さてさて、お正月三が日も終わってしまいますね。
三が日ラストの今夜中に新年の抱負でも記しておこうかな、と。
と言っても、大晦日に書いてしまった気もしますが
大晦日にも書いた通り、今月に乳児院研修があります。
いまから、ドキドキしています
年内〆の水墨画教室で、少子化になるのが何故いけないのか? もそうだし、
このクロ現内容だったし。
自己責任論は碌なことが言われませんよね。
「その問題は自分の所為なんだから責任もって自分で解決しろ。こっちは他人の尻拭いなんてゴメンだ」
そんな風に言われてしまって、「自分の所為だ」とか、「自分がもっと頑張らなきゃ」ということを思ってしまう.....
でも、本当は違うんですよ。
問題解決の決め手は、自分自身を追い詰めてしまうのは、自分の思考なのだということに気が付くことです。そこに自分で気がつかないと四苦八苦からは逃れられないのです。
誰かの所為、何かの所為としなくても、なにごとも自分自身にとって「良い加減」で生きられているか?を問う。
生きられていないのであれば、それは何故なのか?
例えば、なにごとも完璧にこなそうとして、自己責任論で自分の首を絞めていないか?
完璧にやらなくてもいい。
そもそも、この世に完璧なものなんてない!
誰かにSOSを出す!
自分の代わりを誰かに頼む! 支援を受ける!
のが、ベストではないでしょうか?
面会交流支援も里親制度もそうですが、この世には様々な支援があります。自己責任論で自分自身を追いつめずに、上手に支援を受けてみるのも「良い加減」で生きるための知恵だと思います。
昨年の新年の抱負にもあるように本腰入れて「生老病死トータルケアサポート施設」を作りたいと思っています。
とはいえ、先立つものがあるわけでもないので、まずは出来ることからコツコツ始めています。
「支援」というものの自分の考えは、昨年、腑に落ちたことがありました。
びじっとの組織改革を進めて、2021年くらいから、私は少しづつ一線から後退り。
その分、ADR調停員の研修や家族相談士の養成講座を受講したりしました
でも、翌年2022年の1月にあった資格試験を受けなかったんですよね……
講座自体は、とても素晴らしいものでした。
でも、資格はいらないな、と。
何故なのか?は、自分でも分からなかったけど、昨年10月にあった研究学会の懇親会で、納得できました
私がやりたいのは、「泥臭い支援」なのだと腑に落ちました。
美しさはないが、良い結果を求めるために務める。
それはまるで、泥沼に根をはやしても、泥の色に染まらない蓮の花を目指しているかのよう。
あくまでも私は修行をしているのだと気が付きました。
ということで、里子を仏の子としてお預かりする養育里親登録を今年は目指しています。
なので、今年の抱負は、養育里親になる!です。
無事に里親登録できますように