7日目 日光街道  幸手宿→栗橋宿 | 今日のひとりごと・・・・     

7日目 日光街道  幸手宿→栗橋宿

歩いた日:2020年11月12日(金)

天気: 晴れはれ

歩いた距離: 9.0km

 

前回の様子はこちら

→ 6日目 日光街道 杉戸宿→幸手宿

 

 

前回のゴール、幸手宿本陣 知久家跡からスタート。

ちなみに現在はうなぎ屋さん ヘビ TAKE OUTもOKのようですプレゼント

 

聖福寺 勅使門。1741年に作られた模様。

聖福寺は御殿所とも呼ばれ、日光に行く途中の徳川家将軍、家光、家綱、

吉宗、家治、家慶といったすごい人たちが立ち寄ったそうです。

 

幸手宿 シケインDASH!

 

正福寺。

馬頭観音の石碑に日光道中と書かれた道しるべがあります。(右写真)

 

老舗の石太菓子店

 

幸手宿の名物、塩がまを購入。

お話好きな、おかみさんがいろいろ教えてくれました。

 

最初は甘いのですが、そのあと、ほんのりとしたしょっぱさが、

旅人にはたまらんです。。ニコ

 

先に進みます。走る人

 

旧日光街道は国道4号に出たりわきにそれたりを繰り返します。

地名は”内国府間”と書いて”うちごうま”と呼ぶようです。珍しい。

私は最初、内閣府と呼んでしまった。。あせる

 

遠くに見えるは権現堂堤です。桜が有名で春はとても綺麗なのでしょう。

この辺りは大小、川が多く、昔から、氾濫を繰り返し、堤の建設が盛んです。

 

国道4号は日本橋から50km地点お祝い

 

中川、御幸橋を渡ります。

 

渡ってすぐ左脇道へ。

 

街道歩きでは久しぶりの景色。目

あの歌を歌いたくなります・・・・。音譜

 

追分がありました。

 

日光街道とつくば道の追分です。(日光街道は左です。)

この道しるべは古く、1775年(安永4年)に建てられ、

ずーっと、この地にあります。 昔の情景を想像すると興味がわきます。

 

すごーく、久しぶりの頭上注意アップ爆  笑

この後も数か所、トンネルがあります。

 

右は国道4道で、旧日光街道はその脇をかなり長い距離歩きます。走る人

 

小右衛門村の一里塚跡。 弁財天堂があります。

 

みかん、ススキを見ながら歩くのも街道歩きの醍醐味でしょう。

 

遠くに近代的な物が。。。目

東北新幹線です。下をくぐります。音譜

 

一旦、国道4号に出て、良い子は入ってはいけないシアター手前を左へ。走る人

 

川通神社。ちょっと高台になっていて昔は浅間山がよく見えたようです。

国土地理院の水準点があります。

 

素晴らしいアンテナが。

HFの5エレと3エレ八木。でかい。羨ましい~。ぶー

 

先に進みます。走る人

 

 

会津見送り稲荷。

むかし、むかし、会津藩士が文書を届けるために栗橋宿に来た時、

大事なものをなくし、白髪老人が助けてくれたそう。

この老人がキツネの化身だったことから、ここに稲荷ができたそう。

 

街道歩きはたまらん風景です。中山道以来かも~。アップ

やっぱりあの歌を~。音譜

 

栗橋宿に入ります。

 

静かな宿ですが、江戸時代からの建物も残っています。

 

このへんも治水工事の真っ最中です。

日光街道の宿場は昔から、たびたびの洪水に悩まされたきたのでしょう。

 

・・・で、栗橋宿の関所に到着です。クラッカー

 

栗橋宿関所跡の石碑。

栗橋関所は日光道中が利根川を超す房川渡に設置されました。
対岸の中田と併せて”房川渡中田関所”と呼ばれました。
寛永元年(1624年)から明治2年(1869年)まで約250年間、

主に、入り鉄砲に出女を取り締まった関所です。

 

この石碑は大正13年(1924年)に建てられたもので、
書は徳川家達だそうです。 当時の写真右。

 

ということで、今日はここまで。パー