私の、私見。
人は、何かに抗う時に立ち止まる。
学校、進路、就職、退職。人生の節目には、必ず『 このままでいいのだろうか。 』と問い続ける時間がある。
『 困った時は何でも相談してよ。 』『 二人は何でも話せる間柄なんだよ。 』
それはあくまでも許された関係にのみ成立すること。
誰にも相談できないこつとは、誰にも相談できない。
繰り返されるおびただしい回数の自問自答。
俗に、通常の流れに沿わない状況は、敷かれたレールから外れる、決められたレールの上から外れる、と表現される。
生まれた星の下がどうとか、抗うこと自体が間違いだとか、辛い生き方とか、本来の姿ではないとか。
周りは分かりきっているかのように穏やかな口調で述べる。まるで、自分たちの生き方が正しいかのように。
皆と同じ方向を向き、同じ速度で歩くことが『 正しい 』とされる世界では、そこから外れる者は、どこか欠けているように見られる。
いわゆる、私が直面している組織に抗う行動は、その『 敷かれたレール 』から外れる行動なのだろう。
通常は、上司を敬い、後輩を育成し、組織の矛盾を見つけても目を閉じる。それでいい。
見て見ぬふりを覚え、異論を唱えず、波風を立てない。大丈夫、我慢していればいつかは忘れることが出来る。今まで通り、いつも通り。
時には、自分の感覚に蓋をしてでも、その場に適応していく。
それが『 大人 』であり、『 社会人 』であり、『 組織人 』であるかのように。
その先にあるのは、上の者達が準備する、何の価値もない椅子取りゲームへのノミネート。…言い方よ。
だが私は、看護部、事務部、総務課、診療部に異論を唱え続けている。自分なりに愚か者だと自覚している。
間違っていると思ったことに対して、『 それはおかしい。 』と言葉にしてしまう。
黙っていれば傷つかずに済む場面で、わざわざ自分から火の中へ歩いていく。だから、こんなにも苦しい、こんなにも、辛い。
…。
そのやりとり、自問自答を何度も何度も繰り返していくと、一つの答えに行き着く。
私は抗っている。だが、この道こそが、本来の道なのではないか。これが私の、敷かれたレールなのではないだろうか。
…。
『 貴方を悲しませた場所に、二度と戻らないで。 』という言葉を聞いた。
…。
この言葉を聞いた時私は、私を苦しめた物理的な場所には戻らない方が良い、という意味だと解釈した。自分がこれ以上傷つかないよう、その場から距離をとれ、と。
それは例えば職場、配属先、人間関係。
…。
だが、きっと違う。
私を本当に悲しませた場所。それは、自問自答を繰り返す中で、何度も訪れては引き返してきた場所。
「諦める」という思考。
…。
声を上げることをやめる、見なかったことにする、自分さえ耐えればいいと言い聞かせる。
そうやって、自分の感覚や尊厳を押し殺していく場所。暗く、じめじめとして、光はなく、先も見えない。ただ、よーく目をこらしてみると、沢山の人が居ることが分かる。でも、その人たちは皆、下を向き、作り笑い、或いは泣き崩れている。
今後も、立ち入ったり、踏み込むことはあるかも知れない。だが、そこに居座り、自分を諦めることだけはしたくない。
私は、私に定められた、このレールを突き進む。私は、私の星の下を歩み続ける。
…。
私は思う。
私は、イカれているっ!と。
もう嫌だっ!こんな生き方っ!!と。
……などと。



























