橋掛かりを疾走?
先日からの金剛右京の藝話を読んでいた。
大鼓方の石井流に『翁』流し打ち掛かり…なる小書きがあるそうだ。
モミ出を幕内から打ちながら舞台に出る…明治十一年に演じられている記録あるのだが、近年に上演されたのか知人に尋ねてみると、これが結構にあるらしい。
事の発端は江戸時代、場所は関西の某所某日、お殿様ご臨席で翁付の能があった。
その時間に遅刻した某囃子方師…もはや切腹を覚悟で、幕内より橋掛かりを打ちながら正面に走り出て、そのまま正面の殿様に挨拶して前を向いたまま正面に背を見せずに、後ろに下がり着く…という型なのだが。
これが殿様にウケて、小書きになったという…真偽は不明の話だ。
実に嘘くさい…『翁』神事はぶち壊しだし…潔斎して『翁』に臨む他の役者が黙っていまい。
しかし、意外と失敗を(笑いでカバー)ですませる関西のノリなのか。
近年でも十年サイクルあたりでの演能記録や映像はあるらしいので、そろそろ誰か演じるかも知れないな。
ふふふっ…。
見たい…単なる興味本位の野次馬。
藝談というものは。
古書店で購入した金剛右京・三宅讓(のぼる)聞き書き『能楽藝話』檜書店、昭和46年刊
聞き手及び編者の三宅讓は、文体や能役者への質問において癖が強いのか、勿体ぶった質問の仕方と受け方で、けっして上手な聞き手ではない。おそらく、下手をすれば役者を怒らせるだけだったと思う。
だが、役者から本音の引き出しに成功していることは確かだ。
何よりも、この本に価値を見いだすとすれば、金剛流正統の家元による最後の藝談であった…に尽きる。
総じて、能役者の藝論は読み方において毒にもなり薬にもなる。皮相的に『通』になりたいならば必ず読破して、記録されている小書きや演出を暗記し、その舞台が上演される際に生かさねばならないだろう。
『通』になる事は、まさに能楽サロンを形成する上で不可欠な作業なのだ。
そして、楽屋落ちに至るまで、見聞すれば怖いものはあるまい。
世阿弥の云う『目利き』の誕生である。
能楽においての『通』にならねば、確かに通用しない世界(学術的にも)ではあるのだが…『目利き・通』が即ち能楽の碩学たるか、理解者であるかと問われれば違うように思うのだ。
ところで、この本には少数だが舞台写真も掲載されている。
しかもストロボ…当時はフラッシュ電球を燃焼させて撮影したようだ。(あるいはマグネシウムをボンと焚く。)
演能中にフラッシュなど現在ならば絶対にあり得ない。
しかし、当時のフィルムの性能では撮影は困難であったろう。なおさら、カメラによる写真撮影は貴重な記録だったはずだ。
ゆえに、写真家は恐縮しながら撮影していたに違いない。
観客からの冷たい視線と、当然の事ながら能楽師からの小言の山を頂戴する…その胃の痛くなるような当時の撮影者の気持ちを察すると、いつも苦労の連続であったと思う。


