HOODのブログ -142ページ目

ごく基本的な事象

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ブログ更新の間が空いた。原因は春先にありがちな春鬱である。今年は特に重たい。桜咲く季節まで無事に抜けられるかも微妙な毎日だ。


写メは見てお分かりのごとくラーメン。
上二枚は醤油ラーメン。某地方都市、いかにも昭和な雰囲気の店が提供するラーメンだ。三枚目(写メサイズが小さい…)は某所『某二郎系』の店。

そう…私はラーメンに関しては保守的である。頑なに醤油系透明なスープ派であり、肉やら何やら盛り上げたモノが苦手である。

何より小腹が空いた時に食す『ラーメン』が一番に美味い。
ゆえに『並んで待つ』など論外だ。
私の求めるラーメンにイベント性はない。ただ地方の街中にある普通の食堂で、近所の人が食べに来るラーメンが好ましい。


ここで、ふと…今まで一番に美味しかったラーメン屋の記憶を辿ってみたが、どうにも曖昧だ。昭和四十年代後半福島県の国道沿い、峠の坂道にあったドライブインのラーメン。

あるいは地元で超人気店となったためにご近所に威張り散らしている某店のラーメンも、確かに美味かったのは間違いない。

最近では、昔通っていた小学校の教員達が常連だったという噂の駅前のラーメン屋に、卒業以来四十数年目で初めて入店した。そこでオーダーした煮干ラーメン(秋刀魚を使用)が『普通に美味いぢゃん、もっと早く来れば良かった…』など(常陸多賀駅前ひかり食堂)

要は舌と記憶に残る店というより、日々に沿って使う店が好きなのだ。普通の食堂という表現が似合う店だ。そういう店は、現在は支持されないのだろうか。ちょっと都市学めいた論が浮かんだが…それも春鬱な暇人の思い付きに過ぎないのだった。

名手が去って行く。


かって尾上辰之助という歌舞伎役者がいた。芝居、舞踊など凄烈な演技を舞台に展開した名手だった。だが、突然のガン発病で急逝した。私はショックのあまり歌舞伎を見る気分が消失、やがて能と出会い歌舞伎に戻る事はなかった。

現在の尾上松緑は辰之助の長男だ。ようやく父親から受け継いだ才に磨きがかかってきたように思う。
そんな今夜、突然に坂東三津五郎の死去が報じられた。私には辰之助死去に襲われた喪失感はないにせよ、かなり痛みを覚えた。

辰之助、三津五郎ともに舞踊の名手だった。能とは手法が違うにしても身体論には学ぶべきところ多く、可能ならば同じように舞いたいと思わせる魅力があった。

その二人が鬼籍というのは、あまりに惜しい。先日の勘三郎も共に華がある存在が次々に消えてしまった。

撮影…弐


水戸市駅前にある食堂『みなみ』の『力ラーメン(餅入り)』特に(みなみ)という店名に引かれたわけではない。何しろ、私が小学生の頃から店頭で切り餅、海苔巻きや稲荷も販売している形態の古い店だ。醤油スープにふっくらとした麺、少し煎り胡麻が入り香りがある。まさしくラーメンの原点に近い味わい。私はラーメンは、これで良いと思っている。○家系やら次郎系など、どうにも体質に合わない。
こうした地方に行くと回帰したようなラーメンに出会える。いや、店側は回帰したつもりはないだろう。創業以来の味を守ってきただけだ。

そういう店には顧客とも呼ぶのか、地域馴染みの客がいる。
普段着で店に来て、ラーメンや定食を食べて行く。

こういう原点とは写真撮影にも必要で、自分の作品スタイルを明確に知っておいた方が良い。
依頼者やお客の意向とは関係なく曲げてはならないように思う。

人間は、目で見た対象物を意識的に映像から増幅して記憶する。脳裏に浮かぶ映像が鮮明であるのは記憶に拠るところが強い。しかし、記憶とは記録ではない。
ゆえに、実際に見る相違点が多く戸惑う場合もある。

記憶映像と記録映像が一致させる事、そこに自分なりの写真を始めた原点があるように思える。

こうしてブログ文を書いていて、急に母方の実家裏から延びていた小道の風景が突然に甦った。数十年も忘れていたはずなのに、私の記憶には残されていたわけだ。

舗装もなく残雪にぬかるむ土手沿いの道。古い柵に巻かれた鉄線のトゲ、割れた皿や何かが埋まっている。どこへ行こうとしていたのか。祖母や母に引かれて歩く冬の道。空は青いのだけど、雪雲が遠景に見える。春まだ遠い路地裏を歩く母子達に、カメラを向けるもう一人の私がたっている。