自虐に自虐を重ね着する
夕方、ラボの帰り。
古着屋などを見ていた。
私が二十代半ばの頃は、デザイナーブランドが流行っていた。少し背伸びした学生などは、こぞって買い求めていた。
そんなキャンパス風景を眺めていた当時の私は、いったい何を着ていたのだろう。
駅前のスーパーで買った薄赤いシャツに、父親が着なくなったスーツの上着、母親が見つけてきたパンツやジーンズを合わせて適当な『自称こーでねーと』をして街を歩いていた。
後輩らに『それ、変ですよ』と言われつつも、どうせ金も容姿、補うべきセンスもないから…何を着ようと、どうでもいい的な自虐感覚に満ち溢れていた。それは、今でも変わらないのだが。
しかも、中年は、ある日を境にして、何を着ても似合わなくなってくる。
老化とか、劣化というヤツだ。
怒りは肉体を鋼に変える。
えーと、北斗神拳の奥義だったかな。
だが、中年は体が緩む。緩んだ肉体は秘孔を刺す必要もなく、ブべッ!、アベシ!と崩壊してゆくのだ。
今さら怒ろうが、鍛えようが時に遅し。間に合わない。
結局、古着の中から捨て値で売られていたパジャマ代わりのシャツを一枚買った。
教訓。考えるな。心は裸で良い。
