庭作り
今夜は雨降りもあって早めに帰宅。
『仕事ハッケン伝』を見ていた。今日のテーマは麒麟川島の庭師挑戦。
昨年来、私が始めた趣味の一つが『庭作り』なのだ。実家の改築で、最初から作り直しになった庭。半年以上、身近から集めた材料や庭石を敷いたり配置して、下草を植えた。
日も当たらず狭い庭を、少しでも広く見せて明るく作る。
家が山ならば世間や社会は大海である…そんなコンセプトを立て、河に見立て砂利と敷石を入れた。
同じく改築になり不要となった隣家からも戴いた石や植木などもある。
庭とは、その主の精神の顔だと私は思っている。
『遊び』と『規律』が描けている庭は、単に美しい、お金がかかっているだけで終わらない風景になるはずなのだ。
まぁ…今夜の番組。京都の庭師仕事に興味があったのだが…。
最大の目的はゲストの『みぃちゃん』であったのは言わずもがな。
戦場において
早、九月。
選挙と言えば、『選抜』総選挙…と連想する私の脳内連想。
テレビでは自民党総裁選挙報道…しかし、今やセンター無きチームJの様相。
忘れ去られた長老達の突然の推し変が、さらに混乱と錯綜を呼ぶ。
センターの顔、そして資質とは何か。
そこはアイドルから学ぶ部分も多々あるだろう。
しかし、最近流行の政治グループの顔色を伺いながら立候補するような残念さだ。
どうにもアイドル以下の期待感と薄っぺらい存在に見えてくる。
人は人生の戦いに於いて、城を捨て野に向かい陣を張って、決死の思いで立ち向かわなければならない時が一度や二度はある。
身を捨ててこそ、共に戦う仲間も現れる。谷垣さんなどは利に賢く『死に場所』を失ったようだ。
もし、加藤の乱に飛び出していれば、間違いなく苦渋を舐めただろうが、逆に今頃は盟友の支えを得ていたかも知れない。
センターとは矢面であり、一番先に狙われる。時に名将とは、実は有能な部下に全体を指図させ、自分は最前線で戦う。チームJが情けなく見えてしまうのは、後陣に有能な部下なく、前線に大将立たず…の有様だからだ。
かの徳川家康は晩年まで、自らを交えた戦陣のシュミレーションを怠らなかったという。
経験者とは、自らを省みて身を処するものだ。
先の補足
言葉とは人間が発明した道具である。
人類の英知を表現するためにあると言っていい。
そして、人類の歴史とは、近現代まで戦いと救済の反復であった。
だが、このあたりで気が付いた方が良いのかも知れない。
人類の英知だけでは、人類の救済は叶わず、戦いに勝利もない…それが真実ではないか。
言葉とは、その意味の中でしか有効ではない。
本当の勝利や救済を得たければ『生きる目的を言葉などにはしない』ではないのか。
つまり、端から『私の人生に意味などはない』が答えに思えてくるのだ。生きる意味を持とうとするから煩悩を抱え込み、菩提から遠ざかる。
そう思えば、私の仕事にも意味などはない。ただ、人に求められ誠意を尽くすだけだ。
ひとときの僅かな精神的楽しみがあれば良い。
それが、たぶん私においては、今はアイドルであったりするのだろう。
少なくとも考える機会を与えてくれた事に深く感謝している。
ありがとう、おやすみぃちゃん
Ψ(ΦωΦ)Ψ





