零戦小僧
買ったタミヤの零戦…まだ作っていない。
昨日、連続の『零戦』の特集番組を見ていた。
番組でも紹介されたアメリカに動態保存されているグラマン戦闘機、日本国内で展示されている零戦。
比較しようもないが、一つ残念な事は『飛べる零戦』が日本にはない事実。
今さら、飛べたって仕方ないのだが…やはり一機くらい欲しい。
確かに『零戦』を大空に復帰させるには、機体が繊細すぎて整備が難しいとは聞く。
ただ飛べるからと言って、零戦に爆弾下げて神風特別攻撃隊を演出した航空ショーなんかは嫌だ。
工業製品として世界に名を残した国産戦闘機を、誇りと栄誉に寄せて飛ばせて欲しい。
明日公開される映画『永遠の0』は前評判は高い。私個人としては、この小説作品に対しては疑問や意見もあるのだが、主題歌『蛍』は桑田佳祐だし…零戦のCG映像も良いらしい。
とりあえず、年末は見に行くかな。
情識はなかれ…と人は云う
写真家になりたいって?
仕事として考えてみると、何しろ写真で食べて行くのは険しい…家族が大事ならば、間違っても写真の道は勧めない。
小遣い稼ぎの片手間の趣味にしておきなさい。その方が周囲に迷惑もかけないし、貴方の生活も困窮しないだろう。
誰でも簡単に撮影が可能な失敗のない機材が山ほど売られている。一枚の写真にプロとアマの『撮影』という行動においては差が無くなったんだよね。だから、もはやプロなんて必要ないし商売にはならない。ズタボロになって社会から追われるだけさ。
プロの写真家という肩書きは意味をなさない。顧客を持ち、メディア的にプロ契約をしているか、その有無だけだ。
と…写真家という生き方や職業性質に対して憎まれ口を言う人は多い。
私も、ずいぶんと人から嫌みやら、蔑まれた言葉を浴びた。
その結果、いつの間にか冷笑を浮かべた皮肉屋になったり、自分より弱い人をあげつらう性格に変貌したりする。
たぶん…私も、その傾向はある。
そう肯定して上で、あえて言いたい。
作家活動は清貧にして敏である。社会性という名の鎧は身に付けない。常に裸体に近い…それが作家というものだ。簡単に言えば、強がりなんだな。
世阿弥が残した言葉に『稽古は強かれ、情識は無かれ…』という言葉がある。
文字通り『稽古は強かれ』で生きてきたつもりだ。しかし、もう一つの『情識』という語句に関しては、未だに学識者の解説に触れても、私は納得が出来ていない。
人間とは『情識』の塊ではないか、と思ったりする。いや、…そんな容易い言葉ではない。
私も、この双方の意味を悟った時が来たら少しは大人になれるだろうか。
別に来ないなら、それは仕方がない。
それも人生だ。


