HOODのブログ -444ページ目

卑屈な私

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…このところブログを放置する日が増えた。放置している理由は様々ある。

私は自らの個人的な日記として、日々日常の思いつきや、仕事に関する所感、たまに時事関連の感想などブログに書いてきた。

だが、ブログには限界がある…それは情報や即時性という意義において他に劣り、匿名である事から発生する無責任な邪さは払拭できない、という事だ。
それは私も含めて、ブログを書く者において『両刃の剣』であったようだ。

自分の意見として述べているつもりが、いつしか他人の視点に支配されて引用とコピーだけに埋もれてゆく…そういう危惧を避けながらブログを書いていたつもりだった。
しかし、結果としては、私自らの意見であっても、互いに匿名の存在に甘んじる限り、矮小な世界で積み上げただけの狭い地層に過ぎない…この卑小さが、実にいやらしく醜いように感じたのだ。

夜更け過ぎに、これ以上進めると論旨が破綻しそうである。
また、長文は読み手にキツい…以下、明日に展開する事にした。目が覚めて、展開が継続できればの話だ…。

部屋飲み

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残雪を惜しみながら部屋飲みをする。
正月に買った『奥の松』純米にごり酒。
肴は鳥手羽と豚塩焼き…焼き納豆、烏賊大根。

寒い冬は濁り酒が合うようだ。

今週は、ちょっとだけ世の中を拗ねて眺める事にする。

腕時計

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腕時計ならぬ針…。

サイトを眺めていたら、恋人心理占い…というのがあった。
その中で『腕時計について…』という項目があり、心理的に言うと腕時計とは恋人や伴侶に相当するとか…。
腕時計への扱い方、ブランド指向の有無などで、伴侶に対しての本音が判断可能らしいのだ。

ちなみに、私は腕時計を普段していない。手首に何かついていると撮影仕事に邪魔だからである。
つまり、妻や恋人など邪魔だ…と言う事か。
しかし、私が腕時計をしないのには理由がある。

お茶などを習う人ならば周知の事だが、能の場合でも、本番舞台はもちろんだが、稽古に臨む時も身につけた金属類は外す約束がある。
腕時計、指輪、ピアス…等。

この所作が、学生時代より能サークルでの稽古を継続してきたために、私は無意識に身に染み着いている。
仕事に向かう時は言うに及ばず…何をするにしても気持ちを集中する時は、腕時計が邪魔に感じるようになってしまった…のである。
酒を飲むときですら邪魔に思える時がある。

そんな状況から時計を外す癖がついて、さらに外した事さえ忘れてしまう事も多い。
だから、携帯で時間が判るようになってからは、私は腕時計を付けなくなった。

腕時計が伴侶や恋人への心理対称であるとすれば、…私には一生不要だ、しかも無くしやすいという結論になるが…別に伴侶は(不要)ではない、だが私は経済的には(扶養)は出来ない…この現実問題が本音だったりする…な。