HOODのブログ -111ページ目

狐と狸

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この向かって右側の男性も卒業すべき時期が近い。

近所の食堂でテレビを見ていた。五輪エンブレムの話題が出ていた。

この一件も含めて、科学史の小保方、音楽史の佐村河内、美術史の佐野研二郎…。新三大・日本の偽作として語り継がれるだろうな。


どうにも騒動とケチが付きまとう今回の五輪。

当初、森元総理が組織委員会絡んだあたりから怪しい雰囲気である。トップダウンが情実、自己保身、無責任の集まりに世界に冠たる仕事は不可能だ。


可能ならば組織委員会を一新して欲しいものだ。

カ・マラ


最近、アメブロと繋がった方とカメラ談義を交換した。

その話中で、このカメラは男性的だとか、いや女性的スタイルがある…と互いの意見がな交わされた。
そう言えば、かのアラーキー氏は『女性を視姦するのだからカメラではなく、カマラだ!』と述べている。やはり…カメラは男性・器なのか。

では、名詞で男女に分けられる言語ではどうなるんだろ。検索すると仏語ではカメラは男性名詞とあるようだ。


ここで、少し話が飛ぶ。一眼レフには必ず鏡が内蔵されている。レフ鏡からプリズムに屈折させてレンズの画像をファインダーで見る。つまりレフ鏡とは、そのカメラが撮影してきた全ての映像を見てきている。
もし、鏡に心があるのならば記憶しているに違いない。

鏡とは神の依代でもある。神社の神殿には必ず鏡がある。依り代は、別に獅子頭や御輿、巨木であっても良い。古代は木が神の降りる場所でもあった。鏡と定められたのは明治近代に入っての事らしい。
さあらば、カメラの鏡でも神は降りるのだろうか。多少オカルト的だが、実は私は机や部屋に置いたカメラは自分の方に向けたり、向けたまま寝たりはしない。
どうにも居心地が悪い。見られているというか、カメラに何か宿っている気配を感じる時があるからだ。

それゆえに、単純に撮影機材と割り切れない感覚が一眼レフには感じる。

夏の読書感想文…番外



読書ではないんだけど、古本屋で見つけた手相占い本。
『島田秀平の開運!手相占い』…そう、彼は某深夜番組で我が推しである『峯岸みなみ』を、その年の最高運に上げながら…結果は、みぃちゃん丸坊主というアレだ。

さて、私の手相歴は小学三年の夏から始まっている。四十年以上も昔の事だ。大病で長期入院して、暇に任せて隣ベットのオバサンから借りて読んだ本に手相本があった。
相手をしてくれる看護師さん達の手相を見たのが最初であった。

そんな訳で、私の手相を講釈など。

結論から言えば、ドスケベでオタク、性癖は変態なセックスを好み、だが永遠に非モテの妄想野郎。女性には全く相手にされない癖に、女の子好きという始末のなさ。しかも人生に必要な知力、財力は皆無と手相にはある。仕事運も最悪だ。


しかし…何故か、私は晩年に行くほど運が強い。いずれ大金を手にする。その金で、どこか異境の地に行く。大金が入ったからと言って、別に扶養家族がいるわけもない。気ままに酒に飲んだくれて、晩年に…無駄に下半身が元気らしく、何と子供が出来る。その数年後、遺産を残して老衰し、他界する。私の遺伝子が活躍するかは、その子次第だな。我が子達よ…是非、頑張って欲しい。私はサイテーなクソ爺いでこの世を去る。妄想野郎の非モテだからね。何を言っても許されるんだ。


悪しからず。