頼政から鵺へ
『鵺』が、頼政の生母の化身であった…という展開は昔話らしい趣に溢れています。
では…平家物語が描いた『鵺』とは何者であったのか。
当時、平家物語が描いた時代…東三条方面には藤原頼長の屋敷がありました。
この頼長、偉く俊才でありましたが…あまり人に好かれておりません。
そう…『鵺』が現れる空は東三条。
どうも平家の作者は揶揄して描いた節があります。また、保元の乱で逃げる途中に流れ矢に首を射抜かれて死亡した事も、さらに『鵺』を彷彿とさせます。
また、かって古事記に記された皇子ヒルコの段…『鵺』もヒルコ同様に淀川を流されて行きますが、永遠に報いられぬ皇子のオマージュと『鵺』は重なり合う印象が強いのです。
また、こんな昔話が、埼玉県に残っています。虎年、申年、巳年の生まれが一家に揃うと家は滅亡する…という、言い伝えです。
『鵺』の姿は…頭は申、身体は虎、尾は蛇…そして鳴く声はヌエに似たり…ゆえに『鵺』であると。
何故に人々は、このような組み合わせ『キメイラ』を物語へ遡上させたのでしょう。
なかなかに尽きないのが『鵺』です。
最後に、私が実際にお聞きした能楽役者の『鵺』への見解…『鵺は川から濡れた姿で現れるんですけどね…単に化け物ぢゃあなくて、色気というか艶がなくてはならないんで…その辺りの工夫がね…濡れた洗い髪を見せるような…工夫がね…』
さらに話は尽きなくなりそうで…。
頼政の母
『頼政と鵺退治』
平家物語には、頼政による鵺退治の逸話がある。
かなり特異であり、寓話性に富んだ話と言える。
もちろん、鵺などという妖怪が実在する訳もないし、彼が弓で射たのは『ムササビやイタチ』の類だった…という話でもない。
鵺に関しては、いつか改めて述べたいと思う。そのくらい私は『鵺』が好きである。この場合…好きというのは謡曲『鵺』に対してだ。
さて、頼政と鵺に関しては興味深い昔話が四国方面に残されている。
『母の願い』
都で朝廷に仕えた源頼政であったが、思うように出世が望めない。不遇な暮らしをしていると聞いた頼政の生母は、神仏に頼政の武勲の願をかけた。
そして、自らの一念で『鵺』に変化して御所を襲い始める。
何者の矢も受け付けない『鵺』に困り果てた人々は頼政を呼び、最後の頼みとして『鵺退治』を命じた。
さらに頼政に、神仏からのお告げが下り、『鵺退治の矢』を受ける。
ある三日月の晩…東三条の方面から出現した『鵺』に頼政は、まさか母の化身とも知らずに矢を放ち、見事射止める。その功績によって彼は殿上を許された。
生母の願いは、我が身に変えて自らを打たせてでも、息子の出世を果たしたい…その一心であり、『鵺』は、母の願いが現れた人の心…その化身であったのだ。
梗概を要約すると以上のような展開。
この昔話は、巧みに頼政と鵺を相似形へ導いて、上手い解釈をしていると思う。
能『頼政』…参
鐵仙会青山能
五月二十六日 水
能『頼政』
シテ 小早川修
午後六時半開演
4000円
学生
2500円
演能後、小講座付
メール問い合わせ
tessen@jade.dti.ne.jp
そう…また能番宣です。
能『頼政』紹介のために、柄にもなく読み物風に私的源頼政を書いてみた。
一概に修羅能として
分類される能『頼政』であるが、老武者を扱った曲として『実盛』と共に代表的な能の一つ。
また、原作、作品中にも登場する『忠綱』は足利氏に属する将であり、活躍する描写が(ふんだんに…!)に盛り込まれる。
世阿彌が『頼政』を作品化した当時の権力者である足利将軍家が、これは駄目だ…という訳もなく。
『頼政』と『忠綱』が一人芝居の仕方話で宇治川の合戦が展開され、息詰まる攻防戦を描写する。
老武者と若武者の戦いのコントラスト…その悲劇。
能装束や面にも独特のデザインが凝らされ、伝承と異質を並立させた演出でもある。
また史実では、この『忠綱』も木曾義仲と合戦した倶利伽羅峠での戦いで命を散らしている事も、戦いの果ての空しさを与えている。
修羅能は、戦死した魂を弔う意もあり、劇として平家物語を辿る…現代的に言い換えれば『実写化』をした、という事になる。
世阿彌が『平家物語のままに能は書くべし…』と伝えたのは、原作こそが当時の人々のイメージであり、そこを基本に劇化の意図があったと言える。
ちょうど、描かれた宇治の合戦も夏です。
ひとしきり合戦絵巻を味わって…どこかで、酒を一ついかがでしょうか。


