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と或る新作能

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今日は原爆の日でもありました。
原爆投下を扱った『長崎の聖母』…という新作能があります。
難病との壮絶な闘病生活の果てに他界した免疫学者多田富雄の作品です。

私は、著書『能の見える風景』に示された多田教授の長崎に対する見解には、必ずしも賛意は出来ないのですが、あの戦争の惨禍を能として創作した熱意は素晴らしいと思います。

能という古典芸能が、新作能に選ぶ題材が太平洋戦争の惨禍…という試みは、パイオニア的価値も含めて意義深い。

あえて、声をあげることで歴史の積み重ねを否定せず、人々の財産とする…戦火に命を失った人々等は、自ら愛国者を演じ身をやつしたわけでもなく、また英雄になろうとしたヒロイズムでもないのです。
普通に生きる選択を奪われた人々だ…という事実を忘れてはならない、と思います。
この季節だけ戦争物を扱うテレビメディアが、私には今もって理解できないし、冷ややかな無責任さを感じてなりません。

師匠の言葉

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私が遅ればせながら
、将来は舞台や能写真家を考えている…と相談したのは、当たり前の事ながら、今日まで育ててくれた能の師匠へでした。
師匠より、かなり厳しい意見を言われた覚えがありますが、さらに追い打ちをかけて止めの一言が、師匠の奥様より…『まず、食べてゆけないわよ…あなたが能の世界で死ぬ気なら、苦痛でないなら、私は止めません』…でした。

苦痛がどうかは別にして、退路はない…
なかなかに大変です。

ある批評家の死

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映画評論家の今野雄二氏が急逝。
少しだけ記憶を辿ってみた。

かのテレビ東京の奇怪な番組『モンティ・パイソン』を解説紹介していたのが氏である。
私も当時、中学生くらいで、その毒を含んだ英国の皮肉な笑いに戸惑いながらも見ていた記憶があった。

この後に『スネークマンショー』が、若者に人気を得たが、社会風刺という視点では、『モンティ…』の方が遙かに上だったと思う。
しかし、解説者の今野氏が語る社会風刺というものに、現実との齟齬を感じたのも確かなのだ。

『モンティ…』の紹介者ではあったが、真に理解者であったかは少し疑問を感じた。
番組で、氏が『モンティ…』を真似る姿も、どことなく借り物めいて、その演技も無理をしている印象が強かった。
とは言え、数十年以上も前の記憶であり…確かではないのだ。

今は、文学芸術、音楽や映画評論も作家や評論家のコメントが、影響を全て左右する時代ではなくなった。
批評がプロの批評家の手で文藝とならない以上、次第に広く誰もがネットなどで自由に語れる分野となってゆくのは、自明の理だ。
それらが陳腐に俗してゆくのも、素人の悲しさ、拙さである。
そんな分水嶺にいたのが今野氏であった…と思う。
そして、改めて作家や文藝批評の道というのは『自らの死』と隣り合わだと思い知らされる…普通に社会生活や、まして家族子女など養えない…その決意がないなら進むべき世界であろう。
サイドビジネスや並立して生活を支える職業を持つべきだ…と言う意見も確かであるが、そういうスタンスならば(余裕のある方々の趣味)と大差はない。

しかし、そのくらいの『人生の余裕』があって始めて可能な世界なのだ、と思う。
他人を祝すのは難しい作業であるが、自分が報われた時には、周囲に感謝できる人間ではありたい、と願わずにはいられない。