ある批評家の死
映画評論家の今野雄二氏が急逝。
少しだけ記憶を辿ってみた。
かのテレビ東京の奇怪な番組『モンティ・パイソン』を解説紹介していたのが氏である。
私も当時、中学生くらいで、その毒を含んだ英国の皮肉な笑いに戸惑いながらも見ていた記憶があった。
この後に『スネークマンショー』が、若者に人気を得たが、社会風刺という視点では、『モンティ…』の方が遙かに上だったと思う。
しかし、解説者の今野氏が語る社会風刺というものに、現実との齟齬を感じたのも確かなのだ。
『モンティ…』の紹介者ではあったが、真に理解者であったかは少し疑問を感じた。
番組で、氏が『モンティ…』を真似る姿も、どことなく借り物めいて、その演技も無理をしている印象が強かった。
とは言え、数十年以上も前の記憶であり…確かではないのだ。
今は、文学芸術、音楽や映画評論も作家や評論家のコメントが、影響を全て左右する時代ではなくなった。
批評がプロの批評家の手で文藝とならない以上、次第に広く誰もがネットなどで自由に語れる分野となってゆくのは、自明の理だ。
それらが陳腐に俗してゆくのも、素人の悲しさ、拙さである。
そんな分水嶺にいたのが今野氏であった…と思う。
そして、改めて作家や文藝批評の道というのは『自らの死』と隣り合わだと思い知らされる…普通に社会生活や、まして家族子女など養えない…その決意がないなら進むべき世界であろう。
サイドビジネスや並立して生活を支える職業を持つべきだ…と言う意見も確かであるが、そういうスタンスならば(余裕のある方々の趣味)と大差はない。
しかし、そのくらいの『人生の余裕』があって始めて可能な世界なのだ、と思う。
他人を祝すのは難しい作業であるが、自分が報われた時には、周囲に感謝できる人間ではありたい、と願わずにはいられない。
