ピエロと愚者は異なる
目に見える震災の痕跡より、実体や気配を感じ取れない放射線被害の方が遙かに怖い。
しかし、視覚されない日々は恐怖の意識を希釈してゆくようだ。
しかし、恐怖と畏れが希釈されたからと言って、問題が実際に解決している訳ではない。
真実は何も判らないまま、日々は進む。やがて、我々の日々の積み重ねは、将来の歴史愛好家が好みそうな『歴史の評価』としてバラエティ的なコメントを添付し、編纂されてゆくのだろう。
愚かな選択をしたのは国民自身であったのか。
『歴史の評価』を待ちたい…と国のリーダーが云う。
後世の人々に何を託しているのか全く不明な人物が、評価だけを求めるという無知蒙昧さ。
そして、連日のようにポピュリズムがポピュリズムを排撃している低俗な二元論が続く…それは、さながらホメロスの詩劇を、陳腐で出来の悪い歴史悲劇と狂言に変えて眺めさせらている気分になってくる。
大木の写メは樹齢400年の欅。







