やはり愛用機
夕方、家の近くを散策。捻挫した足は痛みが少し消えてきた。
散歩に使うカメラはミノルタXE、私が一番に好きなカメラかも知れない。最近はミノルタ初期のSR1も気に入っているが、何よりXEがミノルタが発売したプロユースに使える最後のカメラであった。
このカメラについては様々な人が総じて好意的な感想を述べているので、私は省く。
しかし、製造は1975年であって耐用年数は過ぎつつある。正直、突然壊れても文句は言えない。他人に推奨する撮影機材にはあらず…。
それでも愛用しているのは、XEが最初に能を撮影した時に使用したカメラでもあり、その成功が能撮影を密かに志す契機になったからだ。
当時の写真を今に見れば拙い撮影なのだが、それでも精一杯頑張って能を追っていたのが解る。
特攻花…2
昔も今も変わらぬ芋畑。
特攻花で一つ思い出した。
このブログでも以前に書いたと思うのだけど、私が高校生時代の事だ。
列車通学で使う最寄り駅で、時おりに姿を見せる老婆がいた。朝方と夕方だけ駅待合室にいて、学生服の我々が乗降してゆく風景を見ながら、改札口で幾度も『万歳』を叫ぶ。
特に列車が汽笛を鳴らして発車すると懸命に我々を見送りながら万歳をする。
その風景が一年半くらい続いた。
息子達を戦争で亡くして、駅で見送った記憶だけが鮮やかであったのか、全部生活の記憶を喪失しても息子の出征だけが残ったのだろうか。
我々の学生服が軍服に見えるらしい。息子の出征を栄誉と思って送り出したのだろうか。どちらかと言えば老婆は、いつも笑顔に見えた。
そういう哀れな話を周囲の人々や駅員も知っていたから、老婆を邪魔者扱いもせず見守っていたようだ。
地方には、そういう話が戦後数十年過ぎても、人目を憚るように生きていた。
天人菊
もうすぐ八月も終わる。七十年目の終戦、首相談話などの話題も旬が過ぎたように誰も口にしない。
実家近くの空き地、いずれは宅地に変わるだろう。元は大きな邸宅があった場所だ。そこに天人菊が咲いていた。特攻花とも呼ばれる花だ。
天人菊が、なぜ特攻花と呼ばれるのか、特攻花は桜であるとする説、金鶏菊が特攻花とする説など様々にあるようだが、いずれも私は真実だろうと思う。
若者が戦争で死ぬ。その悲劇に真実も虚偽もない。死に至ったのは事実だ。
彼等は還ってこない。彼らを見送った花は様々にあったと思う。
夏の始め、地方に行って旧家の庭先に天人菊が植えてあるのを見かけると、『この家は、もしかして戦死した方がいるなかな…』と考えたりする。
徴兵で、あるいは学徒出陣で前途を絶たれた若者等、特に戦前の教養主義を支えた学生達が去ったために、戦後の日本は『教養を捨て、徒に堕落した』と私は思っている。大きな財産を国家は死に追いやった…その責任は重い。
庭の跡地に一輪だけ咲いている天人菊は、去っていった主を思って、自分を植えてくれた昔を懐かしむのだろうか。


