。

 「山に在す(おわす)」では、奈良・飛鳥時代を舞台に、修験道の開祖とされる役小角(えんのおづぬ)と、その弟子となった前鬼・後鬼の姿を描きます。時の権力による不当な追求を逃れ、大峰山の険しい自然の中で「万物に神が宿る」という真理に到達する過程は、環境破壊が進む現代において極めて重要なメッセージを放っています。

 著者の自然科学者としての客観的な視点と作家としての情感豊かな描写が融合し、死生観や価値観を根底から揺さぶる、読者の人生に寄り添う宝物のような一冊になるでしょう。

 

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 本日、新人作家・山川真吾氏のデビュー作『桃源郷の記』を発行いたしました。

 

 

 本書は、科学的思考の陶冶をフィクションの形式で推進したいという意欲的な作品です。ブログにて特別に「第一部 束の間の微睡」の冒頭部分をご紹介させていただきます。

 

 

 まず初めに自己紹介をさせてください。

 私は山川真吾という者です。生涯の大部分を大学勤務で過ごしてきましたが、定年退職をしてからもう十年以上になります。研究生活といいますが、独創的な成果は乏しく、学術論文も生涯を通じて十余編しか発表できませんでした。私の業績は学会で話題になるようなものではありません。それでも、運よく神武大学で教授の職に就くことができ、定年まで講義を続け、後進の指導に当たりました。定年後も、いくつかの大学で非常勤講師を勤めましたが、八十の声を聞くようになりますと、さすがにそういう仕事へのお誘いもなくなり、このところ、年金をあてにした暮らしを、すでに金婚式も終えた妻の不二子と夫婦二人で過ごしています。老後に備えるようにと政府が算出するくらいの蓄えもありますし、子供たちももう独立していますので、何もなければ、このような日々がもうしばらく続いて、そのうちにお迎えが来るという筋書きです。そんな生活ですから、これから新しく何かをしようという積極性もなく、それでも無聊を紛らわすために、これまで読めなかった本を読まなくては、などと勿体ぶりながら、あまり難しくない本を拡げるような暮らしを続けているところです。

 その日も、いつものように、不二子がつくってくれた夕食と、白と赤のワインをグラスに一杯ずつ楽しんだ後、長椅子にドカッと座り込んで、読みかけの本を広げた途端、最初のページを開いたままで、、

 

      (1−1)

 ふと気がついたら、おもちゃのような汽車に乗って、深い霧の中をノロノロと走っていました。若い頃に、そのような光景があったな、と思っていたら、すぐに霧が晴れて、目の前に立派な洋館が見えてきました。建物以外に何があったのか、記憶にありません。いつの間にか乗り物は消え、私はスーツ姿で、他のことは考えもせずに、その建物の中に入りました。それがどこか、入っていいのかどうか、など考えてもみずに、予定通りの行動のように振る舞いました。入るとすぐに、シナ服を着た二人の少女に迎えられ、中華風の応接室へ案内されました。遠慮もせずに、座り心地の良い椅子に深々と座りましたが、一息ついたところへ、気品のある老婦人が秘書風のお供を従えて入ってき、立ち上がろうとする私を笑顔で制しながら、

「お出でいただいて光栄です。どうぞごゆっくりお過ごしください。」

と挨拶しましたが、自分が誰かは名乗りませんでした。

 私は挨拶を返そうとしましたが、それより先に、秘書風のお供が口をきき、

「現世と離れたひとときというのも先生の夢でした。その先生のために、私どもは人の世の一瞬を少し長い時間に切り替える夢の次元を準備させていただきました。浮世の転寝(うたたね)を、こちらの時間でゆっくりお楽しみいただけるように、このお屋敷に部屋を準備しておきました。」

と、だけいって、二人は私が何かをいおうとしても聞く様子もなく、すぐに部屋を去っていきました。

 入れ替わりに、案内をしてくれた少女たちが戻ってきて、私に面と向かいました。二人が交々に説明してくれることは、

「こちらの様子を少し説明させていただきます。先ほど主(あるじ)が申しましたように、ここは先生が日常を過ごしておられる浮世を離れた夢の世界です。」

「浮世に暮らしている人が眠りの間に見る夢は、浮世の一瞬の間に、長時間の夢の中の暮らしを経験できるということです。こちらの時の経過は、浮世で経験しておられるものと同じではありません。」

「ですから、先生も浮世で転寝をされている間に、こちらで結構な月日、楽しい時を過ごしていただけたらと思います。」

「ここでは、私どもがお身の回りのお世話をさせていただきますが、他にもいろんな仲間が先生のご滞在をお気に召すものにするように一生懸命努めます。もし何かご希望などありましたら、どうぞお気軽に私どもにお命じください。」

「それでは夕食の時間ですから、早速に食堂の方にご案内いたしましょう。」

と言うなり、私が何か言おうとするのを待ちもせずに、豪華な応接室を出て、別の部屋に向かいました。まだ何が起こっているのか十分理解できていなかった私も、特に争うでもなく、二人について部屋を出ました。

 食堂は、広い庭に面した洋室でした。気がついたら、私はスーツ姿ではなく、気楽な部屋着になっていました。二人の少女も、出会いの時のシナ服ではなくて、可愛らしい洋服姿でした。食堂で、私に庭に面した側の席をすすめた上で、二人は、

「私たちもお相伴させていただきます。」

と、左右に席を取りました。

 夕食を終えていたはずの私ですが、またワインのグラスを手にしました。ここまで少女と呼んでいた二人も、すでに成人には達しているのか、何もいわずにグラスを手にし、軽く目で挨拶を交わして、グラスを口にしました。

 こちらへ着いた時、出迎えた少女たちはシナ服姿でした。最初に入った応接室の内装も中国風でした。しかし、食事の時には、彼女たちは洋装でしたし、食堂は日本で普通にみる洋風の部屋でした。庭に面したといいましたが、その庭も基本は和風の庭でした。いただいた食事も、洋食ですが、日本で普通になっている和の要素が加わったものでした。ワインはどこの産か確かめませんでしたが、ワインというものはそもそも日本の伝統のお酒ではないものの、今では日本で普通にいただきますから、特に洋風という感じで受け止めるものではありません。すべての光景が、現在の日本の暮らしで見る世界だったのです。

 最初にこちらへ着いた時、私はここが夢幻の世界であるとすぐに気づいていたようでした。夢の世界を彷徨う経験が度々あったからかもしれません。しかし、それまでの私の夢の中の世界は、だいたい過去に経験した何かにつながったものでした。全くの夢想というべき夢は経験したことがありませんでした。しかし、この時は、これは夢だ、とすぐに意識し、現実と離れた夢の世界にいることを感じ取っていたようでした。

 理想の夢幻の世界といえば、私の頭の中では、まずは桃源郷です。桃源郷は中国の物語です。ヨーロッパ風のユートピアではありません。だから、はじまりは、中国風の部屋に、シナ服の少女だったのでしょうか。しかし、理想の世界で過ごすとすれば、環境には気持ちがもっとも落ち着く雰囲気を求めることでしょう。それは、自分の経験に沿ったものに違いありません。若い頃の私だったら、日本を飛び出して理想の生き場所を求めたかもしれません。夢に描く世界は北欧とかアメリカの小都市とかにその原型を求めたでしょうか。それが、八十歳を過ぎた今の私には、理想の世界の雰囲気が、すぐに典型的に和風になるというのは、老いと呼ぶ心境になっているためでしょう。老境に達すると、取り巻く理想的な環境は、日頃過ごしている自分の環境を、ちょっと洗練されたものにするだけで十分なのでしょう。

 食事は、二人の少女との会話を楽しみながら、でした。言い落としていましたが、二人は双生児姉妹だそうで、それぞれ杏奈、麻里と呼び合っていました。その時から、この夢幻界に滞在していた間、この姉妹がつかず離れずに私の面倒を見てくれました。二人は、いつも微笑みを絶やさずに、何をする時も一緒に行動しました。そういえば、こちらの世界には怒りという感情がないのかと思えるほど、二人の少女だけでなく、その後も、目くじらを逆立てるような人に会うことはありませんでした。

 この部屋で目立って奇妙なことは、食事の世話をしてくれる人たちが、普通の人ではなく、ロボットだったことです。はじめはちょっと無愛想な人なのかと思いましたが、すぐに、私たちと同じホモサピエンスの新人ではなくて、機械人間であると気づきました。もっとも、その機械人間たち、料理を運んでくるというだけでなく、私たちの動きを巧みに観察しているのか、私たちの食事の進行が円滑に進むように、理想的にいい対応をしてくれるのです。欲しいなと思うものは、思った途端に届いていますし、終わったと思った時には皿が下げられています。笑顔とかしかめっ面とかで表現することはないのですが、私たちの気分を盛り上げる見事な演出をしてくれるのです。機械というような冷たい存在ではなくて、私はすぐに彼ら(彼女らだったかもしれません)に好感を抱きました。親愛感をもったといった方が正確かもしれません。

 ワインも料理も見事でした。その時に私が欲しいと思うものが供されました。これは余分だ、と思ったものはただの一片もありませんでした。それも見事な選択と分量でした。料理をしているのが誰かは、見えないところから機械人間たちが運んできてくれましたから、わかりませんでした。その時には、料理人が誰かを知りたいとも思いませんでした。そういうことに興味をもつ余裕がないほど、食事に没頭していました。考えてみると、その夜、私はすでに自宅で普通に食事を終えていました。だから、ほぼ満腹の状態だったはずです。ワインも、休肝日以外は白赤一杯ずつと定めている私の適量を、その夜はすでに飲んでいました。それでいい気分になって仮睡を始めたことが夢幻の世界に入り込むきっかけでした。それだのに、何杯いただいたでしょうか、機械人間に注がれた分は残さず飲んでいました。というより、私が飲む分を機械人間が注いでくれていたのでした。

 

 

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