HOODのブログ -258ページ目

自分を信じる忍耐力

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最近、天気が良いね。

もう、真夏も近い。


一昨日、サッカーで本田圭佑選手によるPKの一点、今夜の巨人対日ハム戦の小笠原道大さよならホームラン…両者には、共通する何かがある。

本田は『持っている男』…などと言われるが。

小笠原の打席、タイミングは悪くないが、バットを振りだすと右足の軸が流れる。
振り切った打球はファールが続く。

ひたすらライト側への引っ張ったスタンス。全盛期の小笠原ならば理解できるが、衰えの目立つ右足の重心は、それでもレフト側へ流し打つ気配はない。
少しずつ修正をしつつ、ファール打球は鋭さを増しつつあるが追い込まれてゆく小笠原。

しかし、結果は投手がインコースやや低めを狙った勝負球を本塁打。最後まで自分のスタイルを貫いた姿…これを、どう表現したら良いのだろう。


一徹な頑固者さ、自分の技術を信じて、自らに賭けた勝利の姿という事か。


昨夜のサッカー試合も終盤、日本は一点差のビハインド。しかし、偶然に招いた豪州チームのハンドからのPK。
そのミスをもたらした力も、本田を警戒する豪州の選手達が感じた、本田が身に纏うオーラゆえの作用でもある。


本田が何か持っているというより、周囲の状況がどうであれ、自分のスタイルを捨てていない。


自分を信じるのが、一番難しい。

鏡の中にある迷路

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ちょい体力低下中。

夏バテではない…ただ、まったく食が取れない。でも、元気なんだけど、食べ物を見ると気持ちがあるくなる。


閑話休題。
一応、学生時代から継続している能の稽古。近年は、稽古数は回を増やせないのが残念。


舞いの稽古をする時、私は鏡とかビデオはあまり使わない。
ひたすら自分の身体バランスを、自分の皮膚や体内感覚で計りながら舞う。


特に、稽古に『鏡』を使って舞うと、絶対にナルシズムというか、鏡に合わせた舞いが身に染み付いてしまう。

なぜ、それが良くないのか?
鏡は平面であり、空間はない。

しかし、能舞台は三間四方、さらに観客席へと空間は広がる。その奥行きをまで支配するのが、舞台に上がる役者や歌手、躍り手だ。
それはプロアマに関係はない。
舞台に上がれば、一人の存在でしかないからだ。

その存在を自在に増幅する能力を、『鏡』は安易に演技者に身に付いたように錯覚を与えてしまう…と私は思っているが、さらに推敲して触れてみたい論点ではある。

鏡を見ながら、若い女の子がダンスの練習をしている… 動きの確認としては否定しないが、あまり鏡の中にいる自分を信用しない方が良いよ…と言いたくなるのだ。

以前、テレビ番組で紹介されていたアイドルグループの子達が、鏡見ながらトレーニングしていた。でも、人によっては落とし穴なんだよな…。

追想の風景

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東北の山々が車窓に見えてくる。
阿武隈山脈の中腹に、白抜きの大文字が新緑の中に映える。

『酒は大七』


福島県内地元の酒造看板なのだ。
これを見ると何となく関東から東北の地に踏み入れた気分になる。


四十年も前の沿線風景だ。

旅行に耐えない弱さで、体の幼かった私は両親達の実家に帰省するぐらいが限界だった。

半ば、疲れが身体を支配した辺りに、この『酒は大七』が目に入ってくる。

…はぁ、あと一時間くらいか…。

あるいは秋の夕暮れ。雨煙る山裾に刈穂が並ぶ農村。

ぽつん、ぽつん…と電柱の笠を付けた裸電球に灯りが点る。

そんな光景が、一瞬に入れ替わりしながら、幼い私の記憶が増えてゆく。


私も中年期の峠を、いずれ越えようとしている。なのに、車窓から眺める気分は変わらない。


多少変わったのは、酒を飲みながら風景を楽しんでいる事。