カ・マラ | HOODのブログ

カ・マラ


最近、アメブロと繋がった方とカメラ談義を交換した。

その話中で、このカメラは男性的だとか、いや女性的スタイルがある…と互いの意見がな交わされた。
そう言えば、かのアラーキー氏は『女性を視姦するのだからカメラではなく、カマラだ!』と述べている。やはり…カメラは男性・器なのか。

では、名詞で男女に分けられる言語ではどうなるんだろ。検索すると仏語ではカメラは男性名詞とあるようだ。


ここで、少し話が飛ぶ。一眼レフには必ず鏡が内蔵されている。レフ鏡からプリズムに屈折させてレンズの画像をファインダーで見る。つまりレフ鏡とは、そのカメラが撮影してきた全ての映像を見てきている。
もし、鏡に心があるのならば記憶しているに違いない。

鏡とは神の依代でもある。神社の神殿には必ず鏡がある。依り代は、別に獅子頭や御輿、巨木であっても良い。古代は木が神の降りる場所でもあった。鏡と定められたのは明治近代に入っての事らしい。
さあらば、カメラの鏡でも神は降りるのだろうか。多少オカルト的だが、実は私は机や部屋に置いたカメラは自分の方に向けたり、向けたまま寝たりはしない。
どうにも居心地が悪い。見られているというか、カメラに何か宿っている気配を感じる時があるからだ。

それゆえに、単純に撮影機材と割り切れない感覚が一眼レフには感じる。