撮影…弐
水戸市駅前にある食堂『みなみ』の『力ラーメン(餅入り)』特に(みなみ)という店名に引かれたわけではない。何しろ、私が小学生の頃から店頭で切り餅、海苔巻きや稲荷も販売している形態の古い店だ。醤油スープにふっくらとした麺、少し煎り胡麻が入り香りがある。まさしくラーメンの原点に近い味わい。私はラーメンは、これで良いと思っている。○家系やら次郎系など、どうにも体質に合わない。
こうした地方に行くと回帰したようなラーメンに出会える。いや、店側は回帰したつもりはないだろう。創業以来の味を守ってきただけだ。
そういう店には顧客とも呼ぶのか、地域馴染みの客がいる。
普段着で店に来て、ラーメンや定食を食べて行く。
こういう原点とは写真撮影にも必要で、自分の作品スタイルを明確に知っておいた方が良い。
依頼者やお客の意向とは関係なく曲げてはならないように思う。
人間は、目で見た対象物を意識的に映像から増幅して記憶する。脳裏に浮かぶ映像が鮮明であるのは記憶に拠るところが強い。しかし、記憶とは記録ではない。
ゆえに、実際に見る相違点が多く戸惑う場合もある。
記憶映像と記録映像が一致させる事、そこに自分なりの写真を始めた原点があるように思える。
こうしてブログ文を書いていて、急に母方の実家裏から延びていた小道の風景が突然に甦った。数十年も忘れていたはずなのに、私の記憶には残されていたわけだ。
舗装もなく残雪にぬかるむ土手沿いの道。古い柵に巻かれた鉄線のトゲ、割れた皿や何かが埋まっている。どこへ行こうとしていたのか。祖母や母に引かれて歩く冬の道。空は青いのだけど、雪雲が遠景に見える。春まだ遠い路地裏を歩く母子達に、カメラを向けるもう一人の私がたっている。
