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異端審判とアイドル…參

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最初に断っておくが…改めて言うまでもなく。
私の推しメンは…『峯岸みなみ』である。まず、ここを強調しておく。


『処刑場のアイドル』

例えば、伝説としてジャンヌ・ダルクや聖カタリナの審判による処刑が思い浮かぶ。いずれも伝説に描かれる姿は、聡明で可憐な美少女であるが、やがて火炙りにされたり、残虐な拷問で惨殺されている。

私の推しメン、峯岸みなみは性的スキャンダル(真実は闇の中。ただ事実がメディア審判にあげられた…)を懺悔し、無惨に刈り取った坊主頭の姿を映したYouTubeの動画は社会問題になった。


時に西欧社会ならば誰もが、真っ先に連想したに相違ないのは、かって教会の意義に反し異端審判で拷問処刑される少女という様式だ。

あの動画は、そういう作為に満ちている。斜光線からの照明、粗末な衣装(まさしく処刑される姿に近い)、そして宗教画背景に似たホリゾン。


彼らは(運営)、峯岸みなみに見事な演出を施すことで、強烈なインパクトを観衆に与え…『それほどの罪を少女は犯したのか?』…と問いかけた。
…我々は恋愛禁止の教義遂行者である前に、一人の人間として生きるべきだ。その生き方を尊重すべきではないのか?

さながらモンテスキューばりの法廷戦術である。しかし、ここにカトリック的『異端審判』を逆手に扱った弁証術、メンバーや観客を巻き込んだ『改革論争』を提示している…。

異端審判とアイドル…弐

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MNB48のシングルに『純情Uー19』という歌がある。

女の子が彼氏から、今夜家に来ない?、と誘われるが、まだ守りたい女の子の純情は守りきれるのか。。


歌詞の一部…♪大人にはなれるでしょう、いつの日にか。だから、もう少しだけ鉄のパンツ…♪

と歌う。鉄のパンツ…つまり『貞操帯』である。
単純に、十代の男女交際に笑いを含ませて、淡い処女性を求めた歌詞に見える。

しかし、この歌詞を難波の少女達に与えた作詞家秋元康の創造世界とは、かの西欧中世のカトリック司教と同様に、苛烈な精神性を少女達に希求したように、私は思える。

少なくとも、『貞操帯』を言葉の上であっても装着させる言語思考は、我々日本人には本来ない。
私的見解だが…若い少女に『鉄のパンツ…貞操帯』という歌詞内容は、かならセンセーショナルでもある。

私は、作詞家秋元康の作詞やプロデュース哲学に、中世カトリック的原理をデザインや精神的意匠として組み込んでいるように思えるのだ。

処女性を維持した娼婦か、あるいは娼婦として生きる処女か…である。

それは肉体的男女の関係を否定し、精神的セックスのみを真理とする教理を感じる。

ゆえに…あの事件と顛末がある。

異端審判とアイドル

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多少、我田引水気味な論を展開する…。

拷問博物館という歴史的学術展示物を集めた場所が、イタリアの古城にある。
その一部展示品を明治大学が主催で公開された事があった。


『異端審判』の名において行われた宗教弾圧に、これらの道具が使われた…さて、ここから私の個人的妄想が加味される。
解釈によって危険な展開になるかも知れない。
資料を部屋のどこにしまったのだか…。


鉄製のロバ頭の面、内部が一面針で、閉じられると全身を刺し通す人形の箱(かの有名な鉄の処女だ)…あるいは鍵の付いた鉄の貞操帯。

そして…数本の鉄棒が組合わさった奇妙なモノがあった。


上下に二本、交差するように作られていて棒の先には金具…。
これは一人用の他に二人、もしくは三人の罪人を同時に繋いで苦痛を与える拷問の道具。

勝手に各人は手や足を動かせず、必ず三人が同じ動きをしなければならない。


魔女狩りで捕らえた女性達、あるいは教会に抵抗する者達を屈辱と苦痛に置くことで、教会への批判を認めない装置のひとつ。

そういう激しい拷問のシステムや異端審判、魔女狩りは我が国には歴史的には一部であり稀有だ。

だから、当時の教会側のようにユダヤ教への異質な違和感を我々は持たない。
ゆえに、西欧文化の視点から眺めたような『異端』に対して、我々はタブーに鈍感な部分がある。