日韓関係が悪化している。8月4日をもって元徴用工(この言葉も変なのだが)への賠償のために日本企業の資産を現金化するタイミングが来て、これを実行される事で日本から韓国に対して様々な制裁が検討されていると言われる。

 数年前から続く韓国による日本への嫌がらせや挑発行為が行き着いた先のゴタゴタと思われるが、この予想される日本からの制裁というのが奇妙なものなのだ。

 マスコミなどでは殊更に「制裁」という言葉を使うが、そのどれもが実は制裁という類のものではない。

 「制裁」というものは、わざわざ相手に対して攻撃的なマイナスを与えるものであり、現在言われている、「日韓通貨スワップを結ばない」とか「邦銀による信用状の停止」とか「ビザなし訪日の取りやめ」とか「日銀による短期ドル貸付をやめる」とかは、すべてが制裁ではなく現在まで特別に優遇していたものを取りやめる行為に過ぎない。

 現在、中国が尖閣諸島近辺をウロウロする嫌がらせや北朝鮮が日本海にミサイルを撃ち込むといった話とは、そもそもからの次元が違うのだ。

 昨年、韓国側が大騒ぎしていた「貿易によるホワイト国除外」にしても同様で、今まで優遇していたものを普通の状態に戻すだけで本来の意味からの経済制裁などではない。

 それでも韓国は日本からひどい事をされたかのように声高に非難の声を上げる。何か、おかしくないか?

 

 だが、ここで私たちはしっかりと考えておかなければいけない。これは国家間の問題ではなく個人間でも言える事なのだから。

 人は今まで優遇されてきたものが、ある日を境に消えてしまえば、それに対して怒りを覚えるものである。もともとが特別な好意によってなされていた事でも、取り上げられる事によって不当な扱いを受けたように感じるものなのだ。

 だから気をつけなければいけない。最初から完全に信用できない相手に対しては、こちらの好意によって優遇措置をしてはいけない。

 優遇する事で相手からの好意を引き出す事はおろか、その優遇を止めた途端にさらに大きな敵意を相手から生み出しかねない恐れがある。

 何かの優遇措置というものは、初めから与える事を前提とするのではなく、その都度その都度で戦略的に与えていかないといけない。そのようにしないと感謝もされないし、逆に優遇を止めた時に相手から受ける怒りや憎しみも増大していくものだ。

 

 人も国もそもそも自分勝手なのだ。

 

 ここ数年、V R(ヴァーチャルリアリティ)に関心があって、様々なVRを体験することにしている。

 VRと言えば一般的には、ジェットコースターや高所恐怖体験といった絶叫もの、ガンダムやエヴァゲリオンなどのキャラクターもの、お化け屋敷などのホラーものが主流であるあが、私自身としては旅行体験やアドベンチャー体験、さらには幻想体験や神秘体験などの分野に関心がある。

 先日、池袋にある旅行体験のできるVR施設に遊びに出かけた。VRを使って全世界各地の旅行体験ができるという趣向の施設で、この日はカリフォルニアの旅を体験してみた。

 何の変哲もないオフィスビスのフロアーがちょうど飛行機の客室になっていて、そこのシート(ファーストクラスを模したもの)で寛ぎながらVR体験ができるといった凝った内容のものだった。

 2時間ほどのコースで途中に食事(シャンパンやカクテルなどもオーダーできる)も出てきたりして、娯楽としてはなかなか楽しいものだった。

 カリフォルニアの旅だったので、モッツレラチーズとアボガドのサラダ、ガンボのスープ、チキンのガーリックソテー、チョコレートケーキ、コーヒーだったが、これがニューヨークの旅ならばマンハッタンクラムチャウダー、シンガポールならばカオマンガイなどが出てくるのかもしれない。

 今後はメジャーなコースだけでなく、南極ツアーやアマゾンツアーなどが登場すれば楽しいだろう。

 

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 このようにVRだけでなく、施設内の演出も細かい部分までなかなか凝っている。

 

 VRでの旅行体験の良いところは、スケジュールなどの時間的な制約がない事や天候天気の悪影響を受けない事があるが、最大のメリットは「他の観光客による人混み」がない事だろう。

 私が旅行をする時に一番のストレスに感じるものは、大勢の観光客による混雑である。もちろんその混雑を引き起こしてる人混みの一員に私自身も含まれる訳であるから、それに対して文句をたれるのは矛盾しているのだが、それでも感情的な不快感はどうすることもできない。

 素晴らしい景色や街並みの旅情も、大勢の観光客のせいで台無しにある。これは誰でも経験する事だろう。

 

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 あしかがフラワーパークの藤の花、このテーマパークに訪れた体験のある方もいると思うが、ここの藤の花はとても素晴らしが、あまりの人混みにうんざりした人も多いのではないか。もちろん私自身もその一人である。

 こんな場所でも静かに周りの人々に邪魔されないで情景を堪能できる。もちろん何かを食べたりお酒を飲んだり、好きな音楽を聴きながら体験できる。素晴らしいじゃないか!

 こんなフラワーパークだけでなく、京都の情緒ある街並みや伊豆の河津桜(寒くない室内で鑑賞可能)、隅田川の花火大会(蒸し暑い野外ではなく鑑賞可能)などなど、その体験の可能性は広がっていく。

 

 そしてこのようなVRはあくまでも架空のソフトなので、日本の美を全世界へ発信することもできる。

 大陸的な大自然の雄大さはなくとも、風情溢れる情景や繊細な建築や街並みなど、たぶん観光資源としては最上のもので構成することが可能だろう。

 そこにVR(視覚と聴覚)ではない、日本独特の味覚や嗅覚(日本の料理は何もVRで再現する必要はない)が加われば最高だろう。

 

 そんな未来を想像すると、さらに楽しくなってくる。

 差別がない自由な世界の一つとして、ヴァーチャルな世界を取り上げたが、ヴァーチャルな世界では生きられない類のものもある。

 その代表的なものが「恋愛」ということになるが、ここで一つ驚くべき話をしたい。

 

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 この画像に写っている女の子、数年前に知人から見せられて「のづさんの好みでしょう?」とか言われた。

 確かによくあるキャバクラの画一的な女性に比べて、ナチュラルな感じのこの子は、確かに私の好みではあるのは事実だった。

 しかしこんな若い子を私に紹介するしないでもないし、どこかのアイドルの一人ならば「名前くらいは覚えておこう」という感じだった。

 実は上の画像の少女は実在する人間ではなく、「saya」という名のCGによって製作されたヴァーチャルな存在であったのだ。

 なんとも凄い話だ。しかもこれは2016年に製作されたという事だから、現在はさらに進化して動画なども作られている事だろう。(時間のある時にじっくりと検索してみたいものだ)

 たぶん普通に会話をしたり、様々な表情を作ったりするところまでは進化しているだろう。

 ここまでテクニカル的に進歩を遂げているのだ。

 

 こんな事を書いていると、「どんなに実物の人間に近くても生で接することもできなければ、触れ合うこともできないのでは意味がない」と思う人々もいるだろう。

 しかし考えてみよう。現実世界に存在するアイドルの類だって、その存在は主にメディアを通じて届けられるだけで、実人生において付き合ったり生活を共有したりできるわけではない。中には熱心なファンなどはイベントまで出向いて握手くらいはできるのかもしれないが、それとて断片的な時間の共有でしかない。(そもそも大勢のファンにとってアイドルだってヴァーチャルな存在でしかないのだ)

 相手の姿を見て恋をする、コミュニケーションを通じてお互いに理解し合う、相手の気持ちを想い、ある時には精神的に依存する。それらの行為自体が実はヴァーチャルで事足りるし、ヴァーチャルのうちにこそ皆んなが求める理想系があるのかもしれない。

 実人生においてしか不可能な恋愛の要素は、お互いの社会性を共有して何かを成し遂げる(結婚が代表例)事か、セックスしかない。

 いわゆる分かり合える、癒されるとか、寂しいのどうのといった恋愛関係ならば、ヴァーチャルで十分という世界がすぐそこまで来ている。

 

 さらにCGの技術的な進化にに加えてAIの進歩(何もAIでなくともコミュニケーションの主体は誰でも良いわけだから、女性でなくて男性でも若者でなくて老人でも)により、メンタルな部分での恋愛のほとんどは実人生に依拠する必要はなくなるのかもしれない。

 私はこの分野における進歩を注意深く見守っていきたい。