今日のひとりごと・・・・     

完全に、てくてく旅にはまってしまいました。・・・・いつまでつづくかな?


1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>

9日目 日光街道  古河宿→野木宿→間々田宿

歩いた日:2025年11月23日(日)

天気: くもりくもり

歩いた距離: 9.7km

 

前回の様子はこちら

→ 8日目 日光街道 栗橋宿→中田宿→古河宿

 

なんと! 2年も間が空いてしまいました。ガーン

不思議なもので、間が空くとまた歩きたくなります。

始めたことは最後まで。ということで、いつかはゴールに着くでしょう。

 

遠い昔の前回ゴール、日光街道 古河宿の本陣跡からスタートです。クラッカー

古河城下本陣跡

この碑、なぜかリサイクルショップの中にあります。キョロキョロ

 

この先、日光街道は左曲がって右。

 

右角に古い道標がありました。

文久元年(1861年)に建てられたものです。

左:日光街道。日光街道からは右:江戸と彫られています。

また、筑波道との分岐点でもあります。

その説明 カメラ

 

道標どおり進みます。走る人

 

安い!早い!ないものはナイ!お店のPを右へ。走る人

 

国登録有形文化財に指定されている、川魚料理 武蔵屋さん。

 

街道らしいカーブ。久しぶりの感覚です。音譜

 

古河宿を出ます。

 

史跡栗橋道と書いてある道標(昭和8年建立)

 

住所は松並1丁目。 きっと松並木があったのでしょう。

 

いつの間にか栃木県に入りました。

常盤国から下野国へ。

栃木県下都賀郡野木町の野木神社。

 

このあたりはずーっと、松並木があったらしい。

 

野木宿に入ります。

 

野木宿本陣跡。 説明版があります。

 

 

野木宿道標

ここは脇往還の入り口で日光例幣使街道へとつながります。

 

国道4号は東京から66km地点。福島まで207k,mかぁ。

 

友沼 八幡神社  将軍御休憩場所跡。

 

説明

 

小山市に入ります。

やっぱり、おやまゆうえんち~アップ って、叫びたくなります~。口笛

 

住所は乙女。 へえ~。

 

乙女の一里塚 

お江戸日本橋から18番目の一里塚です。

 

すこーしづつ、すこーしづつ、のぼり坂になってきています。

 

お祝い 江戸から70km地点

 

乙女八幡宮によりまjした。 詳細は説明看板参照。(右写真をクリック)

 

日光街道 間々田宿 逢いの榎に到着。

ここは日光街道 江戸-日光の中間地点になります。
江戸へ拾八里
日光へ拾八里
 
説明

 

間々田宿の中心部まで歩くと、帰りの最寄り駅までかなり戻ることになるので、

今回はここまでとします。

 

また来年~。パー

 

8日目 日光街道  栗橋宿→中田宿→古河宿

 

歩いた日:2023年10月13日(金)

天気: 晴れはれ

歩いた距離: 7.7km

 

前回の様子はこちら

→ 7日目 日光街道 幸手宿→栗橋宿

 

さっ、しばらく、間が空いてしまいましたが、復帰です。お祝い

始めたことは最後まで。ということで、いつかはゴールに着きたいところ・・・。

 

遠い昔の前回ゴール、日光街道 栗橋宿の関所からスタートです。クラッカー

このあたりは長らく、利根川の堤防工事を行っていて、綺麗に整備されてます。

 

栗橋宿総鎮守八坂神社

歴史は古く創建は不明ですが、慶長年間に利根川の大洪水に見舞われ、

この地に移ってきたそう。

なんと!我が国の古い神話に出てくる八岐大蛇(やまたのおろち)を

退治した、御祭神素戔嗚尊(すさのおのみこと)が祀られているそうです。

 

先に進みます。

 

いよいよ利根川を渡ります。。

ながーい。あし

茨城県へグッド!

 

橋からの眺め。雄大です。カメラ

渡ったらすぐ左へ。あし

 

中田御関所跡

江戸幕府は江戸を防衛する観点から、利根川に橋を渡すことを許可せず、

船で人を運んでいたそうです。

栗橋宿とともに中田宿は重要拠点として関所を置き、目を光らせていたそう。

 

ほんとに利根川流域は昔から洪水が多く、大変だったようです。

利根川が氾濫すると、最大10mも浸水するらしい。ガーン

中田宿の説明。

静かな宿です。

 

鶴峯八幡神社。
鎌倉時代創建の古い社です。

鎌倉の鶴岡八幡宮と関係があるらしいよ。

足ふみ祈願。

長らく街道を歩いていますが、こんなの初めてみました。

 

このあたりはお寺も多く、どれも綺麗です。

本願寺にて。アイルトン・セナの名言。

私は隣のパワーびっくりマークのほうが気になったりして。。(Byきんにくんの名言)

 

道端に栗が。。秋ですな。

 

東北本線 日光街道踏切を渡ります。

 

茶屋松原の松並木

江戸時代には綺麗な松並木が5kmくらい続いていたそうです。

戦時下や、道路拡幅のために切られてしまい、今、復活を目指しているそう。

 

一里塚。

高校の校庭にあるんで、外のフェンスから撮影。

久しぶりにちゃんとした一里塚をみました。ニコニコ

 

やばい。日が暮れてきた。。あせる

 

古河宿に入ります。

 

古河城お茶屋口。

私、古河に城があったと知らず。。おーっ!

説明

古河城は歴史が古く、将軍様のお宿の役目もしていた時代があるそう。

 

古河城下本陣に到着。

本日のゴールクラッカー

 

復帰初日はスタートが午後になってしまい、なんとか夕暮れまでに、

到着しました。

古河城下はいろいろみるところがたくさんありそうです。

もうちょっとフラフラしてみたい感じです。

 

今日はここまで。パー

 

 

 

 

 

恭賀新年

あけましておめでとうございます。

 

本年もよろしくお願いいたします。どーもっどーもっどーもっどーもっ

 

写真はいつもの。です。

 

 

 

今年も日光に行こうかな。ぼそそ。

→ 日光街道

 

 

7日目 日光街道  幸手宿→栗橋宿

歩いた日:2020年11月12日(金)

天気: 晴れはれ

歩いた距離: 9.0km

 

前回の様子はこちら

→ 6日目 日光街道 杉戸宿→幸手宿

 

 

前回のゴール、幸手宿本陣 知久家跡からスタート。

ちなみに現在はうなぎ屋さん ヘビ TAKE OUTもOKのようですプレゼント

 

聖福寺 勅使門。1741年に作られた模様。

聖福寺は御殿所とも呼ばれ、日光に行く途中の徳川家将軍、家光、家綱、

吉宗、家治、家慶といったすごい人たちが立ち寄ったそうです。

 

幸手宿 シケインDASH!

 

正福寺。

馬頭観音の石碑に日光道中と書かれた道しるべがあります。(右写真)

 

老舗の石太菓子店

 

幸手宿の名物、塩がまを購入。

お話好きな、おかみさんがいろいろ教えてくれました。

 

最初は甘いのですが、そのあと、ほんのりとしたしょっぱさが、

旅人にはたまらんです。。ニコ

 

先に進みます。走る人

 

旧日光街道は国道4号に出たりわきにそれたりを繰り返します。

地名は”内国府間”と書いて”うちごうま”と呼ぶようです。珍しい。

私は最初、内閣府と呼んでしまった。。あせる

 

遠くに見えるは権現堂堤です。桜が有名で春はとても綺麗なのでしょう。

この辺りは大小、川が多く、昔から、氾濫を繰り返し、堤の建設が盛んです。

 

国道4号は日本橋から50km地点お祝い

 

中川、御幸橋を渡ります。

 

渡ってすぐ左脇道へ。

 

街道歩きでは久しぶりの景色。目

あの歌を歌いたくなります・・・・。音譜

 

追分がありました。

 

日光街道とつくば道の追分です。(日光街道は左です。)

この道しるべは古く、1775年(安永4年)に建てられ、

ずーっと、この地にあります。 昔の情景を想像すると興味がわきます。

 

すごーく、久しぶりの頭上注意アップ爆  笑

この後も数か所、トンネルがあります。

 

右は国道4道で、旧日光街道はその脇をかなり長い距離歩きます。走る人

 

小右衛門村の一里塚跡。 弁財天堂があります。

 

みかん、ススキを見ながら歩くのも街道歩きの醍醐味でしょう。

 

遠くに近代的な物が。。。目

東北新幹線です。下をくぐります。音譜

 

一旦、国道4号に出て、良い子は入ってはいけないシアター手前を左へ。走る人

 

川通神社。ちょっと高台になっていて昔は浅間山がよく見えたようです。

国土地理院の水準点があります。

 

素晴らしいアンテナが。

HFの5エレと3エレ八木。でかい。羨ましい~。ぶー

 

先に進みます。走る人

 

 

会津見送り稲荷。

むかし、むかし、会津藩士が文書を届けるために栗橋宿に来た時、

大事なものをなくし、白髪老人が助けてくれたそう。

この老人がキツネの化身だったことから、ここに稲荷ができたそう。

 

街道歩きはたまらん風景です。中山道以来かも~。アップ

やっぱりあの歌を~。音譜

 

栗橋宿に入ります。

 

静かな宿ですが、江戸時代からの建物も残っています。

 

このへんも治水工事の真っ最中です。

日光街道の宿場は昔から、たびたびの洪水に悩まされたきたのでしょう。

 

・・・で、栗橋宿の関所に到着です。クラッカー

 

栗橋宿関所跡の石碑。

栗橋関所は日光道中が利根川を超す房川渡に設置されました。
対岸の中田と併せて”房川渡中田関所”と呼ばれました。
寛永元年(1624年)から明治2年(1869年)まで約250年間、

主に、入り鉄砲に出女を取り締まった関所です。

 

この石碑は大正13年(1924年)に建てられたもので、
書は徳川家達だそうです。 当時の写真右。

 

ということで、今日はここまで。パー

 

 

 

6日目 日光街道  杉戸宿→幸手宿

歩いた日:2021年10月30日(土)

天気: 晴れはれ

歩いた距離: 6.0km

 

前回の様子はこちら

→ 5日目 日光街道 粕壁宿→杉戸宿

 

今日は距離が短いので、お散歩気分で。走る人

 

前回のゴール、杉戸宿本陣前交差点からスタート。DASH!

 

歴史を感じる古民家。 渡辺金物店跡。

 

歩っ歩屋というお店・・・。 接骨院でした。

まさに日光街道の旅人のためにあるような・・・。

予約不要らしいですよ。 寄ってみるのもよいかも。

 

杉戸シケインDASH!

というか、桝形ですが。。

 

角穀跡・小島定右衛門邸

隣に立派な蔵があります。2階建てですね。
米穀問屋で江戸の日本橋蛎殻町や門前仲町などにある商店と情報を共有し、相場の変動にあわせた米取引をしていたそうです。
米の輸送には近くを流れる大落古利根川を使用したそう。
宿場の面影を感じます。目

 

杉戸宿案内

 

宝性院(杉戸不動尊)
日光街道の祈願所として信仰を集めていたようです。
右写真、石造りの馬頭観音には日光道中と彫られ道しるべに
もなっていました。1810年(文化七年)に建てられたものだそう。

 

街道沿いに東京駅という食堂。カレー おもしろい。爆  笑

入らなかったけど、食べログに載ってたので、街道の旅人の方。

寄ってみてください。

 

昭和22年のカスリーン台風で、利根川の堤防が決壊し、赤い部分まで

水没したそうです。

この付近の電柱にはみんなこの表示がついてます。

 

旧日光街道は国道4号と合流。

ふと左をみると、のどかな田園が広がってます。

 

国道4号は日本橋から44km地点。

 

茨島一里塚跡。

なんと、山田うどんの敷地内にあります。

 

幸手市に入ります。走る人

 

旧日光街道は国道4号からはずれ左へ。

おー。街道沿いにはジョイフル本田。ガソリンスタンドも併設さえてました。

 

東武鉄道の踏切を渡ります。

超久しぶりの鉄ショット。目  おっ。これは特急リバティだアップ

 

道路や線路沿いは栄えていますが、ちょっと外れると、こんな景色です。

 

圏央道をくぐります。

 

 

正面にスーパーTAIRAYAが見えたら、旧日光街道は右です。

この交差点、左からの道は日光御成道で、ここは合流点です。
左に行くと、川口、鳩ケ谷、岩槻に至ります。
家光の時代に整備され、徳川家康を祀る東照宮に
参詣する代々の将軍が通行したそうです。

 

付近には石仏群も。

 

聖徳太子堂。

これが聖徳太子さん?

 

先に進みます。。。

 

神明神社、たにし不動尊。

神明神社は伊勢皇大神宮の分霊を祭った神社。
たにし不動尊は眼病の人がたにしを描いた絵馬を奉納して祈願すれば

ご利益があるとのこと。 へえ~。

 

また、この神社には几号高低標があります。
明治七年にイギリス式の測量方法が導入され神社の鳥居や灯篭等に

刻まれたものです。いままでの旧日光街道にもありました。

  

 

あ、さて、幸手宿に入ります~。ヘビ

 

 

老舗酒屋、永文商店

ここには珍しいものがありました。

 

横丁鉄道(トロッコ)。

現在も走ってるそうです。これは面白い音譜

ながらく街道歩いてますが、これは初めてかも。

御朱印風のスタンプ”トロッコ鉄印”をお店で売っているそうです。

 

 

幸手宿本陣 知久家に到着

幸手宿で最も重要な役割を果たした名主で、屋敷は間口39m、奥行80m、

約千坪あったそう。 でかーっ。おーっ!

現在はうなぎ屋さんになってます。

 

本日のゴールはココとしました。

 

ところで、幸手宿内には 何か所かに、このお地蔵?さんがいます。 

由来は調べてないんで、謎です。うーん

 

今日はここまで。パー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>