平将門の伝説は、7月2日の火球の予知? | パオンのブログ

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7月2日に大きな火球が堕ちて来ました。

この流れ星と、将門伝説の首が飛んで故郷に帰ろうとした話が、見事に重なる事に気が付きました。

もし、下のアドレスにある映像が本当だったら

大変な事になっていたようです。

 (火球の映像は、コチラ

 

[火球と、将門と、その領地

平将門については、今まで不思議な繋がりを何度も取り上げてきました。

しかし、今日書くことが、私にとって将門伝説の一番の謎になります。
この大きな火球は、何処を目指して堕ちて来たかと言うと、
千葉県の佐倉市、四街道市でした。
これを知った時、私はゾワッとしたのです。
将門に繋がる地だったからです。
 
将門の支配地は、南は、鹿島、香取神社の在る利根川河口から千葉県北部で、
特に、佐倉市(千葉県)は、父の良将の領地でした。
経緯は分かりませんが、佐倉市に、将門町があります。
推測ですが、将門が生まれたのは佐倉だったのかも知れません。
 
私は、橘にとても縁があります。
この火球に繋がったのも廣瀬大社の橘紋からと言えます。
その紋と繋がるだろうエジプトの女神、セシャトの頭上の絵柄も神紋と言えます。
もう一度その図を載せます。
 
[女神セシャトと、左近の桜・右近の橘と、佐倉市]
これは、エジプトではパピルスと思われますが、セシャトを日本と結び付けてきた紐解きから、京都で言えば鬼門の鞍馬の天狗の八つ手の団扇です。(多分)
この鬼門は、京都御所の紫宸殿からの方角とすると、紫宸殿にも意味があるものと考えました。
「宸」の字は、ウ冠に辰(龍)から成り立つ事が、八重の楓の紋の龍田大社の「」がはまります。
前の記事で、セシャトの図柄は、龍田大社の楓とし、その上の冠を風冠と、鳳凰としましたが、ウ冠の方が突起がある分、似ているように思われます。
とするなら、セシャトの頭上のデザインの中の七重の楓?は、龍とも言えます。
 
京都御所紫宸殿前には、東に桜、西に橘が植えられていますね。
東は太陽が昇ることから生命の誕生を表しますが、生命の木、橘は死を表す西にあり、葉が散る桜は死を表すのですが、生の東に位置します。雛飾りとは逆です。
ヨハネの黙示録によく出てくるフレーズ、「始めであり終わりである」と言う事でしょうか?
それとも、鬼門と、鏡像の異界に導く謎々なのかもしれません。
 
橘に縁がある私からすると、この火球が落ちただろう場所は東に位置し、
そこは、「さくら(佐倉)」と言い、東に桜となり、紫宸殿の配置に重なります。
これ、こじつけかもしれませんが、佐倉市の市章がサクラなのです。
 
佐倉市の由来は諸説ありますが、桜の説からとすると、桜の木には、サ神の依代の御座(みくら=倉)があるとされるのです。
佐倉は、「サ神の座(くら)」と言う事です。
桜の下でお花見するのも、サ神様への感謝なのです。
今年は、コロナ禍からお花見や祭りが、ほとんど取り止めになりました。今年の一番の祭り、オリンピック然りです。
宮古島で出会った我が家に重なる伝承にあった、神が、祭りを止めたことに怒った話が、私の脳裏を過(よぎ)りました。
 
サ神信仰の表れは、酒や、早乙女、五月(さつき)と言う「さ」の付く文字に表れています。
それからすると、5月生まれの私が、この凶星(火球)を生んで、この依代へ飛んで行ったのかもしれません。
 
これを書いている時、妻が、録画してあったドラマ由利麟太郎を見ています。
さくらと言う歌姫が嵐の日に死ぬ内容です。
「さくら」「死」「風」
ゾッとしました。
先週もピエロでこのドラマに繋がったばかりです。
完全に、私は、異界と繋がっています。
 
[火球は、神の世界から現れた?]
将門は、討ち取られたあと、関東から京都へ首を運ばれ、四条で晒されました。
運ばれたのは夏だったため、京都までは運べず、名古屋の笠寺に埋めたのではないかと言われ、その地に首塚があります。
楠の横にあるのが将門の首塚(笠寺丹八山)
 
 
この笠寺は、名古屋の南東の鬼門を守ります。
私の育った場所場は、名古屋の南西の鬼門で、七所社(しちしょしゃ)がありました。
奈良の対の廣瀬・龍田大社の配置と同じです。
このペアのように、笠寺の首塚の近くにも「七」の付く七所神社(ななしょじんじゃ)があり、七夕を表しているように見えます。
私が遊んだ七所社は、竹をご神木として、愛知の奇祭で知られる「きねこさ祭り」と言う、川に竹を立てる神事で知られます。
また、笠寺の「笠」の字も偶然かのように「竹を立てる」字で構成されているのです。
 
竹は、七夕では必需品で、神の世界との結びつける物です。
何故、このような事を取り上げて書くかと言うと、前の記事で書いたピエロと、火球からつながったものの中に、上下、向きの違う三角が二つ重なったデザインが描かれた場所がありました。
今日の記事に繋げるために、前の記事で取り上げた訳ではないのです。
この形が意味するものは、鹿島神宮の灯篭のデザインの∵と、香取神宮の∴が重なったものと私は感じました。
その重なりは、伊勢神宮の灯篭のデザインになると言われます。
 
鹿島神宮鹿島神宮灯篭
 
香取神宮灯篭
 
伊勢神宮の灯篭のデザイン
 
香取神宮の∴と同じ家紋を知っています。
御井の神を信仰する渡辺党から派生した渡辺家の家紋です。
渡辺家の家紋の●は、星を表します。
 
渡辺から唯一枝分かれした松浦家は、下の一が無い家紋です。
 
これは、オリオン座の三ツ星を表していて、オリオン座の三ツ星を表すギザの三大ピラミッドと重なるのです。
この松浦と言う姓も含めて、総てが、私と将門と、火球に絡みついてきました。
 
[佐倉市の由来がアサクラからだとしたら・・・・]
佐倉市の名前の由来に、アサクラから来ている説も有ります。
「浅い蔵があった」と言うものですが、私には、朝倉家の家紋も∴になっていてる重なりの方がピッタリしていると思うのです。
朝倉家家紋
渡辺党は、大阪の座摩(いかすり)神社が信仰の中心で、
越前の朝倉の地の守護宮である足羽(あすわ)神社も御井の神を祀り、北九州の朝倉は、高良大社(久留米)の影響が強くある地と思われる事から、共に御井の神を祀っている事が見て取れますです。
 
香取神宮の∴の形で共に繋がるのは、単なる偶然とは考えられません。
平将門が、出産や、子供を守る御神徳を持つとされるのも、御井の子供を守る三柱から来ているとすると、難解なパズルのピースがはまっていきます。
これは、久留米の珍塚古墳に描かれた太陽の船が、古代エジプトの太陽の船と重なる事から
佐倉の語源が、桜でも、朝倉でも同じと思われるのです。
ただし、この桜は、東に在った場合です。
佐倉をア・サクラから来ているとすると、前の記事で、共時性で現れた
阿形のライオンが、朝倉の「ア」を私に知らせたと受け取れ、阿形の狛犬と同じなら、それは東が定位置で、京都御所の東の桜と同じなのです。
 
火球の現れた時に写した阿形の2頭のライオン
 
朝日が昇る場所に在る倉(座)と取れる朝倉は、東の桜の木の下にある坐(倉)であるのです。
これが、佐倉の意味なのでしょう。
 
ピラミッド信仰に繋がる家紋の形状が香取神宮の灯篭と同じと言う事は、
灯篭の「灯火」は、「竹」と同じく「神域への導き」で、「篭」の字が「竹」と「竜」の字から成り立っている事からも理解できます。
 
香取、鹿島神宮が利根川を挟んで在る事は、天の川を挟んで繰り広げられる七夕の光景であり、
どちらかが七夕に、川を渡って逢いに行き、伊勢神宮の意味を成すと取れるのです。
 
では、どちらが渡るのでしょうか?
一直線に並ぶ3地点。
 
この答えらしき神社が佐倉市の隣接する四街道市に見られます。
この場所には、香取神社が三社もあります。
この神社が、平将門の信仰であったのではなかったでしょうか。
その一つに、鹿渡香取神社があります。
「鹿が渡る」ととれ、鹿島神宮の「鹿(神)」が香取神宮に会いに行く形が見えてきます。
鹿島の灯篭の∵は、逆になった三角から、
異界から、現実世界へ逢いに来る」と言う事です。
 
将門の首は、飛んで京都から佐倉・四街道へ帰ろうとしました。
この時点で将門は、異界の魔物です。
火球とされる天狗は人間ではないと、鞍馬寺に書かれています。
この火球は、神奈川上空で未確認飛行物体が当たり爆発しました。
この事が、私に起きた、色々な不思議な事が一つに繋がって行き、時間をスタート時点まで戻しました。
 
私は、の形で編隊飛行をしているUFOを見ました。(その時の記事)
 
これは、9年前の出来事です。
私に見せるための編隊ショーではないかと感じたのは、リアルだったようです。
7月4日の火球の事は事実だと、私に知らせるように、編隊ショーを見せたのでしょう。
 
将門の首も、佐倉に帰る途中、南宮大社の隼人神が撃った矢に堕とされます。
将門の首が佐倉に帰れば、大きな災いをもたらす事から撃たれたのです。
 
まるで、今回の火球のようです。
こんなに重なるものなのでしょうか。
 
この二つの事がシンクロしているとしたら、UFOが当たらずに落下して未曽有の被害が起きたと言う事でしょうか?
 
ここまでの事は、まだ第一ステージです。
更に、火球と、将門は、私に第二ステージを見せるのです。
これは、我が家の出来事を表しているのです。
だから、第二ステージは、書こうか迷っています。