HOODのブログ -164ページ目

気持ち悪い…

ファイル00530001.jpg

前述したブログにも載せた『謎の海洋生物』…一説ではウミウシの仲間らしい。

こんなヤツが海を漂っているとはね。

朝、目覚めると、私は海岸に打ち上げられた赤いウミウシと化していた。
声も上げられず、ただムニャムニャと砂浜を動き回るだけの肉体であった。

やがて、私の周囲に人々が集まってきた。
その中には、両親や妻の顔もあった。


…人が人の形態を失って、初めて人としての存在を問う。
こいつが人間であった場合、人は『愛』など維持出来るのか。
もし、この赤い生物が若い女性であったとしたら、彼女の恋人であった少年は、それでも欲情出来るのか。赤い生物を眺めながら自慰は可能か? 


こういうネタ話は今更であって、偉大な先人達の作品を読めば良い。
そういう先人達に、あえて挑戦したのが昨夜見た『新世紀エヴアン…』であろう。
ただ作者の庵野は、言いたい事を並べすぎたようにも思える。しかし、一つあげるとすれば、他者との境界を有すること、その畏れを否定せず認める事。それが自己の始まり…とラストで問いかけたのは秀逸であった。
それは、村上春樹の小説『ノルウェイの森』の終わり、ミドリとの会話にも他者との境界を認識し始めた主人公が描かれていた。

確かに、我々が直面している問題は他者と自己に隔たる境界に対する畏れである。むしろ、我々は同一化することによって問題解決を図ろうとするように見える。各地で扮装や戦闘行為が絶えないのは、同一化を原理主義のテーゼとしてしまった事だ。…そう考えると、このアニメ作品は厨2病的ではありながらも、間違いなく『人類補完』という正鵠を射ている。

『世界に一つだけの花』を追うのは、もう止めにしないか?…と、誰しもが思っているはずだ。

アスカの言葉『…気持ち悪い…』とは、自我と他者の存在を肯定し、その煩わしさや面倒な手間と暮らしてゆく事、その素直な気持ちの始まりなのだろう。

二大怪獣


抜糸は明日。

ひとまず予定外の夏休みも終わる。

自室に引きこもりテレビ三昧の日々、録画しておいたゴジラ、ガメラ、エバン…を見ていた。


怪獣映画が制作される世相には、その時代背景と重なる理由があるのだろうか。
今夏、二大怪獣映画を比較しながら得た感想がある。


唐突な結論から述べると、祝言祭祀性のガメラ、人間群像のゴジラ…という事だ。

ガメラは人と交わり、自然崇拝や拝火教に似た性質がある。
天照神に近い描きかたをされている。物理的に生物ではなく、神話における聖獣として扱われている。


一方、ゴジラは人間の存在を対峙し、物質文明を破壊する。人心と交わす事もない。スサノオ神に似た破壊を行動原理とするが、人間を否定する強いメッセージあればこそ、実は最も人間になりたい存在がゴジラでもある。

この暴論を飛躍して、能の作品群に置き換えてみる。能の祝言性や祭祀を考えるに、人々を救い国家体制を護持する役目は間違いなくガメラであり、神能に相当する主人公だ。
少女を介して意思を通じるというシャーマニズムは、古来から日本の文藝や民俗学に色濃いものだ。

対するゴジラは、人間の戦争による悲劇から発生した問われぬ人々の慟哭を背負っている。恨みや嘆きがゴジラに仮託されていて、ゆえに国家と暴力組織である軍隊を粉砕しようとする。
そこにゴジラが、能の修羅能や鵺、善知鳥など人(人であろうとする悲しみ)であるがゆえの矛盾と同様の主題を得ている、と私は見る。


実は、天災の多い我が国にとって怪獣とは、そのオマージュに他ならない。その記憶があるからこそ、畏れを描く象徴として怪獣作品があると思われる。

この畏れとは、声無き声でもある。
単純に『なんだ、怪獣映画か…』と一笑に伏して見ることなかれ。


写真は、先日に南洋の海岸に打ち上げられた『謎の生物』

神宿る


すでに麻酔が切れているが思ったよりの痛みはない。

切除する場所で痛感神経の反応も違うのだろうか。


今月は今日の手術を考えると憂鬱であった。今年の夏は楽しむ余裕はないままに、もうすぐ八月も終わる。


昨日、スポーツ紙が投じたガセネタ…『峯岸みなみ卒業!』


ぐっ…、その知らせを聞いて駅のキオスクに飛んだが、すでに時遅し、売り切れであった。


予め断っておくが、我ら峯岸ヲタは、すでに残党落武者扱いだが…まだ白旗をあげたつもりはない。

私も『峯岸みなみ』を知らなければ、彼女達の歌や振り付けを楽しむ事もなかった。
私的暴論である『秋元康は世阿弥である』論を開陳する運びともならなかった。
要は、一つ楽しみを知らないままに日々を過ごしていたはずだ。それだけに峯岸みなみあってのファン活動がある。謂わば、彼女が私の御神体、シンボルなのだ。

ましてや…表参道を大島優子を従者に伴い、二人小道を行く『みぃちゃん』のアイドル・大女優オーラを拝する光栄に浴した私だが…私にはやり残した事があった。


何とか握手会に参戦して、もう一度再会を果たす事。たぶん、遭遇した事は覚えてはいないだろうが…。

そして、もう一つ。
妄想劇として彼女を主人公にした話を作り上げ、この場に晒してみたいのだ。

さて…『峯岸みなみ』に、何をさせるのか。そこが大いに興味深い。