摩利と新吾
木原敏江作「摩利と新吾」は、1977年から『花と夢』に連載された少女向けとは言いながら、優れた恋愛劇画である。(訂正→掲載誌はLaLaであった)
なぜ急に少女マンガに触れるかといえば、私のツィッター繋がりの知人が「摩利と新吾」を話題として偶然に出してきたからだ。
私は「摩利と新吾」を、学生時代に後輩の女子学生から「イチオシッ!」と、薦められて読んだ。
それで…懐かしい、というのではない。
むしろ、忘れていた『正しい記憶』を思い出した、というべきか。
この作品が執筆された頃は、まだ(ボーイズラブ、腐女子)などの言葉もなく、あくまで「まっとうな恋愛ドラマ」として作品は描かれていた。
究極の恋愛とは、どのような姿なのか?
その問いかけに、魅力溢れた各人物設定と合わせて、「まっとうに…」答えてくれた作品であった。そして、私の恋愛心理へ多少なりとも影響を与えられたと自覚している。
※ボーイズラブに目覚めた訳ではないよ。恋愛を自省的に眺めるきっかけを与えてくれたのだ。
ただ、残念なことに春の震災や実家引っ越しで全てを廃棄せざるを得ず…今は手元にはない。
もう一度揃えてみようか…。
さて。
月と蜘蛛
昨夜の満月は見事だった。旧暦八月十五日に満月が当たるというのは六年ぶりらしいのだ。
深夜、蒼く光る月に照らされる街並みを眺めた人は少なからず…であろう。
私事ながら右肩関節に異常が見つかり、今月は、いささか鬱気味に過ごしていた。鬱気味というより『怠惰』であった。
重く固まった肩は、薬効が消える時間になると痛む、むろんボールを投げる、竹刀を振るなども無理だった。
撮影機材を持つ腕には力入らず…全てが億劫。
このままでは写真撮影に対する覇気まで消失する…人の行動力とは、つまり戦闘能力に近い。餌を取る作業が危ぶまれる事は動物においては『死』だ。
どんな仕事というものは、必ずリスクがある。しかし、そのリスクを依頼主に負わせてはならない。
注文依頼を受けて成立する世界である以上は、全てに『言い訳』は皆無なのである。
満月が上がる少し前の夕暮れ、一匹のオニグモが天空を歩くように巣を張っていた。
サワサワと空を歩く八本の足が忙しさを増す。
『…ようやく待ちわびた満月。月の光に誘われて空舞う虫達を今宵は沢山捕まえようぞ…』
蜘蛛はサワサワと空に巣を張り続ける。
いや、次の瞬間に鳥に自身も食われてしまうかも知れない。それでも、今を見つめて巣を営むのだ。




