HOODのブログ -359ページ目

上杉熊松

HOODのブログ-CA3A0112.JPG

写真は母方曾祖父の上杉熊松。以前、ブログで書き込んだ事があるはずだ。
(向かって右から二人目の和服に眼鏡をした男性が曾祖父熊松。明治時代に米沢で美術講師をしていた。一時期は明治学院で絵の先生をしていたが…戦災などで作品が残ってない)
最近、私の従兄弟も熊松を調べているようですが、もはや資料が少なくて親戚にもあまり残っていない。


祖父によれば、かなりの癇癪持ちで、剣術の名手。かるい喘息持ちで米沢の冬は苦手だったとか。

曾祖父は酒と能が大好きだったという所だけ、二世代を飛び越して私で発揮されたようだ。

母子草

HOODのブログ-CA3A0527.JPG

見事な晴天の一日だった。半袖の夏姿で歩けるくらい熱く懐かしい太陽。

そんな休日、来る夏に備えて部屋の空調を一日かけて掃除をした。何かと手間がかかるけど、手入れしないと『水を吹く』厄介もの。


朝から開始した作業は、昼下がりに終了。ブラシやら重曹水、雑巾、新聞紙、掃除機など…今年は例年になく丁寧にやってみた。
清掃後、試運転の状態も良い。


夕方、今夜はスーパームーンという事で月を見に散策をする。
陸橋の歩行者用階段に咲いていた『母子草』…人が消えてしまえば、街の全てが木々や草に覆われてしまうのだろうな。

街角スナップ

HOODのブログ-CA3A0520.JPG

何かを写真として構成したい、自分でテーマを決めたり…行くあてもなく都内を歩いてスナップしたりする。


スナップ撮影は、私のテーマである能の舞台撮影とは違う手法だし、さして緊張もなく気が張らない。しかし、スナップ撮影など作品仕事ではない…と言えば嘘になる。


写真はリアルリズムだと人は云う。
確かにリアリズムではあるけど、常に撮影者の意識において加工されている。

リアリズムの視点だけでは、おそらく撮影者の哲学とか理念は作品に反映されないだろう。
リアルであることが『高い芸術性』に結びつくとは限らない。自明の理だ。

リアルを追求しただけの写真とは、結局は続かないものだと思う。
作者本人のエゴイズムが昇華、反映されて初めて『世に問う作品』になるのだろう。


そういう意味で、私は人物撮影が一番好きだ。少なくとも、二人分のリアル&エゴが作品に写るのだから、次に何が起こるか判らない撮影の醍醐味を感じる。
スナップ撮影の楽しさは、時に思わぬ出会いがあったりするからなのだ。


そして人との作品において大切な感性…それが『相手に触れる真実』だと私は信じている。

規範とか正義が好きな人は『無駄に人に触れない』ものだ。そして、人の中にある真実を排除する。
もし、人を写した作品写真が真実を見落とした場合、現実以下の味気ないものだ…すぐ消せる画像ばかりでは、つまらない。