傘も見苦し
昨日より雨が降り続く。
仕事的には雨天とは、けっして宜しくはない天気だ。撮影機材は濡れるし、何かと左右されやすい仕事先の客は減る。
それでも、私は大声で言いたい。
『雨が好きだ』
何より雨天独特の空気感が良い。特に新緑の初夏と紅葉の晩秋、季節の雨との組み合わせは撮影とかを無関係にしても、目に鮮やかで趣深い。
撮影手法としては、出尽くしていると思うのだが、かっての広重や北斉が残した作品のような雨を描いて…いや、写してみたい、と思う。
深夜に雨足は強くなる。太鼓のバチを打ちならすように激しく叩く。
妄想の中で、雨に沈み込む自分の肉体を思い浮かべる。
沈み込んで、やがて朽ち果てる…自然に還るという事とは、そういう姿なのだろう。
雨の中、傘を差して街を行く自分の姿を、遙か上空から眺めてみたりする。
ぁあ、俺が歩いているな…どこに行くんだ、あいつ。
雨の日の過ごし方、一人妄想を楽しむには丁度良い。
ぐちゃぐちゃに濡れたからって、苛ついても仕方ない。
天気の決めた事なのだ。
水滴
朝から雨は降っていたが、古い撮影機材を持って趣味的に写真遊びをした。
機材は、今や懐かしいアサヒペンタックスSPにタクマー55ミリ・1.8とヤシノン135ミリ・2.8の組み合わせ。
近くの林まで行って、薄暗い小道で濡れた木々や葉、花を撮る。
久しぶりに持ち出したSPは、機械式シャッターの作動音が心地よい。仕事でなければ、機械式カメラの方が私は好きだ。
被写体を考えながら、一枚づつ巻き上げて撮影のリズムを作る。
ファインダーを通じて見た被写体と、実際に見る相手(被写体)には、意識・無意識に差が生じてくる。写真とは、この双方の差異を撮影作業で補完して完成した結果なのだ。
撮影状況や心象に付帯した言葉を加えて写真作品を補う手法もあるのだが、私は可能な限り撮影した作品だけで完結させたい。
言葉とは万物を補えるようで、実はひどく無力で愚かしいと思える場合が多い。確かに、言葉は人類の英知を伝えるツールではある。
しかし、言葉の使い方は賢明であろうとすれば、するほどに使えないものなのだ。
ゆえに、言葉で真実を伝えるのが難しい。
写真の話だったが…道が逸れた。


