今日のひとりごと・・・・      -2ページ目

5日目 日光街道  粕壁宿→杉戸宿

歩いた日:2021年9月28日(火)

天気: くもり くもり 時々晴れはれ

歩いた距離: 7.0km

 

前回の様子はこちら

→ 4日目 越ケ谷宿→粕壁宿

 

歩いていないんで、すっかり、ふといしと。になってしまいました。あせる

続きをぼちぼち始めます。。。

 

前回のゴール、日光街道 粕壁宿からスタートです。DASH!

 

こういうシャッターの絵、好きです。ニコ

 

大落古利根川を渡ります。

江戸時代以前は利根川の本流でした。目

 

渡ったら、左へ。

 

桐たんす屋さん。

これまた、職人さんの絵がいいですね。

粕壁は桐たんすが有名で、江戸時代に日光東照宮を造った職人さんたち

が、移り住み、生産を始めたんですって。

 

小渕追分です。
日光街道と関宿往還(脇街道の日光東往還)との分岐点。

日光街道は左へ。

追分の道しるべ。すごく古そうです。

宝暦4年(1754年)に建てられたものらしい・・・。

難しくって、読めませんが、左、日光街道だけは読めました。目

 

一旦、国道4号に出ます。

小山といえば、おやまゆうえんち~。カラオケ

国道4号と国道16号の交差点。

 

まだ先は長い。

国道4号は東京から37km地点。

 

 

小淵山 正賢寺 観音院
鎌倉時代の正嘉二年(1258年)建立。
詳細は割愛しますが由緒あるお寺です。
ホームページみてみてください。

この仁王門は元禄2年に作られたようです。

楼門には左右に金剛力士像があります。

歴史を感じます。

 

松尾芭蕉の句碑

”ものいえば 唇さむし 秋の風” 

私も唇さむしです。ぶー

 

芭蕉はこの院に宿泊したとされています。

 

先に進みましょう。走る人

 

杉戸町に入ります。アップ

 

地球のモニュメントがありました。

 

この場所、北緯36度線の真上です。目

 

ちなみにこの36度線上には、ラスベガス、グランドキャニオンがあります。

へえ~。

 

旧日光街道はしばらく国道4号を歩きましたが、旧道はここで左に入ります。

 

古そうな、道しるべがありました。天明4年(1784年)に建てられたものです。

左、日光街道だけ読める。。。

 

道しるべの説明。

 

 

久しぶりのクネクネ~。ヘビ

昔はきちんと道路整備されていなかったので、これぞ旧街道の醍醐味です。音譜

 

馬頭院

落ち着く場所です。

 

お遍路姿の弘法大師

 

 

どうしても、小山の文字をみると、おやまゆう~えんち~。と、

口ずさんでしまう。あせる

 

 

三本木一里塚。

一里塚には柿がなってました。

 

街道の旅人にはうれしい茶屋。

入ってみたかったけど、時間がなく、断念しました。

 

クネクネその2 ヘビ

たまらんです。クラッカー

 

 

杉戸町役場でお手洗いを拝借。

 

すぎぴょん がいました。ニコ

ちなみに性別は不明だそうです。ウシシ

 

 

老舗の酒屋 関口酒造さん。屋号は豊嶋屋。

創業は文政5年(1822年)。

 

 

杉戸宿 高札場

 

いろいろ読みごたえがある情報が掲示されています。

 

日光街道 杉戸宿 本陣跡地前に到着。

 

明治天皇もご休憩されたらしい。

 

街道からはずれて最寄りの駅は東武動物公園駅で今回はゴール。

 

今日はここまで。まぁ、ぼちぼち、行きます。パー

 

 

謹賀新年

あけましておめでとうございます。

 

本年もよろしくお願いいたします。どーもっどーもっどーもっどーもっ

 

写真はいつもの。です。

 

 

 

 

今年も日光に行こうかな。ぼそそ。

→ 日光街道

 

4日目 日光街道  越ケ谷宿→粕壁宿

歩いた日:2020年10月30日(金)

天気: くもり くもり 時々晴れはれ

歩いた距離: 10.0km

 

前回の様子はこちら

→ 3日目 日光街道 草加宿→越ケ谷宿

 

秋になり、スイッチが入ってしまったようで、休みとって頻繁に出動です。

 

前回のゴール北越谷駅のすぐ横の旧日光街道からスタート。

 

北越谷は餃子が有名はてなマーク 北越餃子だそう。

東武伊勢崎線をくぐります。

 

ふと横を見ると、ここだけ立派に整備された道が。

奥のほうに何かあります。目

 

立派な門が。目目

おっ。ビックリマーク

宮内庁埼玉鴨場だそうです。

鴨場は鴨(カモ)猟をするための場所で、鴨の狩猟期間(秋から冬)に

天皇陛下の思召しにより、内外の賓客の接待の場として使用されるそう。

池に来たカモは訓練されたアヒルに誘導され掘に入り、そこから飛び立とうと

するところを手持ちの網で傷つけず捕獲するという猟で、鳥を傷つけない

伝統的鴨猟だそう。

元々は徳川将軍家や有力大名家が行っていた伝統猟で、明治時代以降は

皇室が維持保存しているそうです。

とても勉強になりました。
一般公開日があるそうで一度は見てみたいです。

 

先に進みます。

久々の鉄ショット。も、失敗ダウン

もう一度DASH! 今度は成功チョキ

 

微妙なクネクネ。昔の道ということがわかります。

 

ゴミ収集場所のすぐ左横に石仏群が。

ごみ収集場所はもうちょっと考えた方が良いのではないでしょうか…。

 

越谷はだるまが有名だそうです。ここは老舗の一つのようです。

(以下越谷市HPより抜粋)

江戸時代の中期(一説には1713年頃)、越谷、間久里の「だる吉」という

人形師が従来あった「起きあがり小法師こぼし」という玩具に、中国禅僧の祖「達磨大師」が座禅を組んだ姿を描いたのが始まりといわれています。

 

下間久里香取神社

獅子舞が有名だそうです。

文禄三年(1549年)京都から伝わったとか。

以下説明。(写真クリックで拡大します。)

このクネクネはたまらない~ キラキラ

 

国道4号に出ました。

日本橋から30km地点。

 

春日部市に入りました。

 

宇都宮まで77km。 まだ、先は長い…。

 

ふと右を見ると、こんなところに、備後一里塚跡。

 

街道沿いはほとんど住宅街ですが、江戸時代を感じるひらけた景色も。

 

ちょこちょこ石仏群を目にします。

 

東武野田線をくぐります。

頭上注意です。なんか懐かしい~。

 

旧日光街道は左、宮代方面です。

 

この交差点の角に、天王様、八坂神社。

粕壁宿の入口に鎮座しており、創建年代等は不詳だが、

慶長年間と言われている。
明和7年(1770)火災により焼失したが、宿の市神として

信仰されてきたとのこと。

説明。(写真クリックすると拡大します。)

 

旧日光街道は左手方向に進み。粕壁宿に入ります。

 

ちょっと話題の匠大塚家具。

大塚家具って、春日部が発祥らしいです。

実はこの建物、クレヨンしんちゃんで登場するアクションデパートです。

(建物の写真撮るのわすれちゃった。)

 

このようなシャッターは大好き。

 

本陣跡。

 

古そうな道標がありました。 天保五年と刻まれれています。

 

(写真左)西南 いハつき(岩槻のこと) (写真右)北日光

(下写真)東 江戸、右の方 陸羽みち  と、それぞれ刻まれています。

 

今回の街道歩きはここまで。パー

 

んで、春日部と言えば・・・・。

・・・ですよね。 

春日部市の住人で、住所は春日部市双葉町904です。

駅の看板も。

 

ぷらっとかすかべ。

日光街道のことから、しんちゃんまで、いろんなことを教えてくれます。

説明のお姉さんもしんちゃんみたいに面白い人でした。音譜

ガイドマップもらって…。

 

こちらに。

 

まずはご一家にご挨拶。

 

黄金しんちゃん。

ブりブリ~DASH!

バックショット。

おけつブリブリ~DASH! ブリブリ~DASH!ブリブリ~DASH!

 

手形ならぬ、尻形。 ブリブリ~DASH!

 

他にも春日部は有名人を輩出していることを知り、

面白い街だなぁ~って。

 

今回はここまで。 ブリブリ~DASH! ゲホゲホ

 

3日目 日光街道 草加宿 → 越ケ谷宿

歩いた日:2020年10月14日(水)

天気: くもり くもり 時々晴れはれ

歩いた距離: 10.0km

 

前回の様子はこちら

→ 2日目 日光街道 千住宿→草加宿

 

前回のゴール、せんべいからスタートです。

 

数件となりのせんべい屋さんにはせんべいのオブジェ。

とてもリアルです。ポーン

 

久野家住宅。大火や安政の大地震にも耐えた貴重な建物です。

いまは旅人のための休憩所になっています。

 

神明宮です。ここには初めて見るものがありました。

 

刻まれている記号は高低測量几号です。

明治九年、内務省寮がイギリスの測量技師の指導のもと、

一年間かけて東京-塩釜間の水準測量を実施したとき彫られたもの。
これは現在の水準点で、かつての鳥居の沓石に掘られたそう。
この水準点の標高は、四・五一七一メートルだったそうです。

 

おせん公園

日光街道各宿場名が刻まれた塔が並んでます。

草加せんべい発祥の地の碑

 

今度はうなぎのオブジェ。ウナギイヌではありません。 

 

草加松原にやってきました。

これは望楼です。高さ11mあり、この上に見張り番を配置し、

街の火事を発見するためのものだそうです。

 

奥の細道の道中の芭蕉像。
この像は江戸に向き、さらば江戸と言っているようです。

 

矢立橋です。
この先は松並木のジョギング・ウオーキングコースで、

信号で足を止めないように太鼓橋が掛けられています。

街道てくてく旅が懐かしい~。走る人

 

当時の様子。

 

橋の上からの眺め。 やはり街道歩きには松並木です。アップ

 

綾瀬川も見ながら草加の間松原を歩きます。

 

2つ目の太鼓橋。古代橋。

 

街道の旅人には最高の景色です。写真を撮りまくり。ニコニコ

 

ついに松並木が終わってしまいました。ダウン

首都速外環道をくぐります。

芭蕉の奥の細道の旅風景

 

綾瀬川沿いを歩き、向こうの蒲生大橋を渡ります。

 

蒲生大橋から綾瀬川の風景

この橋は日光道中分間延絵図(文化3年)によると、もともと大橋土橋で、

その後、大正7年に木橋になり、昭和にいまの橋になったという。
何気ない橋にも歴史ありです。

 

蒲生の一里塚

いや~。久しぶりの一里塚です。

細かい説明は写真をクリックしてください。

 

旧日光街道は昔からまっすぐだったらしいです。

いまは住宅街ですね。

でも、ところどころに名残があります。

 

これは何でしょう?是より??と書いてあります。

相当古そうです。

 

清蔵院の門は立派な冠木門。

さらにその奥にある山門は寛永15年(1638年)に建てられたもので、

越ケ谷では数少ない江戸時代初期の建物だそうです。

 

JR武蔵野線をくぐります。

この近くに貨物ターミナル駅があるらしく、貨物列車が走ってました。

 

旧日光街道は左へ。越ケ谷宿に入ります。

 

古い建物が残っています。病院とか。商家とか。

 

雰囲気のよい和菓子屋さんがあったので、入ってみました。

名物は塩あん大福。まったく砂糖を使ってないんです。

疲れた体にはしょっぱめの大福も美味しい。音譜 しかもデカイ爆  笑

もちもちで手作り感がすごくいいです。恋の矢

甘いのもあるので、ぜひまた買いに来たいです。

おかみさんから、近くに御殿跡があるとのことで、

街道から外れ行ってみました。

元荒川を下ります。自然がいっぱいです。

 

越ヶ谷御殿は徳川家康によって慶長9年(1604)に設けられた御殿で、
家康が街道整備の時に作ったとか。しばしば訪れ鷹狩りをしていたらしいです。
その後、越ヶ谷御殿は明暦3年(1657)年の江戸大火によって江戸城が消失したとき、将軍の仮殿として江戸城二の丸に移されたとのこと。

 

さらにその奥には鎌倉時代の建長元年(1249年)の板碑
秩父の緑泥片岩で作られています。
梵字が掘られているけど、さっぱりわからないや。


 

街道に戻ります。

大きいマンションもあり、開発が進んでいますね。

ちょい左を見ると・・・・。

 

北越谷駅がありました。

今回のゴールとしました。

越ケ谷には、越谷駅、新越谷駅、北越谷駅、南越谷駅があり、混乱しますわ。

今回はここまで。パー

 

2日目 日光街道 千住宿 → 草加宿

 

歩いた日:2020年10月7日(水)

天気: くもり くもり

歩いた距離: 10.0km

 

間が空いてしまいましたが、日光街道再開です。

 

前回の記録は以下(リンク)です。

 

前回のゴール 日光街道 千住宿の案内所からスタートです。

この宿場の商店街の雰囲気は好きですね。

 

千住 絵馬屋 吉田家 

手書きで書く絵馬は非常に貴重だそうです。

 

横山家住宅

江戸時代 商屋と伝馬の役目をしていたそうです。

戦時中の焼夷弾の跡が残っていたり、歴史を語る非常に貴重な建物です。

 

日光街道をスケボーで走るお姉さん一行が。!

長らく、街道歩きをしていますが、スケボーは初めてだびっくり

 

旧日光道中は左へ。

 

千住大橋 荒川を渡ります。

 

さすが、荒川はでっかいなぁ。

国道4号は日本橋から9km地点。

 

渡ったら、旧日光街道はすぐ左に曲がります。

この辺は0m地帯目

 

途中、右に曲がり北へまっすぐです。

 

前方には東武梅島駅 下をくぐります。

 

新元号令和発祥の地 太宰府天満宮と関係がある、梅島天満宮。

ひっそりしたところにあります。

 

あっ。1000円自販機アップ

やりたかったけど、我慢しました。あせる

 

 

ビルの谷間に昔ながらの銭湯が。いいたたずまいです。

草津温泉もあるらしい。

 

 

 

将軍家御成橋 御成道松並木跡碑

 

武蔵野国足立郡島根村の鎮守 島根鷲神社です。

日本武尊も関係がある由緒あるとても立派な神社です。

 

ずーっと、道幅が広いです。

 

けなが川 

初めて聞いた名前ですね。

 

 

埼玉県に入ります。 さらば~ お江戸~。パー

 

 

富士浅間神社。

明暦年間(1655年ごろ)からあり古いです。

現本殿は天保十八年(1848年)に再建されたそう。

 

ここには富士塚があり、信仰で女人など実際に富士山に登れない人が

これに登ったそうです。

実際に見るのは初めてでちょっと感動です。キラキラ

 

さらに境内には力石がありました。

 

 

草加宿に入ります。

 

大正15年創業 老舗の旅館 埼玉屋

 

草加宿 本陣に到着です。

やばい。雨が降ってきました。あせる

 

おせん茶屋

ちなみに草加せんべいを開発したのは

茶屋で働いていた「おせん」さんです。

お団子をつぶして焼いたのが始まりだそう。

 

草加せんべいのできるまで。

 

元祖 源平せんんべい。

明治三年に、初代の源兵衛氏が新潟から草加に移り住み、

日光街道を往来する旅人に茶店を開いて日用品を売り始め、
副業としてせんべいを焼き始めたそうです。

 

買ってみました。

まさにザ。手焼きですね。

香ばしさも、歯ごたえも、そのへんのせんべいとはまったく違います。

美味しかったです。

 

このあと、雨がひどくなり、今日はここまでとしました。パー