情識はなかれ…と人は云う
写真家になりたいって?
仕事として考えてみると、何しろ写真で食べて行くのは険しい…家族が大事ならば、間違っても写真の道は勧めない。
小遣い稼ぎの片手間の趣味にしておきなさい。その方が周囲に迷惑もかけないし、貴方の生活も困窮しないだろう。
誰でも簡単に撮影が可能な失敗のない機材が山ほど売られている。一枚の写真にプロとアマの『撮影』という行動においては差が無くなったんだよね。だから、もはやプロなんて必要ないし商売にはならない。ズタボロになって社会から追われるだけさ。
プロの写真家という肩書きは意味をなさない。顧客を持ち、メディア的にプロ契約をしているか、その有無だけだ。
と…写真家という生き方や職業性質に対して憎まれ口を言う人は多い。
私も、ずいぶんと人から嫌みやら、蔑まれた言葉を浴びた。
その結果、いつの間にか冷笑を浮かべた皮肉屋になったり、自分より弱い人をあげつらう性格に変貌したりする。
たぶん…私も、その傾向はある。
そう肯定して上で、あえて言いたい。
作家活動は清貧にして敏である。社会性という名の鎧は身に付けない。常に裸体に近い…それが作家というものだ。簡単に言えば、強がりなんだな。
世阿弥が残した言葉に『稽古は強かれ、情識は無かれ…』という言葉がある。
文字通り『稽古は強かれ』で生きてきたつもりだ。しかし、もう一つの『情識』という語句に関しては、未だに学識者の解説に触れても、私は納得が出来ていない。
人間とは『情識』の塊ではないか、と思ったりする。いや、…そんな容易い言葉ではない。
私も、この双方の意味を悟った時が来たら少しは大人になれるだろうか。
別に来ないなら、それは仕方がない。
それも人生だ。
