ブログ記事のアップ順が、最新のものと春ごろのものと行ったりきたりになってしまいごめんなさい。
ベイスターズが東京ドームに乗り込んでの三連戦も昨夜は、まさかのサヨナラの一打、今日もそのショックを払しょくすることができず連敗となってしまいました。
8/18 試合前の練習から 井納投手、入念にバントの練習中
砂田投手、遠投。切れのいい真っ直ぐがキャッチャーミットに納まっていきます。先発から転向して一年になりますね。一年前の東京ドーム、
あなたの名がリリーフで呼ばれた日のことは今も思い出します。
さて、突然ですがオーロラビジョンに映し出されたこのスコア。
10回表を終えて2-2の同点というもの。
東京ドームの試合前には、過去の「その日」にあったジャイアンツの歴史的な出来事を紹介するコーナーがあります。
映し出されたこのスコア、実は私が「生まれて初めてプロ野球観戦をした日」のものなんです。
時は、昭和49年(1974年)8月18日。場所は後楽園球場。巨人対ヤクルト戦です。
皆さんは、「生まれて初めてプロ野球観戦をした日」のことは覚えていますか?
妻に聞いたら、やはり後楽園球場での「日本ハム対南海」戦だったそうです。スーパーでもらった外野自由席券だそうです。
まわりのお客さんが、横になって見ていたということだけが強烈に印象に残っているそうです。
私の場合はこうでした。
父は学生の頃からサッカー一筋でした。そんな家庭だったので、他の同級生たちが見たことがない「サッカー」の試合には、それこそ幼稚園の頃から連れて行ってもらっていたようです。
西ドイツの皇帝と呼ばれたベッケンバウアー、爆撃機と呼ばれたミューラー等々名選手たちのプレーを間近で見たことをかすかに覚えている程度です。
小学校も中ごろになった頃、クラスメートたちはそれぞれのひいきのプロ野球チームを口にする頃となります。
私は父に遠慮して、野球の話を家ですることがなかったようです。
私は当時、野球と言えばジャイアンツしか知らず、王選手や長嶋選手の名をかろうじて知っていたくらいだったと思います。
昭和48年のセ・リーグは、阪神と巨人の争いがシーズン最終試合までもつれ、最終戦の甲子園球場で巨人が勝ち、阪神9年ぶりの優勝の夢が破れ、巨人が9連覇を達成した年でした。
クラスでは、今年こそ阪神が優勝する、などと盛り上がっていて、江夏投手や田淵選手の真似をしつつ、みんなで草野球をしていたことも思い出されます。
「関東だから巨人」でしょ、と思われる方が多いと思いますが、我々の小学生の頃は巨人の黄金時代だっただけに、その「強すぎる巨人」を倒すところを見てみたいという、気持ちも強かったのだと思います。
昭和48年の日本シリーズは野村捕手が選手兼監督で率いる南海ホークスとの対戦でした。初戦をものにした南海でしたが、その後巨人の4連勝で幕を閉じ、巨人の9年連続の日本一が決まった年でもありました。初戦を南海がとったとき、「今年は巨人の日本一が止まる歴史的瞬間が見られる」とワクワクしたものでしたが・・・。
この年の日本シリーズ、私は父に「野球だって興味があるんだぞ」って示すために見ていたような気がします。
父は、野球中継にはまったく興味がなく、「チャンネル権」のなかった私が、「野球を見たい」と申し出るには、他の家庭とは違った状況がありました。
一度、野球にチャンネルが合うと、翌昭和49年は私は野球のすっかり虜になっていました。王選手の放つホームラン、長嶋選手の華麗な守備、そしてあの元気はつらつな姿にすっかり魅了されていました。
その頃、クラスの中の男子でプロ野球を「生」で見たことがないというのは、私くらいしかいないということが判明しました。クラスメートたちは口々に生で見たプロ野球選手の自慢や、球場の雰囲気などを自慢しあいます。
野球にチャンネルを合わせるだけでも、父の機嫌を伺いつつ大仕事だった私。「プロ野球を見に行きたい」の一言か言えないまま幾つもの日が過ぎていきました。
そして夏休みに入った頃、「今年はとしまえんのプールは我慢するから、連れて行ってほしい場所がある」と申し出たように記憶しています。
そして「クラスで野球を生で見たことないのは僕くらいなんだよ」の一言が効いたようでした。それはいかんということで、親戚のおじさんの会社で持っていた後楽園の巨人戦の「年間予約席」を用意してくれることになったのでした。
社員の保養のために用意されていたそのチケットも、当時、対広島戦と対ヤクルト戦のチケットならいつでも余っているとのことでした。両チームのファンの皆さん、気分を悪くなさらないでください。この両チーム、昭和49当時はどちらも優勝の経験を持っていませんでした。そして大洋とともにBクラスの常連だったチームでもありました。
私は家で「ヤクルト」を配達してもらっていたこともあり、そんな単純な理由から「巨人対ヤクルト」の昭和49年8月18日の後楽園球場でのナイター、一塁側内野指定席が用意されたのでした。
初めて訪れた後楽園球場のナイターは、子供の私には野球以上に衝撃が大きかったことを改めて思い出します。
1.まず、夜なのに「昼間以上に明るい」世界に初めて出会ったこと。
2.一度にこんなにも多くの人が集まる場所に初めて出会ったこと。
3.外野席に設けられていた「風速計」と「風向計」が刻一刻と変わる風
の強さと向きを表示して、そちらにばかり目を奪われていたこと。
4.ビールやコーラの売り子の人たちの鮮やかな売り方。コーラを同時
に何人からも注文を取り、瓶の栓を抜くと幾つも紙コップ逆さまに刺
し、コーラが勝手に注ぎ終わるとさっと渡して行く姿は本当に格好よ
かったです。
5.イニングの間、観客が席で吸うたばこの煙が風向きで塊となって、ま
るで球場の中に小さな雲が次々と生まれては流れていく不思議な光
景。
6.「カクテル光線」とはよく言ったもので、ナイターの照明をよく見ると、
白色だけでなく、赤味のあるものや青味のあるものがあったこと。眩
しさに目を細めて見てみると、目の前に幾筋もの平行の光線が見え
てきて、それは美しく感じたこと。
7.ベンチの真上では応援団の皆さんが、笛や太鼓で三々七拍子の音
頭をとって盛り上げていたこと。時々ベンチ上から下りて、通路を歩き
ながらの応援では、私の真横で聞いた「笛」の音は、それまでの人生
の中で聞いたことがないくらい大きな音で、本当にビックリしてしまっ
たこと・・・・。
こうして思い出されることは、ゲームの内容ではなく、テレビでは決して知りえなかった、知らなかった世界のことばかりでした。
そんな初観戦試合でしたが、唯一覚えているゲーム内容は・・・。
先ほどの写真の続きです。巨人軍、ショート上田武司選手のサヨナラホームランです。
初めて観戦した試合の決着がこれだったのです。
そして、この劇的な結末は、今もジャイアンツの「8/18」の歴史的な出来事として、こうして今も紹介されていることを嬉しくも思いました。
実は数年前、NHKアーカイブスの番組で、この昭和49年で引退をした長嶋選手と10連覇を逃した巨人の闘いを紹介する番組でこのシーンを見たことがありました。初めて見た試合が後で放送されるなどという偶然にも本当に驚きました。
その番組で知ったのは、この昭和49年、首位を走っていた阪神、3ゲーム差程度でずっと着いていた中日、そしてさらに2位に3ゲーム差ほど離されていた巨人といった構図でシーズンが進んでいたところ、「死のロード」とも言われていたこの時期の阪神が失速、3位の巨人が急追し、この8月18日のサヨナラ勝ちで遂に巨人が阪神に変わって首位に踊りだし、阪神はその後の半月ほどで首位と5.5ゲームほど離された3位へと失速してしまつたというものでした。
私の初観戦試合の背後ではそんな熾烈なペナントを争う闘いが行われていた「ターニングポイント」となる重要な試合だったということを後で知ったものでした。
上田武司選手がサヨナラホームランを打ったとき、周りの観客の熱狂をよそに、実は私は何が起こったのか当時よくわかりませんでした。
「サヨナラゲーム」といものの存在を知らなかったのです。
何で、「3アウト」をとっていないのにゲームが終わるのか知らなかったからです。そんな試合の終わり方があることをそのとき初めて知り、そんな格好いい一打を放った上田武司選手の名前と「8/18」という日付は私の中に深く刻まれたのでした。
この日の興奮が忘れられず、私は池袋の西武百貨店の中にあった「赤木屋プレイガイド」で、この約一か月後の「9/17」に同じ後楽園で行われた「巨人対ヤクルト」のチケットを求めて、再び父とともに見たことも覚えています。
確かこの日は2-2の同点から、後に日本ハムの4番打者として活躍した「小田選手」の3ランによって勝ち越したヤクルトがそのまま5-2で勝利したと覚えています。
そしてランナーの有無により、同じホームランでも得点が変わるという、ある意味「理不尽」な「面白さ」に魅了されたことを記憶しています。
サッカーはサッカーの面白さがあり、たくさんの試合を見てきましたが、
あくまでゴールは「1点」であり、クイズの最後の問題を答えれば逆転勝ちみたいなことはありません。
昭和49年の8月18日。そして続く9月17日の経験は間違いなくその後の私を大きく変え、形づくった出来事でした。
ゆえにこの二つの日付は、私には忘れられない日です。
この9月17日、ヤクルトが勝ったことで、私はその後、幾度と神宮球場に足を運ぶことにもなったのですから、子供のときって本当に単純な理由からファンになってしまうものだとつくづく思います。
そしてセ・リーグのお荷物とさえ言われていたスワローズの初優勝をこ
の4年後に味わえるとは、このとき全く想像もしていませんでしたから、
野球って面白いのだと思います。
さて、今年の日程を見たらビックリでした。
昭和49年の時と同じく、後楽園球場から変わった東京ドームで同じ日に試合が組まれています。それもいま、山﨑投手の入団をきっかけに応援しているベイスターズとの試合が!
何か運命的なものを感じて、今年の両日の試合のチケットを購入しました。
初回、桑原選手が出塁すると、2番の田中浩康選手。
確実に決めた犠牲バント。
積み重ねてきたその数、この日「300」を記録しました。プロ野球6人目の記録。昨年ヤクルトからの契約が終わったままでは、この文字は見ることができませんでした。
それぞれの人生の中に、また「8/18」の思い出が一つ増えていきます。
そして今年の「8/18」もあろうことか、ベイスターズ先制から逆転、さらに5-2と離すも5-4の1点差に、さらに2点をとり7-4とまた3点差とするも
7-7の同点にと、目まぐるしく試合は動き、遂に延長戦へと突入。
応援しながら、こんなに疲労を感じたのも近年ないくらいの展開でした。
43年前の初観戦と同じ、延長戦に突入したことで私の中では嫌な予感を感じていました。
また「巨人がサヨナラホームラン」を放ったりしないだろうかと・・・。
あの日、サヨナラホームランを放ったのが、王選手でも長嶋選手でもなかったように、伏兵の一発で決まったりするかもしれないよ、一応覚悟だけはしておいた方がいいよ、などと妻には半ば本気で言っていたのですが・・・。
ベイスターズファンの悲鳴の中、急にレンズを向けでこの一枚を撮ったので周りのベイスターズファンの皆さんは不思議な顔をされていました。さっきまで砂田投手の熱投に声を枯らしていたのに、巨人の勝利にシャッターを切ったものですから・・・。ピンボケです。
この試合、初めてのプロ野球観戦だった少年・少女もいたはず。
嬉しかったですか?悔しかったですか?楽しかったですか?
また来たいですか?
43年前のこの日、同じような試合を見た43年前の少年は、今こんなおじさんになってますよ。
おじさんは、その後簡単にヤクルトファンになりましたよ。優勝の経験もない弱かったヤクルトのファンはクラスには一人もいませんでしたよ。でも初めてセ・リーグの優勝を決めた昭和53年10月4日と、阪急を破って日本一になった10月22日のことは覚えていますよ。
同級生の阿波野投手がドラフト会議のあった日、大学でその指名を待っていたときも、おじさんは隣にいて、希望だった在京球団ではなく、
近鉄バッファローズの交渉権が決まったとき、目に光るものを横で見ていたよ。
でも近鉄で頑張って熾烈な新人王レースを勝ち取り、翌年「10.19」で流した涙も川崎球場で見た。そしてその翌年、念願のリーグ優勝を勝ち取ったこと。のちにドラフトで指名された巨人・大洋と渡り、そのすべてのチームで日本一を経験したことも見ることができたよ。
同級生がプロ野球選手になった、ただそれだけで自分のことのように嬉しかったよ。
山﨑投手、嶺井捕手、東浜投手、松田選手、高田選手、岩本選手、九里投手、薮田投手、飯田投手、宗接捕手、板山選手・・・今でも夢を与えてくれるたくさんの後輩たちの活躍に、今でも夢を躍らせているよ。
トヨタ自動車の藤岡選手、北村選手。そして亜大の北村選手の弟・・・。
みんなみんなプロで夢を叶えてほしい、夢を与えてほしい。
ある一試合との出会いが、その後おそらく1000試合は優に超えているであろう、「野球観戦」への道のりへと続いていきました。
宇佐美選手、初ホームラン、初打点でもあったそう。
ここにも一人「8/18」が大きな記念日となった選手がいるのですね。
宇佐美選手、何でホームランだったんですか?ランナー2塁でしたね。
ヒットでもサヨナラが十分にありえた場面。ヒットは狙ってなかったんですか?一発を狙ってたのですか?43年前と同じ勝ち方などするものだから、とても混乱している観客がここにいますよ。
43年、数多くの試合を見てきてもまだまだわからないことがいっぱいあります。
43年前の「8/18」に特別な思いを持って観戦したこの日の試合が、またまた同じような奇跡が目の前で起きたことに、「奇跡」などという言葉を簡単に使うべきでないと思いつつも、後で考えればこれは「奇跡」なのかなとも思いつつ。「歴史は繰り返す」という諺が実感として響きます。
ならば来月の「9/17」は、43年前ヤクルトが巨人を下したように、今年はベイスターズが勝つ巡りあわせ?・・・。
野球に限らず、自分の周りで起きたことに、自分なりの意味付けをしていけば、それは自分なりに意味を持つなのでしょうが、本当にこの不思議なめぐりあわせが、いろいろなことを思い出させた出来事でした。
人生、半世紀以上生きてくることができたのも、こうして野球を見ることができたのも、当たり前のことなどではなく、本当はそれが一番不思議な出来事であり、感謝しなければならないことです。
43年前の出来事が繰り返されて目の前に出現したいま、私の野球観戦における様々なシーンは、ひょっとしたらもう一回りしてしまって、それ以上のシーンが見ることができないのかもしれないのかな、とも考えてしまいました。
でもいつか「ノーヒットノーラン」を生で見たい、あと一人という緊張感を越えてたどり着いたその瞬間を共に味わいたいという夢は消えていません。
そして何より、ベイスターズが栄光をつかみ取る瞬間を見るという夢が叶うまでは・・・!
長い長いブログにお付き合いいただき、誠にありがとうございました。