1日目 日光街道 日本橋 → 千住宿
歩いた日:2019年11月3日(日)
天気:
くもり
歩いた距離: 9.0km
いままで、東海道(リンク) 中山道(リンク) 甲州街道(リンク) を
歩いてきました。
令和元年、新たな旅が始まります。![]()
日光街道 二十一次 スタートです。![]()
街道ウオーカーにとっては聖地 江戸日本橋に立ちました。
今日もたくさんの人で賑やかです。
いつものエイエイオー
旅の安全を願い…。なでなで…。![]()
今日の日本国道路元標(のレプリカ)はなぜか風呂敷に包まれてます。
さーて、スタートです。![]()
数百メートルだけ中山道を![]()
旧日光街道は室町三丁目南の交差点を右です。
薬問屋発祥の碑。
その前に武田薬品があります。調べてないけど、関係があるのでしょうか?
小津和紙。
伊勢商人の小津清左衛門長弘が1653年に創業し、幾多の事業の変遷を経て
今に至るそうです。和紙の原料になる木が植わってました。
いろいろ展示があるようで、中に入ってみたかったけど、時間がなく断念。
横山町問屋街。
アパレル関係の会社がたくさん並んでいます。
小売りをしている店もあって、自分も昔、来たことがあります。
ここが旧日光街道とは!!
浅草橋に来ました。
って、ほんとに浅草橋って、あるんですね。![]()
いままで、まったく意識したことがなく…。
右を見ると、たくさんの屋形船が。
ちょっとした江戸っぽい感じでいいです。
そういえば、むかーし、会社の宴会でここから出発したのを思い出しました。
そそられる看板が。![]()
江戸になぜか鳴門が。 ここのたい焼き。カリッとしてて美味しかった~![]()
このへん、人形問屋が多かったそうですよ。
ここは久月総本店。 さすが立派な建物です。
旧町名は旧浅草蔵前。
このへんから、蔵前ですが、蔵前の地名って、徳川幕府の米蔵があったこと
が由来なんですって。初めて知りました。
ここは有名、駒形どぜう。
創業は1801年。
ここも、子供の頃、一度だけ、連れてきてもらったことがあります。
建物、まったく変わっていないです。
どぜう~。の鍋、美味しかった記憶があります。
これぞ江戸って感じです。
ちなみにどぜうとは・・・・・リンク→ 駒形どぜう
ビックリしたのが、どぜう~の隣にバンダイの本社が。
いや、ほんと、ビックリです。時代のギャップがすごい。
このへん、どこからもスカイツリーが見えます。
お~。浅草雷門
旅の安全を祈願します。![]()
お約束のおみくじを…。
やっぱり、凶だった。![]()
このやっぱりがポイントでして。。。
凶のみ。お結びください。これ、全部、凶です。ほほほほ・・・・![]()
そう、浅草寺のおみくじは凶の割合が多いので有名なのです。
私はこれを知っていたので、動揺しませんから~。![]()
先に進みましょ。![]()
待乳山聖天
金龍山浅草寺の支院で、待乳山本龍院といいます。
推古天皇九年(601)夏、旱魃のため人々が苦しみ喘いでいたとき、十一面観音が大聖尊歓喜天に化身してこの地に姿を現し、人々を救ったため、「聖天さま」として祀ったといわれます。
隅田川に臨み、かつての竹屋の渡しにほど近い小丘で、江戸時代には東部随一の眺望の名所と称され、多くの浮世絵や詩歌などの題材ともなっているそうです。(台東区教育委員会の看板より抜粋)
なんと、ここは池波正太郎生誕地でもあるそうです。
荒川区に入ります。
旧日光街道は南千住駅で、線路のため寸断されます。
自動車は地下トンネルへ。歩行者は歩道橋を渡ります。
線路の数がすごい。久しぶりの鉄ショット。![]()
素盞雄(すさのお)神社
荒川区内でもっとも広い地域の氏子圏をもち、奇岩を神としているそう。
創立は平安時代だそう。
千住大橋まで来ました。
この橋は文禄三年(1594)家康が江戸の入った後、隅田川に初めて架けた橋。
江戸の出入り口として多くの旅人で賑わったようです。
いまの橋は石川島造船所が昭和2年に造った鋼タイドアーチ橋だそうです。
説明。
渡ります。
この橋、歴史上ではいろんな意味があったようです。
ここ。奥の細道の出発点なんです。![]()
左の地図のように芭蕉は旅をしたそうで。
いままでよく知らなかったので、新鮮です。
毎度、おなじみ歌川広重の絵です。
これも興味深いです。![]()
橋番付と川番付。
番付というと、相撲をイメージしますが、江戸時代は
教養、遊び心が存分に発揮されたいろんな番付があったそうです。
こちらは川番付
隅田川は行司?
大関は大井川と加茂川。
こちらは橋番付
千住大橋は行司?
京都三条大橋は前頭(笑)
他にもいろいろあるのですが、興味がある方は、
旧日光街道歩いてください。
さきに進みます。
日光街道って国道4号線なんですかね?ちょっと下調べ不足です。
千住宿に入ります。
千住宿は商売が盛んでいろんな問屋が軒を並べていたそうです。
いまでもにぎやか商店街。
いろんなお店があって楽しいです。
道幅も宿場の頃から変わっていないそうです。
あまりにも人が多くて、千住本陣跡の碑を見つけるのが大変![]()
自転車に埋もれているのをやっと発見しました。
宿場の観光案内所によりました。
ここのおかみさんとご近所さんとの話が楽しく、すっかり長居してしまいました。
北方面から来た旅人はここで、風呂へ入り、髪を結い整えて、江戸に入って
いったそうです。
なんで、いまでも、銭湯と美容室が多くあるんですって。
昔から変わらない人情溢れる宿場であることを実感しました。
千住宿面白いです。
今日はここをゴールとします。![]()
さて、日光まで何年かかるか。




























































