差別がない自由な世界の一つとして、ヴァーチャルな世界を取り上げたが、ヴァーチャルな世界では生きられない類のものもある。
その代表的なものが「恋愛」ということになるが、ここで一つ驚くべき話をしたい。
この画像に写っている女の子、数年前に知人から見せられて「のづさんの好みでしょう?」とか言われた。
確かによくあるキャバクラの画一的な女性に比べて、ナチュラルな感じのこの子は、確かに私の好みではあるのは事実だった。
しかしこんな若い子を私に紹介するしないでもないし、どこかのアイドルの一人ならば「名前くらいは覚えておこう」という感じだった。
実は上の画像の少女は実在する人間ではなく、「saya」という名のCGによって製作されたヴァーチャルな存在であったのだ。
なんとも凄い話だ。しかもこれは2016年に製作されたという事だから、現在はさらに進化して動画なども作られている事だろう。(時間のある時にじっくりと検索してみたいものだ)
たぶん普通に会話をしたり、様々な表情を作ったりするところまでは進化しているだろう。
ここまでテクニカル的に進歩を遂げているのだ。
こんな事を書いていると、「どんなに実物の人間に近くても生で接することもできなければ、触れ合うこともできないのでは意味がない」と思う人々もいるだろう。
しかし考えてみよう。現実世界に存在するアイドルの類だって、その存在は主にメディアを通じて届けられるだけで、実人生において付き合ったり生活を共有したりできるわけではない。中には熱心なファンなどはイベントまで出向いて握手くらいはできるのかもしれないが、それとて断片的な時間の共有でしかない。(そもそも大勢のファンにとってアイドルだってヴァーチャルな存在でしかないのだ)
相手の姿を見て恋をする、コミュニケーションを通じてお互いに理解し合う、相手の気持ちを想い、ある時には精神的に依存する。それらの行為自体が実はヴァーチャルで事足りるし、ヴァーチャルのうちにこそ皆んなが求める理想系があるのかもしれない。
実人生においてしか不可能な恋愛の要素は、お互いの社会性を共有して何かを成し遂げる(結婚が代表例)事か、セックスしかない。
いわゆる分かり合える、癒されるとか、寂しいのどうのといった恋愛関係ならば、ヴァーチャルで十分という世界がすぐそこまで来ている。
さらにCGの技術的な進化にに加えてAIの進歩(何もAIでなくともコミュニケーションの主体は誰でも良いわけだから、女性でなくて男性でも若者でなくて老人でも)により、メンタルな部分での恋愛のほとんどは実人生に依拠する必要はなくなるのかもしれない。
私はこの分野における進歩を注意深く見守っていきたい。