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物狂い能

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数日の間、ブログを休んでいた。
舞台撮影や納品などに神経を奪われて、気が削がれていた…という事だ。

昨日は緑泉会『通盛』『班女』の二番。
私は能評を書く立場にはなく、また近現代の文芸としても能評には疑問がある…能評とは単に事後報告にすぎない…という見解なので、昨日の能には触れない。

しかし、一つだけ改めて理解できた事がある。
いわゆる『狂女物、物狂い能』が、単純に思いゆえに狂うのではなくて、時に自ら狂気を発し、あるいは周囲を装うために狂う。
また、舞うことでトランス状態に入り狂う…など様々な形態があるという事だ。
そして、『狂う』という感情は否定されるものではなく、人間本来の意志疎通を取り戻したい、と願う表現なのだ…。

『班女』の主人公花子の場合、…恋の喜びだけを見つめている…そんな可愛らしさがある。
夢幻能『井筒』と同様に、恋の快楽が主人公を支配している。時に、恋愛は『恋をしている私が一番好き』…嫉妬は自らの愛の証であると、激情を吐露してやまない危うさを招く。
しかし『班女』の花子は『恋慕への追想』だけに指向している。
実際には、そんな感情だけで『恋慕』など成立しないのが現実である。
むしろ、先日に紹介した『籠太鼓』の妻の方が、様々な感情と駆け引きが交錯して、『狂う』という表現が多彩であると思う。
しかし、歌物語的手法で『狂女』を眺めると、花子が演じる『班女』の描写には、能が希求している『花』の価値が大きい。
そこに時間支配を離れた夢幻能的面白さを感じるのだ。

やはり罰あたり…

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昨日、訪ねてみた親鸞布教の地稲田御坊『西念寺』。
教行信証も当地で執筆されたと伝えられます。

少し足を延ばすと、笠間、結城、下妻などの有力御家人が支配する地域があり、さらに佐竹氏なども控えた場所が稲田だと思います。

私は信心というものは少なく、浅ましい人間にすぎません。
しかし、この地で哲学を深めた先達がいた…同じ場所にたってみる。
能の旅僧になった気分は味わえました。

しかし、親鸞の化身は現れず、小さな蛇が一匹…。
途中、立ち寄った笠間稲荷では、沿道に涼んでいた真っ白い猫を踏んでしまい…何事もなかったけど、思わず猫に謝りました。
罰当たりというか、日頃の行いの所業の悪さが知れます。

親鸞布教の地

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所用で茨城稲田御坊へ行ってきました。

稲田町は親鸞常陸布教の地として知られています。
山門の中は、ひっそりとして観光客はいません。ただ、大きな銀杏の下にヤマカガシが一匹…私は知らずに踏みつける寸前で、蛇は日光浴で眠っていたのか、慌てて逃げてゆきました。
清流や清水が湧く場所には、多い蛇なんですよね。

周囲は小高い丘や山に囲まれた地域で、関東平野の平板な地形ではありません。
この地から筑波山を遠望できます。
私は、西の比叡山を眺める風景と一対だと思っています。
親鸞布教の結果、多くの信徒を板東地方に生みました。その信徒の訛りが板東節になった…と記憶しています。
狂言などにも、板東節って出てくるようです。