第一話から続いている話です。
一話から読まれてないと、理解できない部分もあるかもしれませんので、是非、一話からお読み下さい。
第三話
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●奥の院霊廟前の三具足と不老不死
**三具足の花立てに飾るのは橘?
●名古屋にもある家康と重なる不老不死の印
●熱田神宮から、東照宮を読み解く
●「日光」の語源から、読み解く不老不死
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【奥の院霊廟前の三具足と不老不死】
家康の墓の前には、この様な置物があります。
この三具足の真ん中は、香炉です。
この場所にある事は、日光東照宮にとって、重要な意味を持つものと思うのです。
東照宮全てのものに通じているものであるはずです。
こをれ絡めて東照宮を語られる事を、私は聞いた事が有りませんので、私の妄想かもしれません。
その置物は、壺と、亀の上に乗る鶴と、香炉です。
鶴と亀の具足から、浦嶋太郎伝説を表していると思われます。
香炉は、玉手箱を表しているものと思われ、共に煙が現れます。
浦嶋伝説の元は、蓬莱伝説になり、乙姫は亀になり、東王夫(とうおうふ)の住む、壺の形の蓬莱山へ行き、浦嶋は鶴になり、乙姫を追って行く話です。
東王夫を、東の王である家康に置き換えたのかもしれません。
浦島伝説に、この三具足は全て現れています。
おそらく、三具足の花立は、壺でもあるはずです。
***三具足の花立てに飾るのは橘?
垂仁天皇の命を受け、不老不死の花を探しに行った田道間守(たじまもり/橘の語源になった人物)が見つけたのが「橘」と言われる事から、この花立に入れるのは不老不死の橘(立花)と、私は考えるのです。
それは、鶴と亀の具足を使用しているのが、橘紋の日蓮宗だからで、
日蓮宗の妙見信仰は、北極星、北斗七星信仰でもあるからです。
陽明門に施された北極星と同じです。
陽明門には鶴丸の紋が描かれています。
日蓮宗の宗門は古くからの一派は立花ですが、その後、鶴丸の紋も登場しているのです。
妙なものが見える事から付いた名の妙見信仰は、家康が信奉した摩利支天(陽炎/かげろう)とも言えるのです。
この摩利支天を信奉していた武将の中に「立花道雪」がいるのも、「立花」=「摩利支天」から名前を付けたのではないでしょうか。
もし、そうであるなら、摩利支天を信奉した家康は、不老不死の立花の信奉者でもあったと言えます。
この組み合わせは、私の記事で良く取り上げている家康縁の地(名古屋大須)の橘にも見られるのです。
[名古屋にもある家康と重なる不老不死の印]
この橘の地名は、尾張徳川三代藩主が命名した名前で、謂れは、橘の花の香りがしたからと言うものです。
謂れはどうであれ、他に、藩主が命名した地名を私は知りません。
名古屋市中区橘の日置神社の神紋の橘
そして、上記の橘紋の隣には六芒星が描かれています。
香取、鹿島神宮の灯籠のデザインを合わせたもので、伊勢神宮の灯籠のデザインになります。
橘が、家康の信仰にあるのなら、香取、鹿島神宮にとって、とても重要な大甕(おおみか)神社が、東照宮が、北の星の神が関わっているのではないでしょうか?
日置神社の隣には、摩利支天を祀るお寺が隣接していて、
家康が信奉した摩利支天と、橘紋、陰陽道が、この場所でも揃っているのです。
【熱田神宮から、東照宮を読み解く】
その橘には、不老不死を思わせる伏見通り(不死身?)が通り、そこから南へ少し行った所にある熱田神宮にも蓬莱伝説が潜むのです。
昔、熱田神宮の地は、蓬莱崎と言い、この地の地下には、亀が棲むと言われるのです。
熱田神宮と、その北の高蔵神社の井戸でも、井戸に落ちた子供を龍が守り、熱田神宮の泉から出て来る話があります。
これも、今思うと、陽明門に描かれた沢山の龍と、瓶に入った子供が、川を流れ着き、瓶を割って助けられる事と同じかと感じるのです。
地下の水脈を通り、熱田神宮の清水井に出てきた事も、陽明門では語られてない、「地の底を通る」に導くもので、清水井は、楊貴妃の泉とも呼ばれていることも、エジプトの女神ヌートと、重ねてあるのではないかと想像が膨らみます。
高蔵神社の地に「夜寒町」と言う地名があり、近くに、鉄の観音を祀る寺があり、昔は鍛冶屋の町でした。
上記で書いた様に「寒」が鉄を表し、日光の寒川の「寒」と重なるのです。
熱田神宮周辺は、壺の世界を表す蓬莱崎と呼ばれていた事から、陽明門の壺から出て来る子供は、楊貴妃の泉から出てきた事と重ねるなら、東方極楽浄土にある壺の形の蓬莱山から出て来る姿を表していると思われるのです。
また、熱田神宮は、源頼朝の縁の場所で、家康が「源氏」を名乗っていた事から、蓬莱伝説が日光東照宮にとって、とても重要な思想だと言えはしないでしょうか。
そして、蓬莱信仰は、不老不死を求めた信仰であるのです。
とするなら、陽明門の壺から出てくる子供は、家康の生まれ変わりと言えるのです。
【「日光」の語源から、読み解く不老不死】
日光の語源は、空海が「二荒山(ふたら)」を訪れた時、「二荒」→「日光」にしたとされます。
「二荒山」は「補陀洛山」が語源とされ、補陀洛山は、
「昔あった、インドの南に浮かぶ八角形の島」と言われるのです。
「八」は、不老不死を表しているのでしょう。
八幡神社も橘紋であるからです。
無限のマーク「∞」も、横になった八と言え、輪廻転生を無限に繰り返す事を、意味しているのかもしれませんね。
その八をもう少し深堀していきます。
日光東照宮の姿が露わになって来ます。
第四話に続く