藝談というものは。
古書店で購入した金剛右京・三宅讓(のぼる)聞き書き『能楽藝話』檜書店、昭和46年刊
聞き手及び編者の三宅讓は、文体や能役者への質問において癖が強いのか、勿体ぶった質問の仕方と受け方で、けっして上手な聞き手ではない。おそらく、下手をすれば役者を怒らせるだけだったと思う。
だが、役者から本音の引き出しに成功していることは確かだ。
何よりも、この本に価値を見いだすとすれば、金剛流正統の家元による最後の藝談であった…に尽きる。
総じて、能役者の藝論は読み方において毒にもなり薬にもなる。皮相的に『通』になりたいならば必ず読破して、記録されている小書きや演出を暗記し、その舞台が上演される際に生かさねばならないだろう。
『通』になる事は、まさに能楽サロンを形成する上で不可欠な作業なのだ。
そして、楽屋落ちに至るまで、見聞すれば怖いものはあるまい。
世阿弥の云う『目利き』の誕生である。
能楽においての『通』にならねば、確かに通用しない世界(学術的にも)ではあるのだが…『目利き・通』が即ち能楽の碩学たるか、理解者であるかと問われれば違うように思うのだ。
ところで、この本には少数だが舞台写真も掲載されている。
しかもストロボ…当時はフラッシュ電球を燃焼させて撮影したようだ。(あるいはマグネシウムをボンと焚く。)
演能中にフラッシュなど現在ならば絶対にあり得ない。
しかし、当時のフィルムの性能では撮影は困難であったろう。なおさら、カメラによる写真撮影は貴重な記録だったはずだ。
ゆえに、写真家は恐縮しながら撮影していたに違いない。
観客からの冷たい視線と、当然の事ながら能楽師からの小言の山を頂戴する…その胃の痛くなるような当時の撮影者の気持ちを察すると、いつも苦労の連続であったと思う。
