お父さんとお母さんが離婚をしたのは何故なのか知りたいなら、あなたの自分のその目で確かめてごらんなさい。
お父さんからの話しを聞いても、お母さんからの話しを聞いても、どちらも間違いではなく、正しくもないのです。
何故ならば、お父さんとお母さんは、一人一人違う人間ですから、同じものを見ているのに考え方も、感じ方も、捉え方も違うからです。
そして、あなたも同じです。あなたも1人の人間です。
お父さんでもなく、お母さんでもありません。あなたは、あなたです。
だから、あなたが、あなた自身で感じたことが、お父さんとお母さんの離婚の理由です。
もしも、お父さん、お母さんを嫌だなと想ったならば。自分自身に問うてごらんなさい。
自分は、それほど素晴らしい完璧な人間ですか?と。
お父さんもお母さんも同じです。完璧な人間など、おりません。
ただ、確かなことだけはあります。
それは、お父さんもお母さんも、あなたを愛しているということです。
最高の喜びを与えてくれたあなたに、お父さんもお母さんも心から感謝しています。
愛するあなたを抱きしめます。
たとえ、いま、あなたの傍にいられないとしても、あなたを心の中で抱きしめています。
忘れないでください。
お父さんもお母さんも、あなたのお父さんとお母さんであるということを。
父母の高葛藤(喧嘩・暴力・仮面夫婦・家庭内別居)に巻き込まれて辟易している子どもたちへ。
離婚しても喧嘩し合っている父母を持つ子どもたちへ。
あるいは、
離婚していないが、夫婦仲は最悪な両親を持つ子どもたちへ。
父母も人間です。
自分たちでは、どうしようもない感情というものが存在するのも確かです。
ですから、私たち第三者がいます。
憎しみ合っている父母は、その間に立つ子どもの気持ちを慮るだけの器量がありません。
お父さんの気持ちもわかる。お母さんの気持ちもわかる。
お父さんの悪いところも見える。お母さんの悪いところも見える。
だからこそ苦しい。
私の親なのに、何でこんななの!?
そんな思いに駆られたときは、第三者を頼ってください。
親だからこそ、憎しみきれない想いがあります。
ぷっつりと縁を切ってしまったが、何故か心にわだかまりが燻ぶっている。
自分は、果たして親にとってどんな存在だったのだろうか?
様々な葛藤が心にふと湧き上がることがあるようなら、ご相談ください。
子どもを愛せない親も確かに存在します。
けれども、それは、子どものせいではありません。
子どもを愛せない親自身に何かしらの問題があるのです。
決して子どもが憎らしい存在だとか、誰にも愛してもらえない存在なわけではありません。
父母にも優れた点と欠点、長所と短所の両方があります。
親とはいえ、人間である以上、完璧ではありません。
親が、長所よりも短所が目立ち、尊敬できない人間だとしても、それは仕方がありません。
そのことは、子どもには関係のないことですし、子どものせいではありません。
怨憎会苦。
子どもとは会いたいが、相手とは会いたくない。幼い子どもに連れ添って相手が来る。それだけで、落ち込んだり、動悸、息切れなどが起こってしまう。
あるいは、同席する相手から、罵声をあびせられる。暴力をふるわれる。または、存在を完全無視される。沈黙。
または、売り言葉に買い言葉となって互いに罵りあうこともある。
これらすべてが、子どもの見ている前で行われてしまう。
子どもは両親の顔色を伺い、小さな身体をさらに縮こませうなだれる。あるいは狂ったように泣き叫ぶ。自傷行為を行う。
子どもと会いたいが、会えなくなる。面会交流ができなくなる。
だから私たちは面会交流の支援を行います。父母と子ども。各々の人間の尊厳を守ります。
もしも、どうしても相手の事を子どもの親として認めることができずに、会わせたくないと思ってしまう場合、鬼子母神のお話を思い出してください。
日蓮宗では、鬼子母神の『鬼』の字の正規な書には頭にツノをつけません。伝承にあるように鬼子母神は、まさに鬼でしたが、しかし、釈迦の教えを受け、改心して鬼ではなくなりました。
そのことをあらわすため、"鬼"の字の一画めの点すなわち「ツノ」を取った字を使うのです。
自分たち夫婦の対立よりも大事なのは子どもたちの心の安定ではないでしょうか。親御さんが自らその事に気がつけた瞬間に『ツノ』が剥がれ落ち、仏となるのだと思います。
子を想う親心。その親心が、対立で生えてしまった父母の《ツノ》を削ぎ落とすのです。
我が子の将来のために、ツノを削ぎ落として話し合われたい父母の方は、いつでもお電話ください。
そして、相手と過去は変えられないという現実をどうやって乗り越えていけばいいのか。自分が心地よく未来を生きていくためには、ご自身がほんの少し努力することがポイントです。自分の幸せのための努力は苦になりませんものネ。その心の持ちようのご相談も歓迎いたします(^人^)
お互いがお互いを敬いあい、いのちの尊さに気づけたときから、
DVもない、児童虐待もない、
子どもたちが両親からの愛情を受けて心豊かに生きていけるようになる社会となることを心から祈ります。