HOODのブログ -459ページ目

襟止め

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いわゆる『襟止め』。
能でも、仕舞を舞う場合などに使用。着崩れを防ぐ意味でも必要な用具。

そして、玄人素人を問わず似たような感想を持ち合わせる用具である。

そう…『他人に貸すと、返ってこない。』

高価な物ではないし、小さい上に舞台後の片づけの忙しさで
、貸した事をわすれてしまう。
タチが悪いのは、借りた相手が自分が終わった後に、つい別の人に貸してしまう事だ。
すると…もう持ち主は誰っ?という事になり消えて行くわけだ。

まぁ、戻っては来ない。

あまりの回収率の悪さに、社中の会などでも主催した師匠が、襟止めだけは貸し出すのを止めた方は少なくない。

自分の舞台が終わり、ヤレヤレ何とか無事に済んだ…と借り物を付けたまま紋付きを畳んでしまう人が多いのか…おそらく女性の場合だと、こういう事例は少ないはずだ。

まず、『あの人が付けた襟止めなんてイヤだわ…なんで、後の私が使わなきゃいけないのよぅ…』で、自分のを購入して愛用するだろうし、他人へ絶対に貸さないし、また借りないだろう。

嫁は、姑が着た着物や衣服を、姑が他界した後に最初一番に捨てる…とは、よく耳にする。

そういう『ケガレ』が、男の道具には少ないからなのか。
他人の襟止めを、気にもせず使って、忘れて返さない…そういう事なのだろうか。
一言で表現するならば、『総じて男性はだらしない』という証左かも知れない。

足袋

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足袋。

足袋を洗い続けて25年目…ずいぶん時間が経ってしまった。
学生時代、能楽サークルに入部して初めて履いた足袋から、おそらく百足近くは履き潰してきたはずだ。
舞台用に購入した足袋は、年三回くらいの使用ペースで約二年半で足先がほつれる。意外と足先や踵には負担がかかるのだ。
ほつれが出たら、稽古用に転用する。

以前は、都内に足袋屋が数軒以上あったが、今は消滅寸前だ。
学生時代は神楽坂にあった店を愛用していて(もう今はない)、たまに銀座に出た時は歌舞伎座近くにある足袋屋を使う。
舞台用の足袋が、普及品と異なるのは親指から足首にかけての縫い目と立ち上がりが鋭いという事だ。
能や踊りの玄人だと、店で足型を取って専用に作るそうだ。私は素人なので、そこまではやらない。たまに玄人の注文流れ品を入手して使用するくらいだ。
実際は、能楽師も普及品を愛用する場合が多い。
舞台用は足裁きを美しく見せるために工夫がしてある。ゆえに、歩いたり正座する用途には不向き。
長時間の謡や、ましてお茶会などには辛いだろう。

足袋を洗うのは風呂の時に一緒に行う。
片手にはめて、歯ブラシやスポンジなどで洗ってゆく。
後は干してアイロンを施して終了。

くたびれた足袋は舞台掃除用に使う。
稽古用は、その間くらいの状態。

足袋用ケース。
地方の工芸品や呉服屋の品、手前のは絹製らしいが…一番雑な使い方になってしまった。
真ん中にあるのが、いわゆる勝負足袋を入れるケース。
いずれも頂いた品で有り難く使用中。

足袋供養って、どこかでやっていないのか。
ありそうだが…ググるか。

600年前から今へ

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今の気持ちを能面で語るなら…この顔かな。

本日宵の口、私は地下鉄に揺られて帰路についていた。
電車内は六分の混雑でシートは帰宅を急ぐ乗客で全て埋まっている。

そこへ、生後間もない子供を抱いた若い母親が乗ってきた。
少し疲れているようにも見え、私にも彼女が席に座りたい表情は見て取れた。

だが、車内の誰一人として譲る気配すらない。
老若男女問わずに、一瞥すらしない。

中年の同輩諸氏よ、家に変えれば君らは父親ではないのか?
自分の妻が、同様な様子だったら席を譲るよね。

多くの女性方、あなた方は同性の子育ての難儀を、そこまで無視できるものなのか。

老人達よ、まさか支給される『子供手当』を恨んで意趣返しで、席くらいは我々老人の好きにしたい…そう考えているの?

青年よ…青雲の気概とは、利益を他人に譲るという、やせ我慢という事も時に大切なのだよ。

今から600年前、中世時代に人々は生命倫理という思考すら維持不可能な状況にさえ、願いとして『安寧』を祈った。

それら祈りが、『母子邂逅能』の主題として脚色されて、能『隅田川』や『百万』が制作上演された。
困難だからこそ、真摯に大切にしなければならない存在とは、第一義に『他人』なのである。

まだ奪い合うまで、我々は堕ちてはいない。
ならばこそ、先人の残した言葉や意識を再認識したいのだ。