君の名は…記憶の薄暮
映画『君の名は』が人気らしい。映画と言えば、まだ『シン・ゴジラ』も観てはいない。田舎暮らしで映画館が近所にないのだ。隣町の映画館まで足を運んでも、すでに上映時間が夜の部だけで、帰宅する電車が…ない。
まぁ、シベリアの流刑地暮らしでは仕方あるまいな。
で、『君の名は』は、たぶん私とは無縁な作品ジャンルだ。何しろ人生で語れるような恋愛経験は皆無に近いので、今さら感想とて持ち得ない。
反響が高じて、描かれる舞台となった場所を『聖地』と呼び訪問がファンの間でブーム化しているのだとか。
ふぅん…『聖地』ね。
私事だが、学生時代に『ノルウェーの森』を読み、『ぁあ、あの場所か…』と奇妙な符丁を得た。
そして、ある日思い立つように、四ッ谷の外濠公園から見える某女子高を眺めた。
『聖地』探訪のイベントも、やがて時が経って小さな傷となり疼く。数十年後、誰かが呟くのだろうか。
火葬
ふと…居眠りをした。
記憶の中で、私はどこかの火葬場にいた。西日が差し込む部屋、無機質な金属製の扉が開き、棺が静かに納められて行く。その棺の中に私の死骸があった。パチパチと炎が燃え上がり、私は白い骨になってゆく。自分の最後を見た。どうやら、誰かが火葬の荼毘に附してくれたようだ。そうだとすれば、私は夢の中では結構に恵まれた幸せな死だ。最後の最後が、人間は一番に面倒なんだよ。
ところが、自分が『火葬』になる夢は吉夢なのだそうで、新しい世界を切り開く幸運の兆し…の意。確かに、そろそろ写真で代表作は残さないとね。
いや、ダメだ。そんなの。私は違うな。そんなものはゴミに等しい。
やっぱり、誰かの記憶の中でたまに思い出されたら、充分に、それは『愛』だと思う。きっと私も同じように、どこかで思っている。
一生の記憶に残る場所があって、たまに『愛』してもらえるならば、それが良い。


