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アブナい和装小物の使い方

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先日、表参道からの帰宅途中に見つけた路上着物市。
男物もあったが今一つだった。
と、帰りかけた時に見つけた帯〆や紐の一群…一本105円とは安い。
しかも、これは少し色あせたとはいえ正絹だ。化繊やその他に混じって下がっていたので、何かに利用可能と思い購入。

うーん…でも何に使う?

キリキリと絡み付く手触りは気持ちいいかも…そんで、いぢりながら思い付いた。

思わせぶりに…女性の着物って、男をそそるかも…。
(結局、そこか…)

女流と呼ばず

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唐突ですが、番宣です。

明日水曜日 午後6時半始
青山能『三輪』
シテ鵜沢光
鐵仙会能楽研修所
問い合わせ
03ー3401ー2285

シテの鵜沢光師は女性の若手能役者である。
あえて女流という言葉を用いないのは、私が古典芸能において『女流』と区分けする考えが好きではないのだ。
なぜ『女流』と区分するのか。
それは男視点で演出された芸能が古典分野には多いからである。
とある上方の落語家による言葉を借りるならば、…演目によっては女性が演じては『違和感』があるからだ…という事だ。
能においても、老体という(早い話が爺様だが…)を女性が演じるのは困難であると思う。
『高砂』の前シテ翁や、あるいは実盛といった老武者の姿は、女性には肉体にとっても未知なる分野とみる。
だが、前述の落語家は以下にも述べている…『いずれは、違和感を克服する女性の才能が出てくる』…そこに新たな才能の昇華が生まれると期待しているのだ。
能楽の世界でもシテ方、囃子方に女性の進出が増えている。

私が思うに、役者は観客の支持あってこその才能の昇華と思う。
そして、彼女たちが本当に支持を必要とするのは中年以降なのだ。中年以降を能楽師として、どう進化してゆくのか…この命題は、役者と観客の双方に問われている。
単に、女だから…と安易に見る考えは、近未来へ古典を創造するならば、まさに時代遅れだ…と言えよう。

ロリータ

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今日のやるせなさに居酒屋を探す…が、ワイン買って部屋で自棄酒。ロリータ・ピノノワール2005…ロリータという響きと名前で買った。

もうすぐ空きます。