600年前から今へ | HOODのブログ

600年前から今へ

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今の気持ちを能面で語るなら…この顔かな。

本日宵の口、私は地下鉄に揺られて帰路についていた。
電車内は六分の混雑でシートは帰宅を急ぐ乗客で全て埋まっている。

そこへ、生後間もない子供を抱いた若い母親が乗ってきた。
少し疲れているようにも見え、私にも彼女が席に座りたい表情は見て取れた。

だが、車内の誰一人として譲る気配すらない。
老若男女問わずに、一瞥すらしない。

中年の同輩諸氏よ、家に変えれば君らは父親ではないのか?
自分の妻が、同様な様子だったら席を譲るよね。

多くの女性方、あなた方は同性の子育ての難儀を、そこまで無視できるものなのか。

老人達よ、まさか支給される『子供手当』を恨んで意趣返しで、席くらいは我々老人の好きにしたい…そう考えているの?

青年よ…青雲の気概とは、利益を他人に譲るという、やせ我慢という事も時に大切なのだよ。

今から600年前、中世時代に人々は生命倫理という思考すら維持不可能な状況にさえ、願いとして『安寧』を祈った。

それら祈りが、『母子邂逅能』の主題として脚色されて、能『隅田川』や『百万』が制作上演された。
困難だからこそ、真摯に大切にしなければならない存在とは、第一義に『他人』なのである。

まだ奪い合うまで、我々は堕ちてはいない。
ならばこそ、先人の残した言葉や意識を再認識したいのだ。