HOODのブログ -413ページ目

徹夜

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一昨日、若旦那は早朝から女子サッカー決勝とやら見るからって、昨夜から夜っぴいて起きていたようだった。。

で、俺なんだが…横で付き合わされて、今は眠いのなんのってないよ。
テレビを見ながら、若旦那は「ぉぉおーッ」とか「ぐぬっ!」など、突如気勢をあげるから、こちらは居眠りすることも叶わねぇ。

おまけに、うっかり若旦那の足下で寝たりしていると、思わずボールの代わりに蹴られたり、踏みつけられる恐怖があるんだ。

ご隠居夫婦が猛暑やら何やらで、具合が悪くなっちまって、その看病もあって、まだ若旦那は江戸に帰らねぇ。

しかし、このまんま田舎に根が付いちまっていいのかねぇ。。
江戸では仕事がねぇのかな?

俺としちゃあ、大好物の『うさぎ屋のどら焼き』を土産に、忘れた頃に帰ってくる若旦那が一番ありがたいね。
土産物を、ご隠居さんよりご相伴に預かれるから嬉しいねぇ。

古びた器

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親子三代で使われた変哲もない鉈彫りの菓子用小皿。大正中期、父方の祖母が買った嫁入り道具の一つだったと思われる。
戦前から戦後、何故か捨てられる事なく、今日に至る。
二束三文以下の器だが、私家的に百年近く歳月を渡ったという価値だけはあろう。
一つの道具や器などを何代にも渡って使い続けるという事は、名物の茶道具なら聞く話だが、日常に用いる品では近年は稀になった。

少し前、薪で炊く風呂を使っていた頃、古びて壊れた木製品等は鉈で割って焚きさしに使ったりして、その役目を終えたものだ。
(私は薪での風呂焚きが得意)

こうした道具類は、何かの使う人間達に生活や感情の変化があると、その時期から家の押入の中や、棚の奥深くに姿を隠す。
そうして、数十年以上の眠りに付いていたりする。道具にも意志や魂があるのか…と思えたりする。

そして、突然に何かの言葉を語りかけるように、ずっと使われていた顔をして、姿を見せたりする。

実家の地

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都会の深夜。ラーメン屋のカウンター、ちょっとした孤独を味わう。軽くエトランゼ気分で麺をすする。

日本なのに、どこか他国に来ているような異質感がある。
それは都会だからなのか、単に私が一人きりであるからなのか。しかし、不思議に心が落ち着く。
そこが異質な者同士が集まる空間ゆえなのか。。
才能と努力だけでは乗り越えられない格差社会の存在を思い知らされると、それが都会の生活だと知った上で、私は東京の暮らしが好きだ。金持ちや貧乏が、それぞれに暮らせる町でもある。

対して、田舎の夜は都会に比べて静かだ。
故郷の安らぎと呼ぶよりも、この地に縁のないものを拒絶するような闇の深さを感ずる。