神宿る
すでに麻酔が切れているが思ったよりの痛みはない。
切除する場所で痛感神経の反応も違うのだろうか。
今月は今日の手術を考えると憂鬱であった。今年の夏は楽しむ余裕はないままに、もうすぐ八月も終わる。
昨日、スポーツ紙が投じたガセネタ…『峯岸みなみ卒業!』
ぐっ…、その知らせを聞いて駅のキオスクに飛んだが、すでに時遅し、売り切れであった。
予め断っておくが、我ら峯岸ヲタは、すでに残党落武者扱いだが…まだ白旗をあげたつもりはない。
私も『峯岸みなみ』を知らなければ、彼女達の歌や振り付けを楽しむ事もなかった。
私的暴論である『秋元康は世阿弥である』論を開陳する運びともならなかった。
要は、一つ楽しみを知らないままに日々を過ごしていたはずだ。それだけに峯岸みなみあってのファン活動がある。謂わば、彼女が私の御神体、シンボルなのだ。
ましてや…表参道を大島優子を従者に伴い、二人小道を行く『みぃちゃん』のアイドル・大女優オーラを拝する光栄に浴した私だが…私にはやり残した事があった。
何とか握手会に参戦して、もう一度再会を果たす事。たぶん、遭遇した事は覚えてはいないだろうが…。
そして、もう一つ。
妄想劇として彼女を主人公にした話を作り上げ、この場に晒してみたいのだ。
さて…『峯岸みなみ』に、何をさせるのか。そこが大いに興味深い。
