「夢」というのは、叶わないから「夢」なのだと思っていました。

今年は、初めてプロ野球を観戦してから「49年目」。私にとっては「50回目」のメモリアルイヤーでした。

 

そのことについては、今年の6月に詳しく書きましたので、下にその時の記事へのリンクを張らせていただきます。

 

 

 

いつの頃からか、「ノーヒットノーランを生観戦したい」という夢を持ってしまいました。

現在、両リーグの「優勝」も首位の球団でほぼ確定というくらい、2位との差が大きく離れてしまいましたが、やはり「優勝」のあの瞬間へと近づいていく「あと、何イニング」「あと何人」と迫ってくるときの「ワクワク感」は、その場にいれば何物にも変えられない経験です。

私も近年は何故か、応援しているチームとの対戦で相手側が歓喜に舞うシーンを見ることが多い気がします。

 

そんな「優勝」とは別の「あと一人」の興奮を味わえるのが「無安打無得点試合」すなわち「ノーヒットノーラン」です。

その瞬間に出会うのは、ほぼ不可能と思いつつも勘定してみると今年もこの日で「53回目」の観戦となっていて、やはり訪れるたびに「今日こそ」の思いを秘めながら、席に着いていました。

50回目のシーズン、勝手に昨年定義した観戦試合数に、この2シーズンで観戦した試合数を足すと、通算推定値「1928試合目」の観戦で達成した「悲願」でした。

 

「ノーヒットノーラン」は幾度かの「目前」まで迫った無念も含めて、やはり6月に記事にまとめましたので、下にその時のリンクを張らせていただきます。

 

 

 

2023年9月9日、土曜日。千葉の「ZOZOマリンスタジアム」で行われたゲーム。ずっとずっと夢見ていた「ノーヒットノーラン」が観戦できた試合となりました。

 

本日は写真の枚数もとても多くなってしまうことをどうかお許しください。

 

この日の幕開け。席に着いたとき、グラウンドにはたくさんの女の子たちが整列していました。日本最大級サバイバルオーディション番組「PRODUCE 101 JAPAN」の第3弾として、映像配信サービス「Lemino」で10月5日から配信開始となる「PRODUCE 101 JAPAN THE GIRLS」の練習生の皆さんでした。

 

人数の多さに客席もどよめいていました。

 

練習生を代表して櫻井美羽さんがセレモニアルピッチへ。

 

プレートより遠い位置からの投球。

 

始球式を撮影しているといつもそうなのですが、どのような投球だったのかを見ることができません。

 

全員で記念撮影をして。

 

外野後方へと去っていきました。

 

さて試合へ。この日のスタメンです。いつもながらの、海からの強い風が吹き抜けています。今日も「落ちる球」を武器にしている投手は、打席付近でさらなる変化が起きると言われている球場でどのようなドラマが起こるか。そんなことを一緒に観戦した妻にしゃべっていたそうです。自分では覚えていませんでしたが。

 

1回裏、山本投手マウンドへ。

 

まずはリラックス。

 

足元を入念に確かめて。この1回はわずか「7球」で3人の打者を打ち取る上々の立ち上がりでした。

 

2回表、打席に入った亜大の後輩の「頓宮選手」。

 

久しぶりに球場で拝見しましたが、かなり痩せたよう。夏バテじゃなければいいのですが。

 

ロッテ美馬投手の球を振り抜くと打球は右中間を破りました。

 

セカンドに到達。ロッテのショート藤岡選手は軽く祝福のタッチか。戦っている相手のチーム同士ですから祝福はおかしいと思われるでしょうが、この二人、高校も大学も同じ。藤岡選手が3学年上の先輩ですので、高校では卒業後に頓宮選手が入学したことになります。

 

この9月9日まで頓宮選手はパ・リーグの首位打者の座を守り続けていましたが、昨日9月10日の試合は4打数ノーヒットに終わってしまったため、ソフトバンクの「ギータ」こと柳田選手に打率を抜かれて2位となってしまいました。

シーズンの残りもあと1か月を切りました。チームの優勝とともに、自身初の快挙となる「首位打者」も諦めずにぜひ勝ち取ってほしいと願っております。

 

いつもながら「夕景」の美しいスタジアムです。

 

大学時代は強肩強打の捕手としてだけでなく、「俊足」も披露してくれた頓宮選手。今季はファースト定着でより打撃に集中できるようになったようですね。

 

さて「主役」へと戻ります。

 

連続写真で。

 

立ったままの姿勢から、いきなり投げるような独自のフォーム。

 

 

 

このフォームでこの日も150キロ台後半のストレートを連発するのですから驚きです。

 

2回もわずか「8球」。初回と合わせてわずか「15球」しか投じていないことから、ロッテの打者が追い込まれる前に打ってきているのがわかりました。

こんな少ない球数での立ち上がりも滅多に経験しないので、このいつもと違う感じから、妻に「今日はひょつとするかもよ」と言ったことは覚えています。妻はもちろん、言った私でさえまさか本当になるとは思っていませんでしたが。

 

回は進んで0対0で迎えた4回表。オリックス杉本選手の打席は一死1,2塁の先制のチャンス。

 

振り抜いた打球は逆風を切り裂いて左中間スタンド向かってまっしぐらです。

 

入りました!今季13号の特大の先制スリーランでした。

 

 

 

嬉しそうですね。

 

まずはホームベース付近で、走者だった二人に迎えられます。

 

そしてベンチでの祝福。

 

最後にお決まりの「ラオウ」のポーズです。

 

早いテンポで進んだゲームはあっという間に5回が終了。グラウンド整備で間があく間は応援イベントが。

ここまでオリックス山本投手は一人の走者も許していない「パーフェクト」続行中でした。期待も高まりつつゲームは後半へ。

 

すると6回裏、この回先頭のロッテの7番安田選手に対してストレートの四球を与えてしまい、「完全試合」が消滅。

 

すかさず集まった野手陣からは笑顔も見えていました。

 

続く打者にも、2球続けてボール球を投じると、ファーストの頓宮選手、すかさずマウンドへ駆け寄ります。さすが「捕手」をしていた選手ならでは、と感心しましたが、この二人は何たる偶然か「実家が隣同士」の幼馴染みであることも有名です。

 

この日、ロッテの最初の走者となった安田選手。ここでアウトになりでもしたら、反撃ムードに水を刺すだけに、大きなリードがとれない模様。

 

この日最初のセットポジションからの投球。

 

と言っても、ほとんど違いのないフォームです。

 

 

 

 

 

後続を打ち取り、ホッとした様子でベンチへと戻ります。

 

「ノーヒットノーラン」まで残る回は3回。上位打線で迎えるこの回が一つのヤマです。

 

ここまでの詳しい投球内容も、スタジアムにいて知ることができるのもこの球場の特長です。7回先頭打者を打ち取ったところでの68球、5三振はいかに打たせて捕ることに徹しているかが伝わってきます。

 

7回も3人で打ち取り、いよいよ残り2イニング。

 

8回表には、ロッテ東條投手の犠牲バント処理の一塁への送球が悪送球となりピンチが広がり、森選手の犠牲フライで、貴重な追加点が入りました。

 

8回の山本投手。

 

 

 

 

この終盤に来て、何とこの回は「三者三振」に打ち取り、快挙まで残り1回となりました。

 

私も8回終了までノーヒットノーランというのは、過去にわずか2回だけ経験があります。

 

今日の記事でリンクを張った先でも触れていますが、一つは1994年の開幕ゲーム「西武対近鉄」で野茂投手が記録したもの。この時は9回先頭の清原選手のチーム初安打から流れが変わり、西武はこの回満塁逆転ホームランでサヨナラ勝ちという劇的な幕切れとなりました。

 

もう一試合は昨年4月の「ロッテ佐々木朗希投手、完全試合のまま8回をもって降板」の試合でした。あと1イニングで「2試合連続完全試合」という前人未踏の大記録目前での降板に、私も心から落胆し、「人生においてもうノーヒットノーランを見られる機会は訪れることない」と諦めの境地を確立した試合でもありました。

 

最終回のオリックスの攻撃には、前の週に約一か月振りに復帰したロッテ澤村投手がマウンドに上がりました。

 

 

力強い投球フォーム。

 

球がバラつくこともなく、剛球で最終回のオリックス打線を1安打1奪三振無失点に抑え、味方のまずは「1本」を待ちます。

 

最終回のマウンドに向けて、ベンチ前で準備をする山本投手。

 

味方の攻撃が終わり、ベンチ前最後の一球を投じます。

 

変わらぬ足取りで最終回のマウンドへ。

 

上がりました。

 

さあ私も、より緊張してまいりました。

 

8回までの成績です。マダックス(=投球数100球未満で完封すること。13度の100球未満完封を達成したグレッグ・マダックスの名前が由来。)の達成も可能な投球数です。

 

最終回のマウンドに上がりました。この回先頭の田村選手は5球目を打ってライトフライ。

この時点で、私も推定値1928試合目の観戦にして、ノーヒット継続未体験のゾーンへと突入しました。

 

続く藤原選手も3球目を打ってセカンドゴロに。偉業達成まであと一人です。

 

最後のバッターとなってしまうのか、ベテランの荻野選手に投じた初球は何と「デッドボール」。この日ロッテの2回目のランナーとして出塁しますが、「ノーヒットノーラン」は継続中。

 

球場にいて気づいたことは、この最終回、ロッテが一人打ち取られるごとに席を立ち、球場を後にされる方がいらっしゃったことでした。熱く応援されていらっしゃる方にとっては、見たくもない場面であるんだということにも気づかされました。

 

最後のバッターはあろうことか藤岡選手。いつもは応援している場面なのですが、この日ばかりは偉業の前に複雑な私。

予測しうるいろんな結果が、私の頭の中を巡り、これが長い間待っていた「夢」の場面なのだと初めて実感しました。

 

カウント2-2からの6球目、鋭く振り抜いた打球はセカンドの正面へ。

 

全くのピンぼけで見づらくてごめんなさい。そのまま載せます。

途中から頓宮選手に代わって一塁の守備に就いていた山足選手が捕球した瞬間、山本由伸投手の「2年連続のノーヒットノーラン」が達成されました。

ウイニングボールを持って山本投手のもとへ走ります。

 

そしてボールを渡します。

 

若月捕手と熱い抱擁。

 

この日の打のヒーロー、杉本選手からまず洗礼が。

 

そしてまるで優勝が決まったかのよう。

 

 

 

ブルペンで待機していたリリーフ陣も駆けつけました。

 

ビジターにもかかわらず偉業を称える表示がされました。

 

ペットボトルがカラになったようです。

 

いつもの勝利時のようにベンチ前で首脳陣が選手たちを迎えます。

 

山本投手、頭ビショビショに。

 

そして「お隣さん」の頓宮選手が花束を持って登場。途中交代して買いに行ってた?(笑)

 

幼馴染みからの贈呈の花束を掲げ、ファンからの大声援に応えます。

 

ブルペン投手陣、なぜか「隊列」を組んでレフトポール際のブルペン方面へと戻ります。ほぼ年齢順に並んでる?

 

インタビューが始まりました。インタビュアーは何と千葉ロッテのリポーターの南隼人さんが登場です。かつてはベイスターズのハマスタでもスタジアムDJとして活躍された南さん。

相手チームであっても、この偉業達成のインタビュアーにはフリーアナでもある南さんならうってつけですね。

時まさしく「ラグビーW杯」の真っ最中ですが、こうした「ノーサイド」精神での「祝福」にも心が動かされました。

 

2年連続での達成は、戦前の1リーグ時代の「亀田忠投手」以来「82年振り」の達成であること。他にはその前に伝説の投手であり、投手最高峰の選手に与えられる賞にその名を残す「沢村栄治投手」しかおらず、史上3人目の偉業であることが、南さんから披露され、一層の拍手に包まれます。

 

さらには「史上100回目」のノーヒットノーラン達成というメモリアル付きだということも発表されます。

今年も、9回まで「ノーヒットノーラン」に抑えながら、味方の援護がなく延長戦に入ったため、「未遂」に終わってしまった中日の柳投手の例もありました。

同様のピッチングをしても援護点がなく、というのは投手の責任ではないので何とかならないものかとも思うところでもあります。

 

この偉業を報じた「日刊スポーツ」で6万5584試合目での「100回目」の「ノーヒットノーラン」達成だということを知りました。

つまりNPBでは約「6558試合に一回」の割合で「ノーヒットノーラン」が生まれていることになります。1シーズンが現在143試合ですので、1チーム当たり「45.8シーズンに1回」の割合となります。

 

私の推定値「1928試合」というのはまだまだ少ない方で、運がよかったようですが、観戦「50シーズン目」にしてこの場面と出会えたのは、まさに出現割合と一致しているのかなとも思いました。

 

インタビュアーが終わり、レフトスタンドのアリックスファンに向かい手を振ります。

 

そしてライトスタンドのロッテファンにも深々とお辞儀を。

 

ベンチ上のファンに手を振ります。

 

その後は報道陣の撮影会。ボードに映る数字をバックに、ということでしょうか「座って」のリクエストに応えます。

 

 

そしてグランドを後にしました。

 

「H」の文字が隠れてしまいましたが、「ノーヒットノーラン」のネット裏スコアボードです。

 

熱戦の行われたグランドです。

 

帰り際、オリックスファンの陣取る「レフトスタンド」に立ち寄りました。

 

いつまでも興奮冷めやらぬ様子。

 

この写真、一生の記念になるのでしょうね。

 

球場ができて30年以上が経過し、潮風を浴びつつ老朽化の対策が始まった「マリンスタジアム」。

この球場ができた頃、初めて観戦した試合が「日本」対当時世界最強のアマチュアと言われた「キューバ」とのゲームでした。

ほとんどの選手が後のメジャーリーガーとなっていった当時のキューバに対して、日本のエースは亜大の「小池秀郎投手」。野茂投手とともにドラフト会議で史上最多の8球団の1位指名を受けた左腕は、この球場で何とキューバを完封。怪我がなくそのままプロに行けていたなら、どんな大活躍を見せてくれていたのだろうと思います。

 

この日、私にとっての「50年越し」の悲願を叶えてくれたのもこの球場となりました。

 

思えば、もう2か月近く前のこと。シーズン終盤の熱い「首位攻防戦」となっていることを予測しつつ購入していたこの日のチケットでした。千葉以外のゲームはこの日すべてデーゲーム。9月初旬のデーゲームはきついから、そして土曜のナイターなら翌日も寝坊できるからという理由で、妻も大好きな「ハマスタ」での観戦を諦め、この日は私の案に合意してくれていました。

この前の日、山本投手の予告先発を知ると妻も「来年はメジャー行きだろうから、よおく見ておこう」とも。それがまさかこんな結果になるとは。

 

この日、ネット裏にはメジャー13球団のスカウトが集結していたそうです。その人たちの前で最高の「入団テスト」をもクリアしてみせたこの強心臓には頭が下がるばかりです。

 

W杯に続くサッカー日本代表のドイツ戦快勝、バスケットボールの大逆転勝利、ラグビーの快勝、最近の日本には国際的な場面での活躍のニュースだらけ。佐々木朗希投手もマウンドに帰ってきました。毎日希望溢れるニュースばかりなのが正直信じられません。頑張ってきた選手たちには失礼な言い方なのでしょうが。

 

この日の話に戻ります。2位のロッテもロッテファンも本当に悔しい一夜となったことかと思いますが、吉井監督は信じて起用したスタメンに代打を送ることもせず、またパントで内野安打を狙うなどの揺さぶりもなく正々堂々とした力勝負を演じてくれたのが嬉しかったです。

優勝をかけたチーム同士が、当然とは言え真剣に戦った上でのこの日の結果にも価値を見出しました。

 

そしてこの日は、私の「還暦」前、50代での最後の観戦試合となると思います。

私が永く追い続けた野球への「ロマン」が叶ったいま、まさに「暦」が一回りして、また気持ち新たに生きていくことができます。

 

あと、もう一つだけ。

49年前、私が父と後楽園球場で初めての野球観戦をしたとき、そのチケットは親戚のおじさんが用意してくれた会社の「年間予約席」でした。

今ではとても信じられないでしょうが、当時優勝経験の無かったヤクルトと広島。

後楽園の巨人戦もその「ヤクルトと広島戦なら希望の日がとれるよ」とのことで夏休みの最中1974年8月18日の巨人対ヤクルト戦が、私の野球観戦デビューでした。

 

その初観戦の時の思い出を詳細に書いたのが、下記のブログです。よろしければこちらもどうぞよろしくお願いいたします。

 

 

 

あの日以来、いつの時代も私は野球とともに人生を歩んできました。その大きなきっかけをくれたそのおじさんが、先月お亡くなりになられたことをつい先日知りました。

がっちりしていたおじさん、大きな病気を克服後、「東海道」を徒歩で踏破したおじさん。私が社会人で大学院に行っていた20年ほど前、やはり親戚の葬式でお会いしたのが最後となってしまいました。その時は、論文提出の締め切りが近かったため、私もフラフラで列席していました。そんな私に「このお葬式のせいにするな、必ずやり遂げろ」と喝を入れてくれたのもおじさんでした。おかげで無事に論文をまとめることもでき卒業することができました。

そのおじさんも最後はは体重も30キロ台まで落ちていたとお聞きしました。

 

この日の「ノーヒットノーラン」という悲願に出会えたのは日程の「偶然」という不思議、そして「おじさん」が私にプレゼントしてくれたような気がしてなりません。

「おじさん」は亡くなりましたが、私の中ではあの日のおじさんが間違いなく生き続けています。「おじさん」どうか安らかにお眠りください。私は忘れません。

 

※  ※  ※  ※  ※  ※

 

ちょっとセンチメンタルになってしまったことはどうかお許しください。

 

いろいろ引っ掛かっていたものも吹っ切れ、ユーミンの「50周年」の頑張りを見て、背中を押されたような気持ちになり再開したブログから約1年になろうとしています。

 

相変わらず稚拙な文章と写真、内容にもかかわらずいつもお付き合いをいただいている皆々様にこの場をお借りして改めてお礼を申し上げます。「ありがとうございます」。

 

今月は還暦を迎えるにあたり、いろいろとしておきたいこともあるため、ブログのアップをお休みさせていただき、また月末を目途に再開したいと思っております。

日記代わりにその時に感じた気持ちも織り交ぜつつ、今後も続けていきたいと思っております。今後とも何卒宜しくお願い申し上げますパー