HOODのブログ -118ページ目

人はパンのみに生きる事で罪になるのか。


以前、男性週刊誌にジャンクカメラを安値で入手して修理。ネットのオークションに出して小銭を稼ぐ…そんな人々を取材した記事が掲載された。

私にすれば、そんな素人仕事の隙間商売もあるんだなぁ…ぐらいの感想。言葉は悪いけど素人が素人を騙す他愛なさがある。でも、深入りしている人があるなら、『この辺りで止めた方が良いよ…』と忠告したい。

『プロは素人を騙しては絶対にいけない』かの伊万里焼鑑定で有名になった骨董屋亭主の言葉。

最近は素人がプロの顔をした輩が多くなった。素人相手に自己利益を上げたり、むやみに他人に説教をして陶酔する。小手先の上手さで通用するのが今の時代なのだろう。果ては政治の世界、最高責任者までが怪しくなってきた…。
それが小さな自己満足ならば許容範囲である。しかし自分の生活を支える、あるいは他人の日常を左右するまでに至ると『自分に嘘をつく』事になる。これが何より罪深いのは、本人には虚偽に対する罪の意識が、自覚が皆無という事だ。果ては殺人に至っても責任は感じていないだろう。

続く。

瞬きもせず


ちょっとカメラネタが続く。修理しては撮影、またジャンクを入手しては修理…と懲りもない。

壊れた物を修理する事で、何となくだが『願掛け』をしているような気持ちもあるのだ。機械の故障、人の病気も諦めずに手立てを考えてみる。まだ大丈夫だ…希望はあるぞ。

昨日修理したミノルタSR-1sも製造されから四十年以上のカメラだ。私の手元に来るまで、どんな風景や被写体を撮影してきたのだろう。その撮影は幸せなシーンだったのか。あるいは悲しみにくれる姿だったのか。大切に愛用された機械であっても、突然にさらぬ別れが訪れる。先のブログに書いた陳腐な詩は、修理したSR-1を擬人化してみたのだが…。


銀塩文化も不透明だ。あまりに高価になれば、気軽に撮影して楽しむ事すら…いや、フィルム自体がも無くなるかも知れない。

営業、商業的には銀塩写真は晩年である。ならばこそ、自分の歩いてきた道を顧みるためにフィルムを使って、即時性も責任性も皆無に趣味的に撮影してみる。
そういう楽しみが、今の私には必要に違いない。

ジャンクカメラ



ジャンクカメラを買った。千円+消費税。

ミノルタSR-1s…1967昭和四十二年に発売。四十八年も以前に製造されたカメラ。
部品取り目的でジャンク棚に転がっていた。右肩部に凹み、各部に細かいスレ、やキズ。古びた姿に現役機の勢いはないが、確認するとメカ系は十分に作動している。ファインダーを見る限り、前の所持者は一度メンテナンスに出してはいたようだ。
底蓋に『フィルム装填に注意、逆向きに差し込む!』とシールまで貼ってあり、さらに裏蓋側にもある丁寧さ。

個人持ちではなく、何かで共有される備品カメラだったようだ。写真部やサークルなど複数の人が使用するカメラであったような気がする。

露出計やストロボシューもなく簡潔なスタイルは、カメラ本来の美しささえある。
しかし、古いカメラには様々なトラブルがつきものだ。このカメラも例外ではなく、交換レンズのロックが利かない。ピント合わせでヘイコイド回しているうちにレンズが脱落する危険がある…しかも、純正のミノルタレンズすら装着されず拒否状態。

しかし、今はなき無名メーカーのレンズはロックが入る…という事は何か手立てがあるはずだ。

最初、マウント部を解体してみる。部品に欠落や破損はない。…ロックピンを押し上げるとクリック音がありレンズが嵌まる。

ふむ…ならばとロックピンの開口部を精密ヤスリで少し拡げてみた。

カメラを組戻し、再度のレンズ装着。
ぉお…予想通りにロック閉鎖、解放が作動。安心して純正のミノルタレンズが完璧に使える。

これで一応の修理完了。そして私は、このロートル一眼レフを下げて行く当てもない小旅行に出る。



短い夜も、長い夜も明けない朝はない。
親しき友人。
懐かしき家々。
愛しき女達。
人生は短く、やがて夜は明ける。今日、この一日にさようなら。

旅先で、どこかで見かけても知らない振りをして、後ろ姿を黙って見送って欲しい。

さようなら。