自虐に自虐を重ね着する
夕方、ラボの帰り。
古着屋などを見ていた。
私が二十代半ばの頃は、デザイナーブランドが流行っていた。少し背伸びした学生などは、こぞって買い求めていた。
そんなキャンパス風景を眺めていた当時の私は、いったい何を着ていたのだろう。
駅前のスーパーで買った薄赤いシャツに、父親が着なくなったスーツの上着、母親が見つけてきたパンツやジーンズを合わせて適当な『自称こーでねーと』をして街を歩いていた。
後輩らに『それ、変ですよ』と言われつつも、どうせ金も容姿、補うべきセンスもないから…何を着ようと、どうでもいい的な自虐感覚に満ち溢れていた。それは、今でも変わらないのだが。
しかも、中年は、ある日を境にして、何を着ても似合わなくなってくる。
老化とか、劣化というヤツだ。
怒りは肉体を鋼に変える。
えーと、北斗神拳の奥義だったかな。
だが、中年は体が緩む。緩んだ肉体は秘孔を刺す必要もなく、ブべッ!、アベシ!と崩壊してゆくのだ。
今さら怒ろうが、鍛えようが時に遅し。間に合わない。
結局、古着の中から捨て値で売られていたパジャマ代わりのシャツを一枚買った。
教訓。考えるな。心は裸で良い。
禁煙で良い
携帯の機種更新をして、漢字を今までよりも多用できる事が嬉しい。
例えば、花筺という能番組。(はながたみ)と読む。
あるいは鵺。
または猩々
観世銕之丞とか銕仙会、代々木果迢会(果迢とは、能に果て無し、という意味らしい)
要するに、前の機材では、能ブログを書くにも事欠く文章しか作成できなかったから、(能の粗筋を書く際には)不自由な中で工夫していたのだ。
私は思い付いたら、書き込むタイプなので、路傍に立ち止まって更新ネタを書いたり、能番組のメモやヒントを書き留める。そういう使い方も可能だ。しかも電池の強さは安定している。
さて、先程の焼き鳥屋…煙草に追い出された結果となったが、どうにも耐えがたい。
こちらも人生、先が長い年代ではない。我慢する所では、社会の礼儀として忍ぶけど、金払ってまで苦痛を買う必要は感じない。世間には、パチンコ屋の前を歩くだけで、煙草の排煙に気分が悪くなる人間もいるんだよね。
ちょっと喫煙に対してはヘイトスピーチ気味だけど、これは仕方ない。
蛇足。私も、実は一時期喫煙をしていた時代があった。一推しはセブンスター。これが絶妙に美味い。
逆にマイルドセブンとかキャスターが苦手…。
人は変わるもんです。
焼き鳥屋
休日の過ごし方を忘れたかな。
のぼうの城、見ようかなとシネコンの前まで行って、あまりの人混みに疲れて帰宅途中。
店や他人に気を使いながら酒を楽しむ気分ではない…。
いつも混雑している駅前の焼き鳥屋に行ってみようか。
昨夜の飲みにて、友人等より急逝した知人が残したブログがあったのを聞き、今しがた眺めていた。
日頃、彼は飲み歩いていたようで、流すようにつらつらと綴っていた。
能に茶道、ジャズライフ等多趣味で、良い社会人でもあった。
読み進めて行くうちに、数年前に私が写真展を開いた時に来場してくれた記載を見つけた。
彼には借りもあり、今だ返せずにいる。
まぁ、当分返せとは言いに来ないだろう。
『何やってんですか~、しょうもなか…』
いずれ、君に会う機会があるだろう。
お礼は、その時に。
一人居酒屋で焼き鳥。カウンターは鳥を焼く炭の匂いと、煙草で辛い。
やはり、煙草は好きになれない。もう、一杯呑んで帰ろう。
『僕は博多ですよ。いきなり団子は熊本、博多ぢゃなかと…』


