女流と呼ばず
唐突ですが、番宣です。
明日水曜日 午後6時半始
青山能『三輪』
シテ鵜沢光
鐵仙会能楽研修所
問い合わせ
03ー3401ー2285
シテの鵜沢光師は女性の若手能役者である。
あえて女流という言葉を用いないのは、私が古典芸能において『女流』と区分けする考えが好きではないのだ。
なぜ『女流』と区分するのか。
それは男視点で演出された芸能が古典分野には多いからである。
とある上方の落語家による言葉を借りるならば、…演目によっては女性が演じては『違和感』があるからだ…という事だ。
能においても、老体という(早い話が爺様だが…)を女性が演じるのは困難であると思う。
『高砂』の前シテ翁や、あるいは実盛といった老武者の姿は、女性には肉体にとっても未知なる分野とみる。
だが、前述の落語家は以下にも述べている…『いずれは、違和感を克服する女性の才能が出てくる』…そこに新たな才能の昇華が生まれると期待しているのだ。
能楽の世界でもシテ方、囃子方に女性の進出が増えている。
私が思うに、役者は観客の支持あってこその才能の昇華と思う。
そして、彼女たちが本当に支持を必要とするのは中年以降なのだ。中年以降を能楽師として、どう進化してゆくのか…この命題は、役者と観客の双方に問われている。
単に、女だから…と安易に見る考えは、近未来へ古典を創造するならば、まさに時代遅れだ…と言えよう。
